㥯 《オン》(すぐそこにある闇) 第二五節
『 㥯 《オン》 (すぐそこにある闇)』 八木商店著
第二五節
「俺たちどうなっちまうんだっ!」
佐々木と民宿の主人との会話を黙って聞いていた横山が、震えながら佐々木に訊ねた。
「お、俺たちの中から乗り移る新しい身体を選ぶって…。い、井上、アイツはどうしたんだよ! どこへ行ったんだっ!」
憑坐は生身の若くて頑丈な人間の身体を要求してきた。一堂が会した部屋の中で憑坐の要望の条件に適う者は佐々木と横山の二人だけだった。それ以外の者は皆んな中年以上の肉体だった。かつて空手で鍛え上げられた肉体を誇った部員たちは、今ではもうほとんどミイラのように痩せ細って脆く、今にも朽ち果ててしまいそうだった。憑坐の要望を受け入れた家族の者たちが、佐々木と横山の二人にじっと視線を向けている。それはまるで獣が獲物を見つけたときのように、静かで慎重な眼差しだった。二人に向けられる視線にただならぬ危険を感じた二人は、後退りして部屋から急いで出ようとした。すると、
「お願いします! 息子を助けやって下さい!」
そう叫びながら、部屋から逃げ出そうとする横山の足に、一人の婦人が縋りついてきた。
「お、お願いです! あなた方のどちらかが身代わりになって下されば、ここにいる息子や他の皆さんも救われるんです! どうか皆を助けてやって下さい!」
気がつけば、佐々木と横山は縋り寄る家族たちに包囲されて逃げ場を失っていた。
「ちょっ、ちょっと待って下さい! 皆さん自分たちのことしか考えてないでしょう! 俺たちはどうなるんです!」
身勝手な家族の振る舞いに憤慨した横山が怒鳴りつけた。
「子供さんを助けたい親御さんの気持ちはわかりますよ。でも、皆さんのいってることは、僕たちに犠牲になれ、いいや、生贄になれっていってるようなもんじゃないですか! 自分で何をいってるのかわかってるんですか!」
佐々木も声を荒立てた。
「お二人も息子たちを、お仲間の部員の方々を救うためにここまでいらしたんでしょ! それなりの覚悟を決めて、私たちをここまで連れてきて下さったんじゃないんですか! ここにくれば救われるといったのは、あなた方なんですよ!」
「ここにくれば子供は助かると電話してきたのはあなた方のほうだ! 息子を救って下さい! お願いします!」
「あなた方のどちらかお一人が、身体を差し出せばここにいる皆が救われるんです!」
「お願いします! あなた方のことは決して忘れません! ですからその身体を差し出して下さい! 皆を救って下さい!」
理性を完全に失った家族たちは無謀な要求で二人に押し迫った。だがそんな要望に二人が素直に応じるはずがなかった。佐々木と横山は傍に寄る家族を武力で払い退けることを決意した。しかし二人がそうすればそうするほど、家族の者たちは哀しみ憂いだ顔で縋り寄ってきた。
「さ、佐々木! このままだと殺られるぞ!」
「ふざけやがって!」
「どうする?」
「殺られる前に殺るしかねぇだろっ!」
佐々木は横山にそう応えるなり、正面に土下座して足を塞いでいた婦人の顔面に強烈な膝蹴りを叩き込んだ。佐々木の放った膝蹴りはもろに婦人の鼻を捉え、大量の血を流しながら婦人は微かな呻き声を上げてひっくり返って伸びた。それを茫然と見ていた横山も周りに座り込んだ連中の顔面に向けて、蹴りを次々と蹴り込んでいった。接近戦では力を使わずとも破壊力の強い肘打ちと膝蹴りを使うのが常識だった。無抵抗の者に武力を行使するのは、二人の心を相当痛めつけた。、しかし、二人は生き延びるために縋り寄る人々を打ちのめしていくしかなかった。
「ショートだ! ショートの間合いだ!」
