ひとりが好きな農業サラリーマン
1人でいることが好きだ。
冒頭から薄気味悪いが、ここに悲しさや寂しさを感じてほしくはない。むしろスッキリとした爽快感や簡潔感を全面に押し出していきたい。押し売りは好きではないが、押し出していきたい。
1人暮らしをしてから2、3年になるが1人暮らしって最高だな〜、みたいな上京したての大学生あるいは新社会人になりたての1人暮らしくらいのテンションが今日に至るまで一日たりとも下がったことがない。つまり、1人でいることに全く飽きないのだ。
好きな時間に起き、好きなものを食べ、好きな場所に行き、気が変わったら躊躇なく予定を変更できる。血も涙もない予定の切り捨て方をしたりするが、それでも誰にも関係ない。「え?それを楽しみにしてたんじゃないの?それありきの今日なんじゃなかったっけ?」みたいなことでも気が変われば予定立てした過去の自分を無視してすぐ帰ったりする。
部屋では音楽や動画を好きなタイミングで再生して1人で爆笑したりしっとりできるし、読書だっていつまでも静かな空間でできる。部屋の掃除もずっと綺麗な日が続いてオシャレな生活してると感じようが、汚い中で過ごし夜な夜な眠たい目擦りながら見たこともない田舎特有の虫と戦ってようが、誰にも関係ない。自分だけの世界ではやりたい放題、なのだ。
言えば言うほど強がってる感じが出てしまうが、これは本心でそう思う。
最近同級生や先輩後輩が結婚ラッシュで結婚式への招待の連絡、さらには出産の連絡がありがたいことに良く来る。家庭を持ち、人と歩んでいく覚悟を持つ人は本当に尊敬する。だって絶対人に合わせる優しさとかあるし、出会いからの物語が素敵そうだし、出産とかもう泣いちゃうし。何より懐が深いというか、包容力が備わっていると思う。
しかし元々パーソナルスペースが広い私からすればその決断は、謎である(バッサリ。大失礼、うるさい)。
元々人といることに憧れが薄かったが農業を始めてからさらにそれがうっすーくなったのは間違いない。なぜなら農業こそ「何かに合わせる仕事」と感じているから。
例えば、種蒔きの時期が迫ったら肥料撒いて耕さなきゃ、
この大きさになったら芽かきしなきゃ、
収穫まだ先だから草とらなきゃ、
雨降る前に収穫しとかなきゃ、
まだ畑凍ってるからこの作業できないわ、
暑すぎての消毒できないわ、
みたいな。ほとんど全ての作業は人間が天候や作物に合わせる受動的な仕事でそれに影響された反動で仕事以外の空間の能動的自由を求めてるのかなと思う。
うん、この感覚は間違いない。
近々気分転換に引っ越しを考えている。より自由な空間へ。よりやりたい放題の世界へ。1人の冒険はまだ始まったばかり。。。。大袈裟。
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