サンタクロースとクリスマスケーキ
昭和50年代、私は小学低学年。日本でもサンタクロース、クリスマスが定着しつつあった頃。街はクリスマス商戦で、サンタクロース姿の店員が宣伝をしていた。クリスマスケーキが売られ、クリスマスツリーがおもちゃ屋の店頭を飾る。
学校でも同級生たちが、クリスマスパーティのことやプレゼントのことを話している。
自分には全く関係のない話だった。
うちは兄弟が多い大家族。プレゼントなんてものをもらったことが無い。誕生日でさえ、プレゼントもケーキもない。自分には関係ない話なんだと、なんとなくふてくされていた。
が、同級生のある一言に聞き耳を立て、真剣に聞いてしまった。
「サンタクロースがプレゼントをくれる。眠っているときに、そっと置いて行ってくれる」。
「えっ?、サンタクロース?、なんだそれ?」自分にはそのサンタクロースが判らなかった。帰ってから姉からサンタクロースって何?と、聞いてはじめて、街中で赤と白の衣装を着た人がサンタクロースだと知った。姉の話では、街中にいるサンタクロースは、衣装を着ているだけで「本当のサンタクロース」ではないらしい。
サンタクロースはクリスマスの日、子どもが眠った後、煙突から部屋に入って来て、くつ下に欲しいプレゼントを置いて行ってくれるという。とても信じられないこと。でも、自分は信じた。とてもワクワクしていたことを今でも覚えている。
クリスマスの夜、寝る前に窓のカギに自分のくつ下を引っかけて眠った。明日の朝はプレゼントがあるんだ。プレゼント、初めてもらえるプレゼント。とても眠れない、いつまでもくつ下を見ては、早く寝ようとしていた。
いつの間にか眠ってしまい朝を迎えた。寒さで目が覚めて、くつ下が目に入った。「あっそうだ、クリスマスプレゼント!」
抑えきれない嬉しさと、何が入っているのだろう?という期待感。
くつ下を握る。
「あれっ?」
くつ下の感触しかない‥くつ下をひっくり返すが、何も無かった。
「やっぱり」という感情とサンタクロースもプレゼントあげる人を選ぶんだ。ずっと他の家とは違う事は、わかっていた。
駄菓子屋で友達が買うお菓子を見ているだけ。
誕生日にケーキがない、プレゼントない
お年玉がない
お茶碗、お皿さえ、人数分ない
ないものを数えてもキリがない。
だからサンタクロースも来ないのも、そうなんだろう。
現実を知っても、ない物を、「あったらなあ」と夢だけが脳裏を巡っている。
クリスマスイヴは、なんでもない日となった。
ちょうど、クリスマス前日に小学校の2学期が終了する。2学期終了の前日に給食が2学期最後となる、給食最後の日、当時児童一人ずつ、ケーキが出る。それも箱付きである。持ち帰ってもいいということだろう。小さなケーキ、一人分だけの箱に入れて持ち帰ると、絶対に一人で食べられない。兄弟に取られてしまう。給食のケーキはバタークリームで、今とは全く違う。それでもケーキである。自分が食べられるのは、この時だけしかない。給食の時間に一気に食べた。とても満足だった。
そんなクリスマスケーキを食べた、数日後に思わぬところで、本物のクリスマスケーキが我が家にもやって来ることになった。本物である。丸い1ホールのケーキ、バタークリームだけど、上にはイチゴが乗っている。それも丸ごと1つずつだ。「Merry Christmas」と書かれたチョコのプレートが乗っている。すごい!!!
この話の数時間前、買い物に行った姉が、商店街で「100円」と書かれた値札のクリスマスケーキを見つけていた。100円?! 100円だ!
12月25日の夕方、確かに売れ残るくらいなら、売ってしまおう。たぶんそうだろうと。
姉は、母に100円のクリスマスケーキがあることを伝え、母も100円なら買って来てということになった。
姉は、すぐにケーキを買いに出た。
兄弟も自分も、初めて見る1ホールのケーキがどんなものか、想像していたのだろう。ケーキがまだ来ないうちから、皿代わりになるものを探している。
茶碗、汁椀、弁当の蓋、落とし紙を持ってきた弟もいた。スプーンやフォークなどない。指があれば食べられる。
1時間くらいたったころだろうか、姉が帰ってきた。
姉は手ぶらだった。
姉が、100円と思っていたケーキは、実は700円だった。
とても癖のある文字だったらしい。「1」と「7」の区別がつかない書き方だったらしい。
姉もまだ小学生だったころ、こんな書き方をするのは、初めてだったらしい。
我が家のクリスマスケーキは幻に終わった。
あれから、40年以上たった今、姉は毎年、クリスマスケーキを送って来てくれる。
あの時、自分や兄弟よりも、ケーキが買えない、悔しさを一番感じたのは姉だったんだろう。
ありがとう、姉ちゃん。今年もクリスマスケーキ届いたよ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?