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自分が自分であることの喜び

今年はみんなにとって
どんな一年だったでしょうか。

今年一年を振り返ってみると
私の中に何かが芽吹いたような、
そんな期待が持てる一年になったと
感じています。

「親の時間」は時間を均等に分けあって
お互いの話に耳を傾けます。
ただ話を聞いたり
聞いてもらったりだけのことで
自分の何が変わるのだろうと思うけど
「親の時間」を始めた頃の自分と
今の自分では違う。
まるっきり違う。

困難に思うことや辛いことが起きたときに
「親の時間」では自分の子ども時代に
似たような思いをした経験が
なかったかどうか
思い出すことを励まされます。
過去と現在、その2つは関係ないようだけど
実はつながっていて、
子ども時代のことを思い出して
泣いたり怒ったり笑ったりすることは、
現在の自分に、とても役にたつことなのです。

それが実際に有効であることは
実感しているのだけど
どうして有効なことなのか
漠然としていて
いざ説明しようとしてもなかなか難しい。
それが、「親の時間」を続けて15年、
やっと心の底にすとんとおさまって
しっくりきたというか
頭だけじゃなくて体に馴染んだような
気持ちがしています。

15年も?!と思うかもしれません。
もちろん、「親の時間」で気づいたことは
他にもいっぱいあるし、
何より大切な仲間ができました。
15年続けても新しい発見がある。
それが「親の時間」の良さであり、
おもしろいところでもあります。

自分の過去に取り組むことは
とくに、辛かった思い出を話すことは
本当にきつい体験です。
それも一回では済まないし、
辛い出来事はいっぱいあります。

私にとって辛い出来事は
母親との関係で思い出すことが多かったので、
「またお母さんのことだ!やんなっちゃう。」
と思いつつ、
そのときに言えなかった思いや
本当はどうしたかったのかを
聞いてもらい続けてきました。

怒りがすぐに出てくるうちは
母親を悪者にして
ひたすら文句を言えば
何かスッキリしたような気持ちに
なったけれど
そのうち、何度も何度も
過去の母親を責めることに
罪悪感が沸いてきました。

今現在自分が親になってみて
子育てがどれどけ大変で
孤独にさせられるか
おとな側の視点にたたされたこともあるし、
過去のことにこだわって
『それが現在と何の関係があって、
どんな意味があるの?』と
割りきりたくなるほど
嫌な気分にもなります。
今実際に相対するのは
その頃の若い母親ではないので、
歳を重ねて年老いた母親に対して
弱いものいじめをしているような気持ちに
なるからかもしれません。

何度も何度も同じことを話しては
泣いたり怒ったりすることに
自分が成長しない「だめな人間」なのかも
しれないと思うときもありました。

それでも仲間を信じて
自分の過去に取り組んでいると
少しずつ少しずつ現在の母親との関係が
変化していき、
行きつ戻りつしながらも
自分らしく関われるようになってきました。
過去の母との関係を聞いてもらうことで
本当は私は母親のことが
ずっと好きであったのだと
はっきり認識することができました。
それはそれで、もちろん素敵なことですが、
今年私の中に芽吹いたと感じたことは
母親への愛情のことではなく
私自身のことです。
子どもの頃の私が欲しかった母の愛を
当然あるものとして
本来私が持っていた力や賢さを自覚して
自分の中に自信と希望が溢れる感覚でした。
それは本当に素晴らしい感覚です。

この体験は誰かに教えられたものでもなく、
自分で体験し感じて考えて
選んできたからこそ
得られた喜びだと思います。

このことはあくまで私個人の体験であり、
人によってさまざまな考えに至ったり
辿る方法があります。
それぞれの通る道は違くとも
自分が自分であることの喜びを
感じる瞬間に出会います。

「親の時間」で自分に向き合うこと。

時間はかかるけれど
難しいことではありません。
そして私には現在助け合う仲間がいます。

あっこ

※この文章は2022年12月に書かれたものです

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