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綺麗事

こんにちは!親子丼です。
暑かったり、寒かったり寒暖差激しすぎて、風邪ひきそうです。
みなさん、体調は大丈夫ですか?

本日は、こちらの続編です!

私の亡くなった祖母の家の、遺品整理計画も早いもので4ヶ月経った。

家を出て新宿駅まで行く明け方の空は、少しずつ暗くなってきて、新宿から栃木までの高速バスの道のりにある田んぼは、鮮やかな新緑からいつしか新米を実らせ黄金色になっている。

計画も第2段階に入った。これまでは、箪笥にびっしり詰まった遺品たちを、ゴミ袋にひたすら詰める作業だったが、現在は大量に生産されたゴミ袋をごみセンターに出す作業になった。

私を手伝う友人の軽トラは思ったよりも、ごみを乗せることができる。家からごみセンターまでは、片道40-50分である。地方の4-50分は都内の4-50分の倍くらいの距離を走る。いくつもの田んぼを辿って、もくもくと白い煙を上げる大きなセメント工場を通りすぎ、ずっと山奥へと登って行く。助手席で目にも新しい光景を眺めながら、祖母の火葬場もずっと山奥だったことを思い出した。

どんどん物がなくなって、箪笥や押し入れの一段一段が空っぽになっていく。いざ物がなくなると、本当に無くなってしまうんだという何とも言えぬ喪失感がある。
人が亡くなるとき、葬式では死人ではありながらも遺体という物体に対面することはできる。だが火葬されるとただの骨になって、いよいよ本人が亡くなったことを実感する。もう元に戻ることは絶対にないのだと実感させられる、その感覚がみるみる蘇っていく。物が無くなっていく清々しさと同時に、捨ててしまったら元には戻らないのだ、という不可逆性に責任がずっしりと重い。なので私は母に何度も、これは捨てて良いのかという確認をする。

よく「人は亡くなっても、残された心の中で生き続けるから死ぬことはない」と言われる。だが、そんなものは綺麗事だ。たしかに私の心の中に、祖母は生き続けている。友人に手紙を書く癖も、染め物の色合いが美しいと感じる感性も、隔世遺伝によるものだ。でも人が亡くなって遺品だけがこの世に残り、その人の残り香がある遺品すら捨ててしまったら、本当にその人はこの世から消えてしまうのだ。この言葉が本当なら、私は帰りのバスでどうして、悲しくなってしまうんだ?どうして、ぼろぼろ涙を流してしまうんだよ?

遺品整理は、歴史的発見があって楽しいこともたくさんある。だがずっと、そこはかとなく悲しい香りが漂っている。物がどんどん無くなって、通気性が良くなっていく部屋を、私は拭き掃除し始めた。シンク周り、階段を拭いていく。掃除をして綺麗にしておけば、まだそこに人が住んでいるように私には感じられる。まだそこに、祖母の面影を感じられる。家が蜘蛛の巣だらけになって、物も無くなったら、家すら死んだも同然だ。

まだ物は残っているのに、私が謎のタイミングで拭き掃除を始めたので、友人は一瞬不思議そうに見つめていた(ような気がする)。他の人といる時は、愛想よく社交的なくせに、友人はいつも、私と2人のとき会話が少ない。良く言えば察しが良いし、悪く言えば聞き下手である。軽トラの中でも、全然私に質問をしてこない。ただ、自分が話したいことをぽろぽろと話すだけだ。どうせ私が話したところで、「は?」と言われたりか、興味持たれないこともざらだから、もうそれで良いかなという諦めもあるし、私も結局疲れすぎて話していないから、私の配慮不足である。

でも友人なりに私の姿を見て色々思うところがあるのだろう。6月に私が墓参りをしたいからと足を頼んだ時も、ぶつぶつ文句を言っていたが、私が懸命に墓を拭き掃除している時は、背後でじっと黙って私のことを待っていて、線香をあげていた。

私は友人を信じている。普段は何も言わないし、連絡不精だと思うこともあるけれど、もはやそれでいい。基本私は自分の事に夢中だから、むしろその方が良い。暇を見つければ前日にでも電話をかけてきて、赤の他人の家にもかかわらず、まる5日も積極的に掃除に付き合ってくれる友人のことを、私は心から信じている。  

綺麗事が嫌いだ。言葉はとても好きだけれど、綺麗な言葉で、人の悲しみや悔しさを見なかったことにしようとする浅はかさが、行動力がないくせに一丁前に口だけは達者なそんな自分にそっくりで嫌いだ。
だから、そんな私とは正反対に、言葉は少ないけれど行動力がある友人を私は信じる。

遺品整理は、綺麗事だ。
家を空っぽにして、拭き掃除してピカピカにする。祖母の存在を、先祖の存在を、この世から綺麗に消すためじゃない。祖母が、先祖が、確実に生きていたことを証明するために、まるでまだ彼らが生きているかのように、部屋も、箪笥も、そして墓も、敬意を払ってピカピカにする。

祖母や、先祖や、友人は、きっとこの先も私に言葉で多くは語らないだろう。でも、言葉では語れないものが、この世の中にはたくさんあることを彼らはいつも私に教えてくれる。

この計画もそろそろ折り返し地点に来た。
きっとこの先も私1人では絶対に走りきれないし、紛れもなくこれは友人がいて初めて成り立つ計画だと思っているから、本当に感謝している。

悲しさとか寂しさとか、正直苦しい感情も色々あるけれど、これをやり遂げることは私の信念だから、絶対に負けたくない。本当は面倒になったこともあったけど、亡くなる直前、私に真新しい成人式の振袖を卸してくれた祖母への私なりの恩返しだから、絶対に投げ出したくないんだ。独りよがりの信念に付き合わせて申し訳ないけど、ここまで来たらできれば最後まで、友人と一緒に遺品整理をやり遂げたいな。

おしまい

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