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在宅医療に至るまで
父の退院から1ヶ月、本当に元気でした。
入院で体は痩せほそり、筋肉が一気に無くなりましたが、「必ず元気になるぞ」という気力はしっかりしていて、大腸癌の食事療法を守りながら、3食よく食べ、昼・夜とお酒も楽しんでいました。
退院後、お祝いにとお酒を1杯楽しみ、体調に変化がないことを確認したのか、昼から飲んでいて、「人口肛門になったら困るから、お酒はやめたら」と苦言を呈したこともありましたが「飲めるうちが花」と受け入れず、母も私も眉をひそめつつ黙認していました。
9月上旬にワクチンの1回目接種の予約を行い、徒歩で30分ほどかかる病院に1時間かけてゆっくり母と歩きながら往復する元気もありました。入院でかかった保険手続きも一人で全て行い、ワクチン接種後の抗がん剤に向けて、病院そばにあるホテルに宿泊すると意気込んでいました。本当は、退院後すぐに抗がん剤をする予定でした。8月はコロナ患者も増えていて、体力が落ちた父は重症化しやすいリスクもあり、ワクチン接種後に行うこととなりましたが、予約ができず苦労しました。(リスクがあるのになぜ病院で優先接種できないのかと、河野太郎ワクチン大臣にもメールしたくらいです!)
ワクチン接種を待たずに抗がん剤治療をしたほうがよかったのか、今もその判断はわかりませんが、9月下旬から徐々に食事ができなくなり、おかゆとヤクルト、薬(毎食ごとの大建中湯2砲、マグネシウム錠)のみがせいぜいと食事量が目に見えるように減っていきました。
10月1日(金)
次回通院となる10月7日には自力で通院できなくなるかもしれないと病院へ相談。水と尿が出ているのであれば大丈夫という看護婦さんからの回答(えっそうなの?と衝撃の回答でした)。主治医の先生は木曜のみなので,病院に来てもらっても点滴をすることしかできないということで、一旦は様子を見ることに。
10月5日(火)
固形物はほぼ受け付け不可となり、水をかろうじて舐める程度となり、再度病院へ電話。来れるなら来たほうが良いと言われるも、父は病院へいったらそのまま入院となって家族と会えなくなることが本当に嫌なようで、「通院日に行けば良い」と頑なに拒否。どちらにしても主治医がいないので二度手間となるのも困るため、対応に悩みます。
10月6日(水)
病院の患者サポートセンターに相談。この調子だと自力で病院へ行くのは難しいし、週1日の主治医の先生での対応や症状を理解しない看護婦さんに毎回説明することが大変だから、在宅医療体制に切り換えたいことを相談しました。主治医の先生が診察しないと切り替えることが難しいという真っ当な回答をいただきましたが、希望を伝え、速やかに対応できるよう体制を整えてくれることになりました。
10月7日(木)
父は朝目を覚ますと、開口一番「病院には行けないと連絡して」と。「病院に行って在宅に切り替えないと、お父さんに何かあったら、警察が来ちゃって大変なことになるから、病院に行こうよ。在宅に切り替えるから入院は絶対ないよ」と説得しても頑な。頑固な父なので、説得は無理でした。
病院へ父が自力では通院できないことを相談するも「主治医の先生が診察しないと」の一点張。最後は「救急車を呼んでもらって良いので、病院にきてください」とまで言われました。父の様子を見るとあまりにも可哀想。食事ができない末期の癌患者なのに、どうして在宅への切り替えにこんなに苦痛を与えるのか・・・
父の様子の写真を撮影し、家族の代理診察でなんとか在宅に切り替えられないかと何度も懇願し、なんとか許可をいただくことができました。
予約時間は過ぎてしまったため、午後の診察の合間に入れてもらえることとなり1時間ほど待ったあと、主治医に状況を説明します。主治医も朝から通院患者の対応に追われ、疲れ切っていました。この状況は予測できなかったのかとやんわり聞いてみましたが、「うーん」・・・この医者には、何を言っても何もできないのだろうな。早く在宅に切り替えてもらえるよう、否定はせずに、「水も飲めず、本人も死にたいと思っている状態で、家族としてもこのまま見過ごすことが辛い。症状が日々変化しているので、週1の主治医の先生では不安である」ということを切々とお願いし、無事に在宅に切り替えてもらえることになりました。
