【けっ、け、け、け、け、けぇ】 その4
【けっ、け、け、け、け、けぇ】 その4
オバサンの舞に魅せられているあいだは限りなく永遠に思えた。
ヘルメットの二人組に手足を押さえつけられ力任せに帯を解かれ、着物は乱暴に捲くし上げられると素肌が露にされた。恥じらいもなくオバサンは舞いつづけていた。
決してオレに助けを求めようとしないオバサン。灰色に曇った瞳は店頭に並んだ死んだ魚の目のようにオレを見つづけていた。その頑なな姿は一層オレをやりきれない気持ちにさせた。
ヘルメットの二人組みは舞いつづけるオバサンを軽々と持ち上げて、鳳凰の間から逃げるように出ていった。
公然と拉致されていくオバサンは惨めだった。披露宴の招待客は無情にも誰一人オバサンに救いの手を差し伸べようとしなかった。
オバサンは何処へ連れて行かれたんだろう?
メイちゃんの嫉妬は怖いけどオレはバレないように気にした。
「メイちゃん、オレ、ヒトが拉致されるの初めて見たよ。可哀想にね」
もぉーっ!
頬を膨らましたメイちゃんは今までにないほどの怖い顔だった。
「あ、ごめんごめん、別にあんなオバサンなんてなんとも思ってないから」
嫉妬深いメイちゃんはオレが他の女性に優しさを見せることすら許してくれなかった。
オバサン、
あんたは何も悪くなかったのにね……。
ただ、周りに迷惑を掛けるほど酔っ払ったのがいけなかったんだよ。
オレは心でそう呟いた。
何気に席が一つ空いた。オレは空いた椅子とオレのを二つ並べ、その上に胡坐をかいて座った。履き慣れないオペラシューズを脱ぎ捨てると、コメカミの辺りがスゥーと軽くなり、オバサンへの思いも消えてくれた。
することもなくボーッと眺める。すると前方向かって左の方に一際盛り上がっている席が目についた。
おや?
その席に限り、どいつもこいつも見たことのある顔だった。どういうわけか、月曜日から金曜日の主に日中に合わす顔ぶればかりではないか。
ヤツラも招待されてたのか……。
てっきり会社仲間で招待を受けたのはオレだけだと思っていたが、よくよく考えてみればそんなわけないよな。
そこの席だけ宴会のノリだった。空いたビール瓶やらウィスキーのボトルを、鼻や目の穴に押し込んで腹踊りしてるヤツもいる。
嗚呼、なんて楽しそうなんだろう。
本当ならオレもあの輪の中でワイワイできていたかもしれないのに……
どうしてオレは誰も知り合いのないこのテーブルだったんだ?
不意に湧き起こった疑問はなんとも言えない不気味な不安になってオレを包み込んだ。
式に夫婦で出席したからなのか?
そう思ったが夫婦でデザートのソフトクリームをナメナメしている後輩の姿が見えた。
どうやらオレがここに隔離されたのは、なにもメイちゃんと一緒だったからじゃなさそうだ。
じゃあ、なんで?
「ここが禁煙席なのはご存知だったでしょ!」
突然なんの前触れもなく入れ歯のオバサンの連れのオバサンが話しかけてきた。
「ええ。新郎のココちゃんとは縁が近いものでね。このことは誰にも話しちゃダメだぞっていわれてるけど、今日は目出度いからサービスでお話しましょうね。
ココちゃん曰く、彼とオレとは腹違い兄弟なんですって。あっちはツルッパゲでオレはフサフサあるからとても血が繋がっているとは思えないでしょうが、それは仕方ないかもね。だってオレのお袋はフランス産のピレネー犬で、ココちゃんのお袋さんはゾウガメなんだもの」
ココちゃん顔を合わす度に会社の人間には絶対言っちゃダメだよ! わかったかって、ボディーに一発入れるのは止めて。
「何いってるんです! あなたと新郎との御関係なんて訊いてないわよ!」
なぜか連れのオバサンは怒った顔でオレの目を睨みつけた。オレたち兄弟の秘密は興味ないのかしら?
じゃあ何がお好みなんだ?
「じゃあ、どんなお話をしましょうか? マダム」
「はぁ! あのね、今運ばれた大金持ちの奥様はタバコアレルギーだったのよ。あなたが場所を弁えずにスパスパスパスパ吸いまくったから発作を起こしたんじゃない!」
「タバコ荒れる、ギーって?」
タバコの煙の芳しさに興奮して荒れるのはオレもそうだから理解できるが、語尾のギーって何だ? 沖縄かそこらの方言か?