佐々木の叫び声に合わせて、横山は改めて組み手構えに構え直し、相手の反撃に備えた。
「どうして私たちの気持ちをわかって下さらないんです!」
一人の中年男性が泣き叫びながら佐々木にタックルしてきた。
「ふざけんな! なんで俺たちが身代わりになんなきゃなんねぇんだよっ!」
佐々木は叫びながらタックルをしてきた男の顔面に、カウンターの強烈な右のストレートパンチを放った。佐々木の放ったパンチはもろに男の顎を捕らえた。男は上体を前に折れるように倒れて、口から泡を吹いて畳みの上で伸びた。
「あなた方は空手を弱い者を痛めつける道具に使われるんですか!」
泣き叫ぶ婦人の声が聞こえた。
「はぁっ? 何いってんだっ! てめえらは大勢で俺たちを生贄にしようとしてんだぞっ! 弱い立場なのはこっちだろ!」
横山は口から血を流す倒れ込んだ人々の脇腹めがけて、とどめの強烈な踵を踏み込んでいった。二人の攻撃に抵抗できず、家族の者たちは喘ぎながら部屋の中でのた打ち回った。
「お二人がその気ならこっちにも考えがあります!」
脇腹に手を当てた男が恨めしそうな目で睨み付けた。するとその男の言葉を受けるように別の男がゆっくり立ち上がった。
「口でいっても聞いては下さらんようですな。申し訳ないがしばらく気を失ってもらいましょうか!」
そう言ってヌッと立ち上がった男は、見るからにがっちりした体格で、格闘技の経験者に見えた。そしてどことなく誰かに似ているような気がした。男は二人の前に倒れ込んだ人込みを掻き分けて現われ、慣れた様子でファイティングポーズを取った。
コイツ、誰の親だ?
佐々木はふと考えた。
「あんた経験者か?」
アドレナリンを体内に充分満たした横山が横柄な口調で訊ねた。
「息子に教えたのも私なんでね」
男は不敵な笑みを浮かべて応えた。
「息子? 息子って誰だよ!」
眉を顰めて横山が訊き返した。
「サークルでは主将を勤めてると」
男はじわじわと近づいてきた。男の言葉に二人は一瞬ぞっとした。
ヤバイッ! コイツ、大沢のおやじだ!
二人は大沢から、父親はかつて一〇年間全国大会でベストエイトに必ず残る常連選手だったという話を聞いたことがあった。更に大沢の父親は刑事で、日々身体の鍛練を怠ることはなく、その刃金のように鍛え上げられた肉体を楯に、凶悪犯に立ち向かい何度も危険な目に遇いながらも、その鍛え抜かれた反射神経で大怪我に見舞われることはなかったと誇らしげに語る大沢を思い出した。
「ヤバイぞっ!」
横山が佐々木に小さく囁いた。勝ち目がないことに気づいた佐々木は、横山に目で合図して大沢の父親に捕まる前に部屋からなんとか逃げ出そうとした。だが先程まで畳の上で腹這いにうずくまっていた家族たちが、仁王立ちで部屋の出口を塞いでいるのに気づいた。
「畜生ぉっ!」
横山は怒りに我を忘れ、出口を塞いだ家族に殴り掛かっていった。だが、冷静さを欠き、思うような体制を整えることのできなかった横山は、右ストレートを繰り出す前に数人の男に抑え込まれてその場に頭からひっくり返ってしまった。倒れながらも横山は蹴り足をでたらめに放ちつづけた。横山は必死にもがいた。だが立ち技にしか精通していない横山が、倒れ込んだ状態でいつもの動きが取れるはずもなかった。横山は敢えなく取り抑えられ、ボディーに数発のパンチを貰ってへたってしまった。家族の中に苦しみもがく横山を気遣おうとする者は一人もいなかった。
「クッソーッ! 俺はこのまま殺られてしまうのかよぉっ!」
横山の悲痛な叫びが部屋の中で何度も反響した。佐々木は横山が抑え込まれているあいだ、大沢の父親と間合いを保っていた。
何やってんだよ、横山の野郎っ! 俺一人で大沢のおやじを相手にできるわけねぇだろっ!
