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お葬式

父が人生のエンディングを迎えました。あっけないほどあっという間でしたが、あの苦しみからようやく父が解放されたと思うと皆が安堵し、心の底から「お疲れ様。これまで本当にありがとう」と思える大往生だったと胸を誇れる最後だと思えました。

病院へは搬送せずに、在宅医療のコーディネーターの方がすぐにきてくれて、色々な手配を行ってくれました。主治医の在宅医療の先生も到着し、父の死を確認いただき、死亡届をもらいました。姉も急いで実家へ駆けつけ、涙で慰めあいました。
まだ暑さもあるため、葬儀会社の安置所へ預かっていただきました。色々あって終わったのは夜11時近く。長い長い1日でした。私は翌日は疲れでずっと布団で寝込んだまま立ち上がることができませんでした。

翌日、姉が母と一緒に葬儀会社のオフィスまで行ってくれて、葬儀の手続きを済ませてくれました。お葬式は行わず、直葬のシンプルなプラン。「死んでも誰にも連絡しなくて良い・お葬式もしなくて良い・お墓もいらない」と言っていた父でした。世間的にはなかなかそうはいきませんが、コロナの影響もあり、こういった父の価値観を実現しやすい社会となったことは一つの慰めだったかもしれません。

コロナ感染拡大もあるのか、火葬場が混み合い、5日ほど待つことに。
お願いした葬儀会社には、「面会」と言って事前に連絡しておけば、いつでも父と対面できるサービスがあり、私は翌日に、姉は毎日父に会いに行っていました。ゆっくり家族水入らずの時間を過ごすことができ、とても良かったなと思います。

ひげを剃ることができず伸び切っていた顔もスッキリとして、とても安らかな表情で眠っている父の姿に、涙が溢れてきました。いつかはお別れする日が来ると思っていたけれど、こうやって対面すると色々な思いや思い出が浮かんできます。
「闘病は壮絶だったけれど、最後は安らかな表情だった」と癌闘病記を読むと書かれていますが、その意味が今理解できたように思います。死までの道のりは本当に壮絶で、苦しいものなのだと思います。だからこそ、「安らかな表情」であることに救われるのだなと、言葉の深さを実感するのでした。

火葬の日、これとない晴天の清々しい秋晴れ。さすがは晴れ男の父らしく、見事な青空でした。棺の中に入れる花束の中に、父がベランダで愛情を持って育てていたナデシコの花を母・姉・私がそれぞれ1つづつ、手向けました。
毎年1、2つぐらいしか咲かないナデシコが今年は5つ、3つとたくさんの花を咲かせてくれました。「ナデシコの花が咲いたよ」とベランダ越しに花を見せると、父は本当に嬉しそうな表情をしていました。
父らしい、優しい気持ちになれるお葬式で見送ることができたことに皆が満足できるものでした。

父の死は、日本の平均寿命でみたら早かったかもしれませんが、父は十分人生を謳歌し、幸せな人生でした。最後まで食べたいものを食べ、散歩での季節の花々を愛し、クラシック音楽や貨物列車の時刻表などの趣味を堪能し、家族が苦労なく安心して過ごすことができたのですから。この数年は視力も落ち、膝も悪くし、歩いたり立ち上がることもやっとで、老いを感じる日々だったと思います。「自分の力で行う」ことを大切にしていた姿を見てきた娘としては、年齢で測ることはナンセンスであると思うとともに、葬儀の規模や出席者の人数でもないのだと。

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