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私から見た学科の友達(人間味編)

こんばんは。お盆休みが終わりましたね。
早いもので、スズムシが鳴き始めました。もうそろそろ、秋の訪れです。

さっき、大学の学科の先輩の文章を読んで、久々に感想を送ったら返事があったので、その返事を記憶にあるその先輩の声で再生したら、なぜだかぽろぽろ涙が溢れてきました。そういう瞬間は、あなたにもありますか?

私の大学の、学科の友達は本当に不思議な人たちだと思う。変人ではない。不思議なのだ。
ここ数年、休学をして大学以外の世界を色々見た。同世代の他大学の友人、大学には行かなかった友人、そういったキャンパスから一歩離れた同世代を見て、私の大学の友人はあまり表立って取り乱さないことがわかった。

20歳前後、私のがっつりキャンパス時代には、それなりに色々なことがあった。恋愛を含む人間関係のゴタゴタ、嫉妬、将来への不安、未熟なりにぐちゃぐちゃとした感情がお互い見え隠して、それを飲みの場や教室、公園、色んな場所で共有した。

でも、今になれば周りは社会人だから本音を隠すスキルも上がったし、恋人が出来た、別れたの報告はあるものの、「そういえば恋人ができたんだ」「ああ、別れたよ」くらいでおしまい。無駄絡みしたり、長々と惚気たりが無くなった。
私と距離を置いている可能性も否めないが、そういう話より仕事の話とか、自分の人生の話が多くなった。

逆を言えば、キャンパス外の友達はすごく人間的な部分を露呈してくる。恋人が出来れば報告したり、間のゴタゴタも事細かに説明してきたりしてくるし、別れたら取り乱してくる。私も恋愛に関しては、特にこちらタイプだ。だが、そういうのが、大学の学科の友達にはあんまり無い。

多少の愚痴はあっても、苦労話もあまりしない。スマートだと思う。大学の友人たちは、自分の気持ちはあまり吐露しないけれども、内なる闘志があるのはわかっているし、表情から色々嫌味を言われたり、苦労したりしていることも察している。

私の通う大学は、世間的には優秀といわれている。だが、早慶とかMARCHよりも若干(?)認知度が低いときもあって、当事者として微妙な立ち位置だなと思うことがある。その絶妙な感じを、学生たちも醸し出している。
私は推薦入試だが、周りは私よりもお勉強が良くできる。賢いのだ。賢いし、努力もしてきたけど、どこか第一希望ではないみたいな人もいて、そういう陰がある節がある。でもそれを大っぴらにはしない。

就職先も、望み通りに受かっても大っぴらにすることはない。卒業後の集まりも、短時間で終わったりあっさりしている場合もある。
でも、「いつもインスタ見てるよ」とか、報道関係や書く仕事に就いた友人、業界は違えどずっと文や、カルチャーにこだわりと誇りを持ち続ける友人、消えることのないそういう内なる青い炎があって、私はそれを見るのがすごく好きだ。恋愛も、きっとみんな一筋縄ではいってないのだろうけど、それを見せたくないプライド。だが、絶妙に漏れ出ちゃう不器用感。そこがたまらなく好きだ。

学科への愛を語れば、またそれでひとつ記事が出来てしまうので後にするが、人間的にも私は大学の友人が好きだ。正直ひねくれてると思うこともあるが、それも含めて大好きだ。
なんだかんだ、私の話も興味を持って聞いてくれるし、敬意も持ってくれる。良い友人を持った。

みんな、元気かな。頑張っているの知っているよ。私に認められても、嬉しくないだろうけど笑。君は君らしく、自信を持って人生を進めてほしい。私は友人たちと、いつだって対等でいたいと思ってもらえるように日々毎日を頑張りたい。

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