大沢の父親は不適な笑みを浮かべて、既にロングの間合いにまで入ってきていた。
殺られる! このままだと確実に殺られる! どうすればいいんだ! 俺が今から一戦交えようとしているこのおやじは、空手の試合だけでなく刑事という仕事柄、実戦を数多く積んできているんだぞ! 当然ながら逮捕術も身に染み付けてる野郎が、俺を取り抑えるのは容易なことだ。このままでいいのか! 後1センチ近寄ればミドルの間合いだ。ミドルの間合いなら、腕を伸ばせば充分に俺の身体に触れることができんだぞ! どうする! 早くしろ! 早くこの状況から逃げる方法を見つけるんだ!
佐々木は大沢の父親と間合いを保ちながら擦り足で後退した。一瞬たりとも視線を逸らすことはできない。目を逸らした瞬間に、一気に間を詰めてなぎ倒されるだろう。いつまでも睨めっこのままで済まされるわけがない。
痺れを切らした大沢の父親が何か仕掛けてきたとき、追い詰められた精神状態で俺はすぐさまそれに反応することができるのか? 相手はベスエイトに一〇年間常連だった男なんだぞ! 恐らく俺の心はとっくに読まれているはずだ。早くなんとかしろ! 生き延びる方法を考えるんだ!
佐々木は背後を警戒しながら後退りした。
横山。そうだ横山だ! 何も俺が生贄にならなくてもいいんだよ! 俺じゃなくたっていいんだよな! そうだよ、連中が、いや、この不気味な人形が求めているのは、たった一人の生身の身体なんだ。多分、横山を抑え付けてる連中は、俺のことなんか見えてないだろう。横山という獲物を捕獲したんだからな! 俺が素直に横山を差し出せば、そうすりゃ俺は助かるんだ! そうすれば無闇に大沢のおやじと闘わなくても済むんだよ。でも、俺が考えていることって本当にそれでいいのか? それは許されることなのか? 良心の呵責? おいおい、この状況で何いってんだよ! そんなことに心を引き止められてたら、俺が生贄にされちまうぞ! 何を躊躇ってんだ!
空手の試合だってそうじゃねぇか! 試合のルールを最大限に利用して不利にならないように活かして勝ち残るのが真の勝者だろ! 勝つためには手段を選ばない。一本勝ちだろうが、判定勝ちだろうが勝ちゃあいいんだよ。潔さなんて勝負の世界では幻想でしかないんだ! 生き残るために、姑息な手段を取ることが悪いと誰が決めた? この際そんなことは考えなくていいんだよ! 大体、この村の子供たちの亡霊に期待を持たせたのは横山じゃねぇか。コイツが温泉であんな約束さえしなければ、こんなことにならなくて済んだんだよ。子供たちを松山に連れてく約束したのは横山なんだからな。自業自得だよ! あのとき俺は子供たちとは約束なんてしてねぇんだ! やったのは横山一人だった。子供たちを向こう岸に連れてく約束をしたのは横山なんだよ!
すべての問題を引き起こしたのは横山じゃねぇか! 向井の挑発に乗って写真を撮ろうといったのも横山。コイツが短絡的に勝手な行動をしたことからすべてがはじまったんだ。素を糺せばこの村に合宿先を決めさせたのも横山だった。コイツは井上が慎重に部員たちに意見を伺っていたときも、さっさと決めてしまえといって道場から一人出ていったじゃねぇか! 横山のせいであのとき加藤も最後まで友人の話をすることができなかったんだ。俺たちをここまで苦しめたのはこの横山の短絡さ、それのせいなんだよ! だから俺が横山を生贄に差し出すことに、良心の呵責を覚えることなんて何一ねぇんだよっ!
横山は空手の稽古だっていい加減だったじゃねぇか。完全にファッション感覚で取り入れてたよ。稽古は無断で休むことも多かったし、部の仕事はすべて後輩に押しつけて自分では何もやろうとしなかった。いつも調子のいいことばかりいって、厄介な仕事を俺たちに回してきた。畜生! コイツが、コイツが俺たちをこんな状況に陥れたんだっ!
佐々木は横山の今までの愚行の数々を、腸が煮え繰り返す想いで思い返していた。
畜生っ! 絶対に許さねぇ! コイツは責任を取る義務があるんだよ!
