見出し画像

㥯 《オン》(すぐそこにある闇) 第十五節

  『 㥯 《オン》 (すぐそこにある闇)』     八木商店著

 

第十五節

 

 部室に帰った三人は、僧侶の言葉に従って部員たちの家族に連絡を取り、事情を話した。実際電話を掛けながらも井上は上の空だった。

「いえ、もうそのお気持ちだけで結構ですから。私たちのことはそっとしておいて下さい」

 ガチャン!

 ほとんどの部員の家族が真剣に耳を傾ける者はなかった。しかし断れれば断れるほど、闘志のようなものが湧いてくるの三人は覚えた。三人はめげなかった。空手で培った不屈の精神は、こんな場面で姿を現わせることになった。携帯電話を耳に当てる三人には、亡くなった息子さんを横目に、部員たちを救う方法を懸命に考えてくれた僧侶の痛々しい姿が思い浮かんでいた。

可哀相なことしたなぁ…。俺たちが寺に行かなきゃ、あの住職も死ななくてすんだのに…。やっぱあのお爺さんや死んだ住職のためにも部員たちを助けてやんなきゃな。

 井上は柄にもなく自責の念に駆られていた。

 三人は何度断られてもしつこく電話を掛けつづけた。

「何もしないでこのままいるよりは、そうですね、あなたがおっしゃることを試してみても良いのかもしれません」

 ようやく一人、二人と話を受け入れてもらえるようになった。三人は部員たち全員の家族が承諾してくれるまで徹底的に粘った。そして部員たち全員の家族が無枯村行きを承諾してくれたときには、午後の九時を過ぎていた。学内は静まり、守衛らしき革靴の足音が遠くで聞こえた。無枯村行きは翌日の早朝五時。通勤の時間をずらし、集合場所は以前合宿のとき同様に武道館の駐車場ということになった。三人は明日佐々木が井上、横山を迎えにくる約束をして、それぞれの家路についた。

 横山がベッドに横になったのは帰宅してすぐの九時半のことだった。横山はへとへとに疲れた身体をベッドに倒すとそのまま深い眠りに入った。

ここは、どこだ? どこかで見たことがあるぞ。

 薄暗い建物の中にいた。足元に視線を落とすと、そこには土間が広がっていた。割れたガラスの窓越しに外の風景を見ている自分がいる。横山は土間に立ってもう一人の自分を見ていた。次の瞬間、横山の意識は窓に寄り添ったもう一人の自分の中に入っていた。

 昼間なのに外は曇っていてどんよりと重たい闇に包まれている。窓の曇りガラスはどれも割れている。割れた窓越しに外の明かりが仄かに見える程度で、建物の中を明るく照らすことはない。

それにしてもこの不気味な薄暗さには覚えがあるぞ。一体どこでこんな光景に出逢ったんだろう?

 夢の中で横山は、独り薄暗い建物の中を記憶の中に見える同じ光景を頼りに歩き回っていた。

 ギィー! ギィー! ギィーッ!

 板の擦れる音がどこからともなく聞こえた。

あ、この音! 覚えがあるぞ!

 ギィー!バタンッ! ギィー! バタンッ!

 建物の奥から木のドアが開いたり閉じたりする音がする。トイレのドアが風に押されているのだろうか?

こんな薄気味悪いところに、俺の他に誰かいるのか? さっきのギィー、ギィー板が擦れ合う音、あれは誰かが歩いたときに鳴った音だ。間違いない! 俺以外にも誰かいる!

 横山は耳を澄まし、音がした方向に進んだ。靴を履いたまま廊下を進む。体重が掛かっているのに廊下は板の擦れる音一つ立てない。横山は奇妙に思った。

あの音は廊下じゃなかったのか?

 ギィー、ギィー、ギィーッ! ギィー、バタンッ! ギィー、バタンッ!

 横山は再び奇怪な音を耳にした。

奇妙だ? 音は徐々に近づいているのに、俺が聞き耳を立てるとすぐに遠退いてしまう。俺を警戒している。俺に見つからないように、どこかで俺の行動を見張ってるようだ。

「おーい、誰かいるのか?」

 横山は恐る恐る呼びかけた。しかし、何も反応がない。奇妙な音は止んだ。静けさが余計にこの薄暗い建物を不気味に彩っている。

「おーい、誰かいるなら返事してくれぇ」

 カタカタカタッ!