その後、前日に電話した患者サポートセンターへ。在宅医療と看護を紹介してもらい、手続きも全てそちらで対応いただけることに。介護保険の申請のため、そのあと、地域介護センターへ。閉館5分前に申し込み完了できました。
10月8日(金)
早速在宅医療の先生やコーディネーターさん、訪問看護・ケアマネさんが自宅へ来てくださいました。みなさんとても信頼できる方々で、父も少し元気を取り戻したようで、大好きな焼酎を夜、ちょっぴり舐めることができました。何よりも「困ったら24時間いつでも連絡してください!」という言葉に私自身が安堵できました。
10月12日(火)
リハビリベッドを搬入。これまでは、食事はできずとも食事の時間は同じテーブルを囲んでいましたが、これ以降、ずっとベットで過ごすことになりました。
訪問薬剤師、介護用品レンタル業者など業者ごとに説明を受け、契約書・振り込み手続きを行うので、手続きだけでも体力が必要です。
10月13日(水)
延命はしない、という話をしていた父ですが、最後の希望を繋げたかったのか、点滴を希望し、生理食塩水を点滴することに。あまり状況改善には繋がらず、吐き気も増えていくことに。
10月14日(木)
何かあった時のために自宅から近いターミナルケアへの入院手続きを医療コーディネーターの方から勧められ、準備。21日(木)に私が病院で手続きをする手筈となりました。「そこには行かない」と父は少し不満そうでした。
病院への紹介状の内容を読み、父の体の状況を理解しました。決してこれまでも楽観視していたわけではありませんでしたが・・・手術する必要があったのか、そんな状況でした。けれども、父は手術を選択し、抗がん剤治療に望みをかけ、しかも家族には伝えずに「なんてことない」と隠し続けてきました。娘として受け止めることはそう容易ではありませんが、父の意思を尊重してあげなくては、と思っていました。
10月15日(金)
2回目の点滴。午後、介護保険の調査員が訪問。結果は父の死後でしたが、調査は間に合い、介護保険で対応ができ助かりました。申請が1日遅かったら間に合わなかったかもしれません。
この頃から、体調が日々悪化し、一晩中吐き気で24時間介護が始まります。
10月16日(土)
夜中に倒れ、訪問看護師さんに来ていただく。夜中にもかかわらず、すぐに来てもらえたこと、手際の良さにとても助けられました。家族だけだったら、在宅にしていなかったらと思うと、、、
休日診療でしたが、お医者さんも往診いただき、薬(モルヒネ)を処方。
10月18日(月)
2〜3時間おきの吐き気が、10分ぐらいの頻度となり、家族の疲労も極度に。水分が吐き気の元となるため、口の渇きをいやすため、うがいを欲します。次第に血も混じるようになり、血の匂いを消すために常にうがいを繰り返します。
最初は氷を小さく砕いて、氷を舐める、という方法をとっていましたが、小さくするのが一苦労。よく冷やした冷水をスプーンで一口、飲むと吐き気につながるため、うがいに。吐き気があっても衣服を汚さないよう、口元にバケツが来るまでグッと我慢し続けた父。最後まで「迷惑をかけたくない」を貫き通す父の姿は尊敬するものであり、私もその思いに応えることができるよう頑張ってしまいました。
最後まで自らの力でトイレに行こうとし、衣服を汚さぬように吐き気を我慢し、自尊心を失わず懸命に生き抜いた父でした。
3日間ほぼ睡眠が取れず、私も体力が限界でした。父もほぼ睡眠できず、辛かったと思います。ケアマネさんに、休憩できるようヘルパーさんをお願できないかと相談しましたが、契約なども必要ですし、いきなり初対面の方に末期の癌患者を任せるのも無理な話ですぐには・・・ということでした。
その通りだと思います。
「親の介護は突然に」です。いくら事前に準備してもどうしようもない現実に直面しました。