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【あんなぁ、ママ、今日なぁ】 その2   八木商店著

あの日、父のもとを離れたのは私たちだった。でも、なぜかそれは真実ではないのではと思うこともある。父は自らの意志で私たちから姿を消したのではなかろうかと。でも、そうは思いたくない。父が私と母を捨てたなんて思いたくはない。ただの思い過ごしならいいのに……。

あのときの震えが父の肖像を払い落としてしまったのだろうか。両親の離婚の理由は知らない。横浜に引っ越して間もない頃、母は父との思い出を消し去るように父の写真を全て焼いた。夜皆が寝静まるのを待って母は庭に出た。物音で目を覚ました私は、開いた雨戸の隙間から一部始終を見ていた。零れ落ちる黒い灰を口に運ぶ母は異様だった。メラメラと燃え盛る炎を見詰めながら母は泣いていた。でもあの顔は笑っているようにも見えた。

化粧を落とした母の白い顔は炎でオレンジに染まっていた。風に靡く炎が母の顔を嫌な影で歪めた。涙で赤く腫れた目と、灰で真っ黒の口が顔の輪郭から飛び出して浮いて見えた。とても怖い顔だった。その日以来、母は私の前でも涙を見せるようになった。なぜ泣くのと訊ねると、

 

〈ようやく幸せな生活が送れるようになれて嬉しいの〉

 

 明らかに嘘だった。母は私に余計な心配をさせないようにわざとそんなことを言ったのだ。時折、私を見詰めながら涙を流す母は、本当は父との三人の生活を思って泣いていたに違いない。娘の私に気を遣う母の姿は哀れとしか言い様がなかった。子供ながらにいけないことを訊いたのだと思い、自責の念にかられたのを憶えている。今は母の気持ちが痛いほどわかる。

私も彼との別れの際、彼の写真を焼いた。それは彼との想い出を永遠なものに変える儀式だった。波打つ炎が端からじわじわと写真を焦がしていった。小さな炎は吐息でさえも靡いた。でも、全てを灰にするまで消えることはなかった。母は死ぬまで父を愛していた。その証拠に母は姓を変えなかった。横浜の祖父の姓は瀬川だったけど、私も母も四国の父と同じ日野を名乗りつづけた。私は疑問でならなかった。写真を焼き捨てたのは、父を忘れるためではなかったのか?

一時の感情の迷いで全てを無きものにしたことを、母は後悔し苦しんだのだと思う。母は最期まで父を求めていた。一目でいい、せめて遠くからでもいいからもう一度父をその目に焼き付けたいと願っていた。愛を身篭り、シングルマザーとして生きることを打ち明けたとき、母は泣いた。表情一つ変えない母の頬を涙が流れつづけた。母は何も言わず、泣き声すらも洩らさず私を見ていた。驚きと怒りが同時に母に襲い、母は瞬時に憔悴したかのように見えた。母は大きく頷き、覚悟を決めてくれた。嬉しかった。新たな生命を授かった喜びは長くはつづかなかった。

私の身勝手な振舞いは母の寿命を縮めることになった。母が癌に侵されているのを知ったのは、愛を身篭って半年後のことだった。余命三ヶ月。私の無茶を許してくれる人といられる時間はもうなかった。日々の喜びは瞬時に強い悲しみへと姿を変へ、私は絶望感で何も手につかなくなった。母が私に頼みごとをしたのは一度だけだった。母はやはり父をずっと思いつづけていた。

 

〈四国で死なせて〉

 

 母は父の傍に埋葬されたいと願った。そのとき初めて父がもうこの世にいないことも知らされた。ショックだった。四国に行けばいつか必ず会えると思っていただけに、今まで描いたものが幻想だと知り、言葉を失った。私は母の願いを叶えるために、横浜の家を売り、幼い頃暮らした町に古い家を購入した。母の魂を永遠に父と暮らした町に留めるためにも、どうしても持ち家でなければならなかった。

離れていた三〇年の間にもうすっかり町並みは変わっていた。それでも母は父との想い出が詰まった町に帰ってこられたことを喜んでくれた。母は泣いていた。でもそれが悲しみによるものではなかったので私は嬉しかった。母は喜びが色褪せることなくこの町に埋葬された。母に連れられて横浜に引き上げたときには祖母はもう亡くなっていた。

私には母方の祖母と触れ合った想い出はない。思い浮かぶのは仏壇に飾られた祖母の遺影を納めた写真立てだけ。でも、それを見たのも引っ越した頃のことで、いつの間にか知らないうちに片付けられていた。おぼろげに遺影の祖母は若かったように思う。私は祖母の顔すら知らない。祖父の家には祖母の写真は一枚も残っていなかった。

祖母は遠い存在だったけど、祖父は亡くなった今でもすぐそこにいるように感じるときがある。祖父の魂が私を見守ってくれているのだろう。目に見えない祖父の存在は私を安堵感に包んでくれた。そんな優しい祖父との想い出は沢山あった。祖父はどんなときも私の我侭を聞いてくれた。いつも私と母を守ってくれていた。私にとって祖父は実質お父さんだった。だからその死はとても辛いものになった。

愛の父親と知り合ったのは、祖父の死をようやく受け止められた頃だった。彼とは随分年齢が離れていた。彼からは私を癒してくれる何かが出ていた。今思えばそれは祖父に感じたものだったように思う。祖父の死後、仏壇には祖父の遺骨がずっと置かれたままになっていた。なぜ納骨しないのか不思議に思い、母に訊ねると、

 

〈おばあちゃんと一緒のお墓には入りたくないのよ〉

 

 母の言葉に耳を疑った。聞きたくはない言葉だった。なぜ? 全身を駆け抜ける衝撃が私から言葉を奪った。

 

〈昔からおじいちゃん、おばあちゃんと仲が悪くてね。亡くなったら別にお墓を設けてくれって。遺言になっちゃったわね……〉

 

 あんなに優しかった祖父が祖母と仲が悪かったなんて……。少ない身内の間でそんなことがあるなんて信じたくなかった。祖母の死因を知ったのもそのときだった。祖母は五〇代半ばで亡くなったそうだ。まだ若いのに……、なぜ祖母は自らの首に祖父のネクタイを巻きつけたのだろう。

 母も祖父も頑なに祖母の話題は避けていた。拭いようのないあの悲しみを思い起こしたくなかったからだろう。死を選んだ祖母は最期の最期に何を思ったのだろう? 自殺者が心を幸福で満たしてこの世を去るとは思えない。祖母の魂は無事に天国まで辿り着けただろうか? 私は記憶にない祖母を思うたびに、彼女の成仏を祈って手を合わす。癌を告知されたときに母が言ったこと、あれは遺言だったのだろうか?

 

〈お母さんのお墓におじいちゃんも入れてあげてね〉

 

 母は祖母については何も語らなかった。母に訊ねたわけではないけど、母は祖母を嫌っていたんだと思う。時折、祖父が祖母との想い出話をしたときなど、眉間に皺を寄せ露骨に嫌な顔をしたものだ。母がなくなると近所のお寺に小さなお墓を購入した。そこには母と共に祖父の遺骨も納めた。それが祖父の遺言だったとは言え、お墓を分けることに私は躊躇いがあった。私は記憶にない祖母に怨まれるのではないか。今でも時折思い出す祖母の遺影の写真立てに、いけないことをしたのではと罪の意識にかられるときがある。

 

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