佐々木はそこまで想いを巡らしたところで、身体の緊張を解いて大沢の父親に笑顔を見せた。そして、
「わ、わかった! 俺たちの負けだ! 本当のことを話すから許してくれ」
佐々木は大沢の父親に組み手構えを解いて両手を挙げて叫んだ。
「本当のこと?」
訝しげな目で大沢の父親は佐々木を睨み付けた。刑事の人を疑う目がそこにあった。
「部員たちをここに連れてきたのは全部この横山なんです! コイツのせいで皆奇怪しくなってしまいました!」
そう叫びながら佐々木は倒れ込んだ横山を指さした。佐々木の声に部屋にいた全員の視線が横山に注がれた。
「えっ? な、何いってんの、佐々木。どうして俺なの? 俺が何を、何をしたっていうんだよっ! おい、佐々木! おまえどうしたんだっ! 佐々木っ!」
横山の呻く声が部屋に響いた。涙を流しながら横山は佐々木に救いの眼差しを送った。横山のその目は佐々木には哀れむ者に向けられる眼差しに見えていた。
「な、何いってんだよっ! おまえは自分がやってきたことを忘れたのかっ!」
佐々木の声は震えていた。無意識に横山を売ったことに対する罪悪感が声を畏縮させていた。
「おまえ、俺を、連中に売ったのか?」
横山の顔が一瞬にして凍りついた。
「おまえが素直に応じればここにいる皆が救われるんだ! 俺も救われるんだよ! 今までの罪滅ぼしだと思って、黙ってその身体を差し出せばいいんだ!」
佐々木は横山と視線を合わさなかった。
「お、おまえ、それでも空手マンかっ!」
横山の悲痛な叫びは佐々木には耳障りでしかなかった。
「はぁ? おまえにそんなこといわれたくねぇよ!」
佐々木は苦しみ喘ぐ横山を、血走った涙目で睨み付けた。そこにいつもの穏やかな佐々木の眼差しはなかった。
「俺を売っておまえだけがここから助かろうなんて…。そんなこと俺は絶対にさせねえからな!」
横山は不気味な笑みを浮かべて佐々木を睨み返した。
「おまえは神様になれるんだぞ! 有り難く思えやっ! 人形に代わって新しくここに祀られるんだ! 祀られる身体は一体でいいんだよ!」
佐々木は膝が震えているのが自分でもわかるほどだった。何か今まで感じたことのない不気味なものが、心の奥底から身体全身に這いだしているように感じられて寒気で凍りそうになった。
「ハッハッハッハッ! 人形の代わりになるのは俺じゃねぇよ。ハッハッハッハッ! …なるのはおまえだよ」
突然横山がけたたましい笑い声を上げた。
「とうとう狂ったか! 俺が人形の代わりをするだとぉ! ふざけんじゃねぇよ。代わりになるのは俺じゃねえ、おめえだよ、横山!」
佐々木は気が狂れた横山に心底おののいた。佐々木の目に映る横山は、将来に絶望を確信した、哀れな生き物に見えた。
「おまえは何もわかってないようだな」
横山が笑いを堪えて腹を抱えて佐々木に言った。
「おまえ、俺を脅してるつもりなのか? ハッハッハッ! 狂ったおまえのいうことなんかに、俺がビビるとでも思ってんのかよ!」
佐々木は横山を睨み付けて一喝した。
「人形の代わりになるのは俺じゃないよ、うん、、俺じゃない。なるのはおまえだからね…、本当だよ」
突然横山の口調が静かで優しいものに変った。
「チッ! 往生際の悪い野郎だぜ! 死なないだけでも有り難いと思えってんだよな!」
佐々木は舌打ちしながら吐き捨てた。
「俺は誰も俺を救ってくれようとしなかったことを絶対に忘れないからね。おまえら全員を呪ってやるよ。この民宿も、この村も、ここにやってくる人間もすべて呪ってやるから。佐々木、人形の代わりを勤めるのは俺じゃなくておまえだよ。最後に教えてやるよ。おまえは不戦勝で決勝まで勝ち進めたんだよ。俺が試合を辞退したからね」
横山がそう言い終わったかと思うと、意気なり口から血を噴水のように吹き出して全身をばたばたと痙攣させてのた打ち回りはじめた。
な、何だ! 横山、コイツ一体何したんだ? 何で口から血を噴いてんだよ? ま、まさか! おまえ、まさか! 嘘だろっ! そんなわけないよな! そんなことするはずないよな!
