『自分探し』のはじまり
『自分探しの旅』のはじまり
ボクは、毎日幸せに暮らしていました。絵を描いたり、歌を歌ったり、飛び跳ねたり、家の中や外で自由に遊び回ったりして、自分がやりたいという好奇心のままに一日中楽しく過ごしていました。それはそれはとても幸せな時間でした。
しかしある日、学校というところへ行くことになりました。その学校には先生という人がいました。そして、先生はボクたちにこう言いました。
「遊んでばかりいては大人になってから困るのはあなたたちよ」。思ったまま立ち上がったり、好きなことをしようとしたりすると、先生はたくさん教えてくれました。「これからは机に座って勉強をしなさい」「あいさつの声が小さいですよ」「どうして他の子と同じことをしないの」「そんなこと誰もしていないでしょ」「授業中は静かにしなさい」。
その日からボクは、机に向かって座っていなければなりませんでした。一日中、勉強をしなければならなくなりました。漢字を覚えたり、算数というのをしなければならなくなりました。テストというのもしなければいけません。川で魚を捕まえる時間はなくなりました。
図工の時間は絵が描けるというので嬉しくて大好きな空の絵を描きました。思ったまま山吹色一色で描きました。とても心地よい気分でいると先生がやってきて「空はね、こうやって描くのよ」といって水色と白で空の書き方を教わりました。水色と白で空を描くことができるようになったけど、絵を描くことが楽しく感じられず、絵を描くことが嫌いになりました。
また先生がやってきて言いました。「今日の体育は、校庭を10周走るよ~」。野山を駆け回るのは大好きだったけど、なぜか同じところをグルグル走らなければならなくなりました。しかも、速く走った人が褒められ、苦しくて歩いていると1周追加で走らなくてはいけませんでした。歩くとなぜか怒られるので、我慢して10周走ることができるようになりました。しかし、走ることは嫌いになりました。
ある日、また学校で不可解なことが起こりました。社会の勉強で、配られたプリントの穴埋め問題をしました。「こんなことをして何の意味があるのですか?」と先生に聞くと、「覚えておくと将来役にたつんだよ」といいました。「どんな役にたつの?」とボクは聞きました。「一般常識だから、このくらい覚えておいた方がいいんだよ」と先生は言いました。「一般常識だから・・・ですか?」とボクが聞くと先生は答えました。「みんなやっていることだからね。今度テストで出すから覚えておくように」といって、宿題が出されました。ボクは家では好きなことができるので、宿題というものは興味がなくしませんでした。次の日にテストというものがありました。ボクは、まったくわかりませんでした。でも全然気にならなかったけど、先生は「宿題をしないからですよ。」と言いました。ボクは、宿題をするようになりました。今は昔よりもたくさんの“ジョーシキ”というヤツがわかるようになりました。しかし、もうボクには楽しく遊ぶ時間はありません。好きなことを考える時間もありません。その様子を見て、親や先生が満足そうに言いました。
「この子も、ようやく幸せな人生の道を生きるようなったな」。
そうやって大人が丁寧に教えてくれた生き方をするようになりました。ボクは大学というところに行きました。ボクは、先生が言っていた“将来のための準備”というのを一生懸命にやってきました。これで大丈夫だと思っていました。大学生になって、将来の進路を決めるときに、「お前の好きなことをやればいいんだよ」といわれました。ボクの頭は真っ白になりました。自分の好きなことがわかりませんでした。
自分が好きなことをやるとダメだと言われ、好きなように行動すると押さえ込まれ、好奇心のままに動くと“ジョーシキ”という枠に押し込まれ、好きなことをやってはいけない人生を生きてきたボクは自分探しの旅に出るしかなかったのです。
めでたし、めでたし?
さて、「ライフクエストスコーレ」という学校を聴いたことはありますか?長野市に9月よりスタートした、人生を探求する学校です。
興味のある方は、信州親子塾までお問い合わせ下さい。