鎮静
ネットで癌の末期患者には「鎮静」という方法があることを知りました。
遠方の姉にも状況を話し同意を得た後、「鎮静」してもらうことができるかどうか医療コーディネーターさんに相談しました。
これを決断するには相当悩みました。私自身初めてというくらい号泣しました。
父の人生を私が閉じてしまって良いのか、この判断は簡単なことではありません。
2回目の点滴を終えたあと、症状の改善がみられない父は看護師さんに「睡眠薬が欲しい」とお願いしていました。「早く眠りたい」それが父の希望であるのかなと察し、その時が来たら「鎮静」を選択してあげたいと考えてはいました。
在宅医療となって相談できる人が増え、助けられることもありましたが、できることは薬の投与以外にはなく、すぐさま効き目が出るような特効薬を期待することは難しいものでした。在宅医療は、患者や家族の「我慢」の上に成り立つものなのかもしれません。
コーディネーターさんからは「できますよ」との回答。
早速自宅に訪問してくれて、意思を確認されました。
ただ、薬が効くかどうかはわからないということ、一晩はかかるかもしれないということで、考えうるあらゆるリスクの説明を2時間以上は説明を受けたと思います。注射をしてすぐにと思っていましたが、そう簡単ではないようです。
私には今日の夜を眠らずして乗り越える自信はありませんでした。
母も疲れており、交代で面倒をみるような余裕はありませんでした。
色々思い悩み、病院でも鎮静してもらうことができるという説明を受け、病院に相談し、受け入れができないようなら自宅でやろう、と判断を病院に任せることにしてしまいました。自分たちでは判断することは困難でした。
コーディネーターさんが病院に電話すると受け入れてくださることに。
17時までに到着して欲しいということで時計を見ると16時40分。
悩む暇なく119にダイヤルし、10分もせずに到着しましたが・・・
父は息を引き取っていました。
バタバタとしている間に、父は誰にも気づかれることなく、命のスイッチを切ってしまったのでした。
それはいかにも父らしい最後だったように思います。
母はあんなに苦しい中で、短い時間で苦しみで終えることができたのだから本当に良かったと思うよ、と言ってくれましたが、私の選択が正しかったのか、今も・これからもずっと心には残ると思いました。いつか「父はどうしても病院に行きたくなかったんだね」と笑い話となる日が来るのでしょうか。
在宅医療に関わってくださった皆さんは、本当に優しく、できることを的確にしてくださったと思います。けれども、突然のことで、本人はもちろん家族も何をしたら良いのかわからない中で、選択肢が少なく、決断の全てを家族が追わなくてはいけないのが現状であり、それは容易なことではないというのが感想でした。
ベストではなかったかもしれない。ベストとなるよう最大限の努力は重ねたし、できることを精一杯やり切ったつもりでしたが、振り返ると「あの時ああしていたら」という後悔も次々と湧き出てきます。
退院の時に在宅医療という選択肢の提示、その後起こり得ることなどをもっと話すことができたら、「その日に向けて」準備ができていたのではと思いますが、治療を治すのが使命の大学病院においては、その選択肢がタブーとなっているのは大きな問題だなと感じました。
人はいつか亡くなります。もしかしたら助かる命だったのかもしれないけれども、治療をしない=あきらめ という1択であってはいけないと思うのです。
在宅医療を選択した家族が「鎮静」という選択肢を自ら切り出さなくても良いように、自宅で看取りたいと思った家族が最後には救急車を呼ばなくてもよいそんな世の中になって欲しいと心から願っています。