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生まれた時から完全

6月は私の誕生日でちょうど
北海道神宮祭にあたります。

子どもの頃、誕生日になると
母に「私が生まれた時って、どうだったの?」
と聞いていたことを思い出します。

小柄だった母は、自然分娩が
無理だと言われていました。
そしてもし、自然分娩になると
母体か赤ちゃんの
どちらかが死んでしまうでしょう、と
言われていました。
そのために出産は帝王切開と
決められていたのですが、
その3日前突然陣痛が起こりました。
今と違って以前は、
北海道神宮祭が学校も病院もお休みで、
母が通う産婦人科もその日は休診でした。
入院はできたものの、
帝王切開できる医師は不在で
助産師が対応するだけでした。
お祭りは3日間もあります。
結局、母は3日目の朝私を産んだのでした。
あかちゃんは産声を上げず、
母はあかちゃんの顔も見せてもらえず、
結局自分は死ななかったのだから
あかちゃんは死んでしまったと
思ったそうです。

出産して3日後、
病室にあかちゃんが連れてこられた時に、
母は生きていたんだと驚いたそうです。
母にとっては、心も体も
辛い出産だったと思います。

「親の時間」を始めるまでは、自分のことを
死にそうだった子どもというような
弱々しいイメージを持っていました。
自分が出産する時も怖かったし、
あかちゃんの存在そのものが儚いと思って
緊張感を持って子育てしていました。

「親の時間」で向き合っているうちに、
どの人も足りないものはなく
完全で生まれてくるという言葉に
驚きと感動とともに、自分でもそのことを
認識するようになっていきました。

「親の時間」でおかあさんと一緒に来る
数ヶ月のあかちゃんを見て、
目から意思を感じたり、
表情や表現一つひとつが力強く、
あかちゃんって賢いなあと感じるようになり
あかちゃんだった私も同じだった
ということに気づいたのです。
そして、私は今でも十分に強くて、賢いです。

生まれたときから完全で、強くて、
賢いと気づくと、
自分が何か足りないような気がして
その気持ちを埋めようとすることに
エネルギーが使われなくなります。
なんだか分からないけど疲れる、
といったことがなくなります。
感情が豊かになり、愛情深く、
チャレンジ精神が出てきて、
勇気もエネルギーも湧いてきます。
多分、それが本来の人間としての姿だと
思います。
でも、時々そのことを忘れてしまうのです。
だから、今回ブログに書くことで、
忘れないようにできたらいいなと
思い書きました。

としみ

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