 返答はなかったが建物の入口の引き戸が小刻みに音を立てた。横山は不審に思い、入り口のドアに駆け寄ろうとしたが、土間に戻った途端、咄嗟に物陰に身を潜めた。

あれっ? 表に人影が見える。音を立てたドアの割れた曇りガラスの隙間から、建物の中を覗いている人影が見えた。さっきから気味の悪い音を立ててたのはコイツだったのか? でもあの音はこの建物の中で響いていたと思うけど、やっぱり風のせいだったんだろうか? そう考えられないこともない。建物は隙間だらけだ。その隙間を縫うように外から風が至るところから吹き込み、不気味な音を奏でている。でも、ギィー、ギィーと板の擦れ合う音、あれはどう考えても廊下を踏み鳴らした音に思えたが。あれも風のせいだったのか? しかし、何してんだろう? あの人影は何んでこの建物の中を覗いてんだ? 何か用でもあんのなら入ってくればいいのに、突っ立ったままで奇怪しなヤツだ。

 横山は曇りガラスに映った淡い人影をじっと見ていた。

それにしてもコイツさっきから全然動かないなぁ。まるでマネキンのようだ。もしかして人形に服を着せて立たせてんのか? でもさっき聞こえた入口のドアをカタカタと鳴らす音は、今思うと風が当たった音とは思えないな。誰かが故意に揺らしたような感じだった。

 ガチャンッ!

何だ! どこだ!

 何かが床に落ちて割れる音がした。

何が割れたんだろう? ガラスか、それとも陶器? 割れるとしたらそんな物だろうな。奥のほうから聞こえたけど、猫か鼠でもいるのか? ぼろ屋だから猫や鼠が棲んでても奇怪しくないな。

 カタカタカタッ!

 建物の奥を覗き込んでいるとき、入口のドアを揺らす音が聞こえてきた。横山はすぐに入口のドアをじっと睨み付けた。

 カタカタカタッ!

 人影が動いている様子はない。なのにドアを故意に揺らす音はつづいている。

風? いや、風なんてさっきから吹いてないぞ! 割れたガラスの隙間から外が見えるけど、風で揺らいでいる物は何一つ見当たらない。しかし、俺も奇妙なヤツだ。そんなに外の人影が気になるのなら、開けて確かめてみればいいのにどうしちまったんだ? そうしない? そうしないんじゃない! ドアを開けて確かめるのが怖いんだ! でも、どうして? なんで俺は怖いんだ? 何に恐れを感じてるんだ? わからない。でもドアを開けるととんでもないことが起こりそうな気がする。多分、それはその入口のドアを見たときから、人影が映った曇りガラスを見たときから本能的に感じていたのかもしれない。そのドアは絶対に開けてはいけないんだ!

 カタカタカタッ!

どうしたんだ? 音が鳴り止まないぞ! なんなんだ! どうしてくれっていうんだ? ドアを開けて欲しいのか? でも、開けちゃ駄目だ! このドアを開ければ恐ろしいことが起こる! だから、どんなことがあっても絶対に開けちゃいけない!

 カタカタカタッ!

人影はまったく動かないのに、絶対にドアを叩いているように思える。どういうことだ! 本当にアイツはドアに触れてないのか?

 

 ドアヲアケテタシカメレバスムコトダロウ

 

 どこからともなく声がした。

「駄目だ! そんなことは絶対にできない!」

 

 ドウシテ? キニナルノナラアケテタシカメレバイイ

 

「そんなことしてみろ、絶対に恐ろしいことが起こるに決まってる!」

 

 ナニヲソンナニオソレテイル? ナニモコワイコトナドオコリハシナイ。サア、ドアニテヲカケテヤサシクヒイテヤレバイイ

 

「駄目だ、駄目だ、駄目だ! うるさい! おまえは誰だ!」

 

 カタカタカタッ! カタカタカタッ! カタカタカタッ! カタカタカタッ!

 

 横山が目を覚ましたのは暗い午前三時前だった。汗をびっしょり掻いて、魘されて目が覚めた。

「まだ三時前か」

 横山は寝起きの悪さを紛らわそうと、テレビを点けた。ちょうどそのとき携帯が鳴った。短く電話を切り、眠気を覚まそうとシャワーを浴びにバスルームへと向かった。

 横山が寝ぼけた頭を熱いシャワーで覚ましている頃、佐々木は井上の家に向かって四駆を走らせていた。

しかし、嫌な夢を見たよな…。

 まだ陽が射さない街を走りながら、佐々木は今朝がた魘された夢を考えていた。

あの不気味さ、まるであの民宿だ。どうしてあんな場面が夢に現れたんだろう? 昨日のから今日あの村に清めに行くことばかり考えていたからだろうか? それにしても、表に立ってた人影、あれは本当に人間だったんだろうか? それともただの人形? 恐くて確認できなかったからわからないなぁ。

 夢の中で佐々木は忌み知れぬ恐怖に怯えていた。

外に出ようと思えば簡単に出れたはずだ。でもそうしなかった。あの建物の外は危険に思えてならなかった。でも何故そう思ったんだろう? 以前から知ってたように思う。

佐々木はヘッドライトが照らす路面の先を追いかけていた。時刻は午前三時二五分。辺りで目につくものと言えば、信号機の赤と緑のライト、それに時折すれちがう車のヘッドライト。それ以外は暗闇に覆われて、まるで何もないように思えた。無枯村の夜はほとんど記憶にない佐々木が、松山に無枯村と同じ光景を見つけ出すことはなかった。

