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堂々と生きていい

私は「親の時間」で
スペシャルタイムのクラスに
参加しています。
このクラスでは
参加しているメンバーが
順番にスペシャルタイムを
もらっています。

スペシャルタイムというのは、
おとなと子どもの場合は、
おとな(スペシャルタイムをあげる人)が
時間を決め、
子ども(スペシャルタイムを受ける人)が
その間何をして過ごすかを決め、
おとなは、
子どもがやってほしいことを
何でも全力でやる時間です。

一緒に遊んだり、
おとなが子どもに協力したり、
応援したりする時間です。。

子どもに、難しいことをやるように
言われたら、それもやってみて、
それでもできない場合は
『できません、ごめんなさい』と
謝まります。

要するに、子どもが
女王/王様みたいになれる時間です。
普段の関係が逆転するような、
こういう時間を時々持っていると、
信頼が深まり、子どもは安心して
体験したことや考えていること、
うれしいこと、悩んでいることなどを
話してくれるようになっていきます。

先日のスペシャルタイムのクラスで、
私が他のメンバーから10分間
スペシャルタイムをもらう時、
ほめてもらう、というのを
やってみました。

「ほめてほしい」と仲間に伝えるとき、
10分間もほめてもらうのは
申し訳ないような気がして
緊張してしまいました。

そこで最初は、メンバーそれぞれが
自分のほめてほしい言葉を考え、
1人1分ずつ他のメンバーに
その言葉でほめてもらうというのを
順番にやりました。

それでもまだ4分以上時間が
残っていました。

リーダーが
「いっこのスペシャルタイムだよ」
と励ましてくれてやっと、思い切って
「私が賢い人だと思えるようにほめてほしい」
と言えました。

メンバーはただ
ほめることだけを考えてくれました。
みんなの言葉から、
彼女たちが本当に
私のことをよく知っていて
心からほめてくれていることが
伝わってきました。

うれしいのと同時に、
恥ずかしい感じもしました。
思わず「もういい」と言いいながら
それでもほめ続けてもらいました。

その後、
こんなに恥ずかしくなるのは
どうしてなのかを考えながら
話を聞いてもらいました。

そして気づいたのは、子どもの頃、
このスペシャルタイムのように、
手放しでめいっぱいほめてもらった記憶が
ほとんど無いということでした。

親が期待する、しっかり者で
弟や妹に優しいお姉ちゃんでいれば
親は満足していたし、
少しはほめてくれたかもしれませんが、
それは条件付で
ほめられていたということです。

だからといって、勉強などを頑張って
いい結果を出したとしても、
ほめられるよりは、
転ばぬ先の杖とでも言わんばかりに、
先回りして注意されたりしていました。

子どもだった私は、
言葉でも、知識でも、経験でも、力でも、
親には到底かなわない存在でした。
それでも
『すごいね、面白いね、きれいだね、
がんばったね、いい考えだね、
かしこいね、強いね、かっこいいね・・・』
など、その時々にぴったりの
言葉でほめられていたら
どんなに良かったか。。。
そのことを初めて想像してみました。

ほめられることが
当たり前の環境にいたら、
きっと私は自信満々の姿を、
堂々と親に見せられていたと思います。
そんな自分を想像するとわくわくします。

でも実際は子どもの頃
そんな風にできなかったまま、
成長して年を重ねてきたので
今になってほめられると
恥ずかしくなってしまうのでしょう。

そのことに気づいたら、
もっと自分に自信を持って
堂々と生きていいんだ、
という気がしてきました。

それと、これからは周りの人を
もっとほめてみようと思います。

いっこ

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