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わたしのままで大切な存在
15年前。
娘を白血病で亡くしてから
「親の時間」に出会うまで
私は、深い悲しみの中で
生きる気力を失っていました。
「親の時間」で沢山の
話をきいてもったり、
沢山泣いたりしているうちに、
子どもを亡くしたことで
幸せを全て失ったように
思っていたんだと気づきました。
もちろん、子どもとの人生の
中にも私の幸せはあります。
でも、それが私の幸せの全てではない
とも気が付きました。
自分の幸せの全てが子どもに
係っているとすれば、
子どもは親の幸せの為に
生きなければならないし、
子どもを亡くした人、
子どもを持たない人は
幸せになれないという定義に
なってしまい、それは
本当ではないと思います。
「親の時間」で話を聞いて貰い、
仲間の話を聞きながら、
社会にある概念を生きるのではなく
自分が考えて創り出す
自分の人生について
色々と思うようになりました。
子どもを亡くした可哀相な
母親の私に留まらず、
「私にとって本当の幸せとは何だろう」
そう考えるようになったのです。
何物にも依存せず、自ら得ることが
出来る幸せがあると思い始めたのです。
私は時々充実感と共に、
万物に対して感謝の気持ちが
溢れてくることがあります。
それは「私はわたしのままで
大切な存在だ」と心から思える時です。
この感覚は、褒められたとか
評価された時に得られる
嬉しいものとは違って、
自分の中から湧き上がってくる
自信にも似たような感覚です。
この「私はわたしのままで
大切な存在だ」という
気持ちは私が命を授かったときから
持っていたのではないかと思います。
しかし、誕生と同時に社会の
価値観の中で育ち、私よりも
社会の概念の方が正しく、重要だと
教わった結果、「私はわたしの
ままで大切な存在だ」ということを
思い続けるのが難しくなって
しまったのだと思うのです。
それは、この社会が
「私はわたしのままで大切な存在だ」
ということから
かけ離れたメッセージで
溢れているからに違いありません。
結果的に娘を亡くした私は、
幸せにはなれないと
思い込んでいたし、生きることが
難しくなってしまったのだと思います。
「私はわたしのままで大切な存在だ」
というメッセージを持って生まれたことを
思い出しましたが、実際に
どう生きていくことがそうなのか
全てをまだ理解してはいません。
でも、その答えも私の中にあると思うので
「親の時間」の仲間と助け合って
取り戻していきたいと思います。
としみ