しかし、なんで俺は独りであんな廃屋にいたんだろう? あれは無枯荘だ。ぼろぼろになった無枯荘で一体何をしてたんだ? あのまま目が覚めないままだったらどうだったんだろう? 考えたくもないが、あんな薄気味悪い所で独りなんて夢とはいえ嫌だな。

 佐々木は背を丸めて長い吐息を吐いた。

俺は無枯荘の一階の店の部分、無枯商店にいた。夢の中では二階があることに気づかなかったけど、妙だな? 確かあそこは二階へと通じる急勾配の階段があったはずなのに、夢の中ではそれに気づくことはなかった。いや、気づくも気づかないも、そんな物はなかった。よくよく思い出してみれば俺がいた場所はちょうど階段があった辺りじゃないか? 俺はそこに身を伏せて、表で立ったまま微動だにしない人影をじっと見ていたんだ。まさか、アイツも俺が伺っていたように、外から俺を伺っていたのだろうか?

 時刻は午前三時三〇分。佐々木は空いた道を飛ばして割と早く井上の家に到着した。井上の家の前に車を停めると、携帯電話で井上に着いたことを知らせた。間もなく玄関に明りが灯り、井上が写真が入った紙袋を持って出てきた。写真は祟りを恐れる佐々木と横山に代わって、井上が預かっていた。時刻は午前三時三二分。

「早く目が覚めたもんでなきたけど、ここで寝たらもう起きられないと思って、おもえを起したんだが済まなかったな」

 佐々木は助手席に乗り込んだ井上に言った。

「俺も早く目が覚めたんでな。目覚ましのタイマーは四時にセットしてたんだが、三時前に目が覚めた。おまえから電話あったときは完全に目が覚めてたから気にするな。横山には連絡しておいた。アイツも起きてたよ」

「そうか」

 そう言うと佐々木は車の向きを換えて、横山のマンションへと発進させた。ハンドルを握る佐々木の口から幾つも欠伸が出た。それが気になった井上は訊ねた。

「寝てないようだな」

「寝たよ。昨日、帰ってすぐに風呂に入って寝た。横になるとすぐに眠りに就いたよ。でも、中途半端に目が覚めたもんだから、今頃になって急に欠伸が」

「いつでも運転代わってやるから」

「わかった」

 横山のマンションが見えたところで、井上は携帯電話で横山に近くまできたことを伝えた。車がマンションに通じる路地に曲がったとき、佐々木の車のヘッドライトが道路脇きに立つ横山を眩しく照らした。横山が後部座席に乗り込むと佐々木は武道館に向けてアクセルを踏んだ。

「皆きてるかなぁ?」

 不安気に言ったものの、横山の表情はわくわくしているようにしか見えなかった。

「きてるよ」

 欠伸を噛みながら佐々木が応えた。

「なんだ眠てないのか? 長いのに運転大丈夫か?」

 欠伸を噛む佐々木に不安を覚えて横山が言った。

「途中で俺と代わるから心配するな。おまえはぐっすり眠れたみたいだな」

 井上が言った。

「眠れたことは眠れたんだけどな、ちょっと夢で魘されたもんでだるい」

「へえ、怖い夢でも見たのか?」

 佐々木が訊ねた。

「怖いというか、気味の悪い夢だったなぁ。なんかよくわからんが見覚えのあるぼろ屋に俺独りいてな。誰もいないはずなのに、ギィーギィー、カタカタうるさくて。おまけに家の外から中を覗き込んでる変な人影がいるわで、妙に不気味だったんだ。何かに襲われるとか、殺されそうになるってもんじゃなかったけど恐かったなぁ。本能が身の危険を感じた、みたいな」

「夢の中のそのぼろ屋って見覚えがあるっていったよな?」

 佐々木が訊ねた。

「ああ」

「多分なぁ、それ無枯荘だぞ」

 佐々木は目線を前方に向けたまま無表情で言った。

「あ、やっぱそう思う? いやね、俺もそうじゃないかなあって思ってたんだよ。やっぱ今日向かう村のことが気になってんだな」

 能天気に横山は言った。

「あのなぁ」

 前方に武道館の屋根が見えたところで、佐々木がアクセルを踏み込みながらぼそりと言った。

「俺も見たよ」

 佐々木は無表情だった。

「見たって、何を?」

「おまえが見た夢とまったく同じ夢だよ!」

 それっきり佐々木は黙ってしまった。しかし、黙ったのは佐々木一人ではなかった。三人が三人とも忌み知れぬ目に見えない呪縛を感じて言葉を失っていた。助手席に小さく丸くなってシートに凭れ掛かった井上は、顔を窓側に向けて外の風景を見ていた。しかし本当は他の二人以上に顔を引きつらせて、身体全身に鳥肌を立たせて心の中で叫んでいた。

なんでだよぉっ! なんで三人が三人とも同じ夢を見てんだよぉっ! こんなことって有り得ないよ! 絶対にあっちゃいけないんだよっ! やっぱ、これは祟りなんだ! あの坊さんは祟りじゃないって断言してたけど、親の亡霊たちが俺たちが村に清めに行くことに怒っているんだ!

 

いいなと思ったら応援しよう!