佐々木は横山の身に何が起こったのか気づいて愕然とした。
キャー!
婦人の一人が鼓膜を破るほどの高音で悲鳴を上げて、横山の傍から飛び離れた。
「し、舌を噛み切ってる!」
畳がみるみる内に、横山の口から噴き出す夥しい鮮血で黒く染まっていった。
「て、てめぇ!」
泣きながら佐々木が横山に飛び掛かろうとした。しかし次ぎの瞬間、佐々木は背後から強い力でしっかりと羽交い締めにされてしまった。そして透かさず倒され、抵抗する間もなく手足をロープできつく縛られた。
「お友達は死にましたよ」
背後から大沢の父親が佐々木の耳元で優しく囁くように言った。
嫌だ! 嫌だ! 嫌だ! 絶対に嫌だ! 俺が身代わりだなんて、そんなの絶対に嫌だ!
我を忘れて狂ったように佐々木は暴れた。
「お願いします! 何でもいうことを聞きますから助けて下さい!」
大勢の家族に全身を抑え込まれながら佐々木は泣き叫んだ。
「友達は死んでしまったんです。私たちを救えるのは、もうあなたしかいないじゃありませんか!」
大沢の父親は諭すように言った。
「お願いです! 僕は怪我してるんですよ。傷ついた身体の僕を、こんな薄気味悪い部屋に、人形の代わりに一人で閉じ込めるなんて止めて下さい!」
佐々木は必死に命乞いした。
「あなた一人でこの部屋に閉じ込めたりはしませんよ。私の娘はたった今息を引き取りましたから。娘だけじゃない。他の方々もです」
向井の父親が涙を堪えて、一言一言噛み締めるように言ってその場に崩れ落ちた。抑え込まれながら佐々木は部員たちを見た。
み、皆、死んでしまったんだ。
「誰も救われなかったじゃないか! 皆、死んでしまったんだよっ! だからもう俺が人形の代わりにならなくてもいいだろっ!」
佐々木はもがいた。
「いいえ。あなたにはここで亡くなった私たちの子供たちを、向こう岸まで送ってもらわないといけませんから。そうじゃなければ亡くなった子供たちが本当の意味で救われませんよ」
「何で俺なんだよ。アイツもまだ生きてるじゃねぇか」
佐々木は体力的に抵抗することはできなかった。もう気力も萎えていた。だが、ふと漏れた自分の言葉に生きる望みを見出した。佐々木は血路が残されていたことに気づいた。
俺の他にもいる! もっと頑丈な身体のヤツが! アイツはどこへ行ったんだ? この部屋にはいなかったけど、でも外は土石流の海だ。絶対にこの建物の中にいるはずだ! そうだアイツを差し出せばいいんだ! 写真を写したのはアイツだったんだし。そうだアイツも責任を取る義務があるじゃないか! アイツなら俺を救ってくれるに決まってる! だってアイツは三年生の中でも一番責任感の強い男だから。だから大沢の面倒臭い要望にも応えてやろうと懸命だったんだ。井上ならどんな仕事でもちゃんとやってくれるはずだ!
「い、井上君がいます!」
そう叫んだ瞬間、佐々木を抑え込んだ家族の腕の力が弱まった。佐々木はその一瞬の隙をついて、抑えた腕を振り払って部屋の外に転がり出た。勢いよく部屋を飛び出し、廊下に出たが井上の姿は見えなかった。佐々木が部屋を飛び出した後、すぐに家族の者たちが後を追ってきた。佐々木は人間性を失った家族の姿に心底震え上がった。家族の捕まえようとする腕が伸びてきた。それはまるで写真から伸びてきた亡霊の腕そのものに見えた。そしてもう駄目だっ! と目を閉じた瞬間、足元がふらつき勢いよく階段を転げ落ちてしまった。
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