ま、そんなものはどうでもいいとして、兎に角入れ歯のオバサンがオレに情熱的なダンスを披露してくれた理由がわかってなによりだ。
突然踊り出すものだから変だと思っていたけど、タバコって吸ってる側も気持ちよくなるよなぁ。そのままトランス状態に陥って本能の赴くままに肉体を振り乱したくなる気持ちはよくわかる。
早とちりなオレは情熱的なオバサンの視線につい思わず現実を踏み外すところだった。
「大金持ちの奥様はね、掛かりつけの名医様から今度大きな発作を起こせば命はないものとお思い! とアドバイスされてたのよ!」
さっきからこの連れのオバサンは入れ歯のオバサンを大金持ちの奥様と言っているけど、どうも怪しい。もし本当に大金持ちの奥様ならオレのアドバイスには素直に従ったはずだ。オレの知る限り大金持ちの奥様はどいつもこいつも聞き分けが良かった。
オレは去年までは営業部にいた。成績は常にトップクラス。交渉能力は全国の支店の中でも常に上位三位以内に入り、社内でも憧れの的だった。オレが狙うのは必ず大金持ちの奥様と決まっていた。
オレが営業スマイルで一声掛ければ、皆んな文句一つ言わず1本30万の物干し竿を一本と言わず、纏めて一ダース買ってくれた。
会社の裏山に生い茂っている青竹に【京都産超高級物干し竹】と彫っただけで、大金持ちの奥様たちは簡単に騙せた。
しかし、え、ちょっと待て……
それにしても冷静に思い返してみれば、断られたのはあの入れ歯のオバサンが初めてじゃないか……?
うん、やっぱそうだ。それくらいしか思い浮かばない。
「大金持ちの奥様が死んだらあなたが殺したと110番してやるわ! いいわね、覚悟なさい!」
連れのオバサンが突然立ち上がり、仁王立ちして周りの目も気にせず恐ろしい形相でなんか言った。
「まぁまぁ、奥さん、彼を責めてもしかたありませんよ」
二人がどんな仲なのか知らないけど、さっき喧嘩を売ってきた眼鏡オヤジがオバサンを諭しはじめた。このオヤジったら、第一印象は良くなかったけど意外と良いヒトなのかもしれん。
オレは赤色のワインをコップに注ぎ、溢れたところで一気に喉に流し込んだ。深呼吸を何度かゆっくりして、
「そうですよ。連れのオバサン。そこの眼鏡オヤジがいうように、オレを責めてもしかたありませんよ。周りをご覧なさい。タバコの煙が雲を作っていないのはこのテーブルだけじゃありませんか。仮に入れ歯のオバサンが死んだとしても、この状況で果たしてそれがオレの吐いた煙のせいだといえるでしょうか。
残念ながらオレには関係ないことですよ。マダァム。ま、とりあえずもし死んだら連絡くださいな。誰が殺したのか死んだ本人を問いただしてやりますから」
オレは眼鏡オヤジに左目でウインクを二回送って、興奮したオバサンに言った。
オレの落ち着いた口調で連れのオバサンの煮え立つ感情は見事に鎮火した。するとどうだろうそれ以降もう二度と因縁付けてこなくなった。眼鏡オヤジはオレを意識してか恥ずかしがって目を合わせようとしなかった。
一段落ついたところで、何を考えていたんだろうと記憶を辿ってみる。目に浮かぶのは向かいに座った眼鏡オヤジの照れた顔。何とも言いようのない心のヴィブラートを感じる。
これって何?
ま、まさか、オ、オレ、このオジサマに……
青い陽射しの下、オジサマと手を繋いで全裸で洗濯物を干す光景が浮かんだ。
「い、いかーん!」
受け入れがたい光景に背筋が凍る。頭を激しく前後左右ついでに斜めにも振って、忌まわしい幻影を脳内から振るい落としてやろうとしたけど、そうすればそうするほど意識して映像はより一層鮮明になってしまった。
「お、落ち着けぇ! ここは一先ず深呼吸だぁ!」
目は完全に眼鏡オヤジウイルスに犯されてしまったようだが、かろうじて脳が損傷を受けた様子はなかった。
とにかく目の前にちらつく幻影を無視することに集中して、耳を澄ますして聴覚に全神経を集中させることにした。
視覚から聴覚へのギアチェンジがスムースにいったせいか、目の前はテレビのタイマーが切れたときのように突然真っ暗になり、とたんに御袋譲りの耳は辺りのありとあらゆる音という音を拾いはじめた。
騒音を肌に感じながら、オレは無我の境地を楽しんだ。
ふと、耳を澄ませば聴こえてくる♪ と詩とメロディーが同時に浮かんだとき、変な鳴き声が鼓膜を引き裂いた。
イデェーヨ! イデェーヨ!
目を開けてその変な泣き声の主を探す。
前の席の方でホテルのおねえさんに公然と悪戯していた会社の先輩が、悪ふざけして落とした目玉を自分で踏み潰して大人気なくギャーギャー泣いていた。
その先輩を指さして周りの連中は腹を抱えて笑っている。同僚の一人が真面目な顔で先輩の空いた両目の穴に輪切りにしたゆで卵を入れてやってたけど、なかなかサイズが合わなくて入れてはすぐにポロッと落ちた。
そのときふとさっきブルーになった理由がわかった。
あ、そうだった。オレ、会社の連中と同席じゃなかったから、仲間外れにされたと思って悲しくなったんだ。でもよくよく考えてみればオレってココちゃんの身内なんだから近縁席にされて当たり前なんだよねぇ。
危うくオレの勝手な思い込みで鬱になるところだった。
「今日は賑やかだねぇ。何の祭りだい?」
突然、同席のミイラみたいなジジィが喋った。死んだ置物かと思ったのに生きてたんだ……。
「あらあら、おじいちゃんたら、今日はココちゃんのお誕生日でしょ。もうボケちゃってヤーね」
横のカバババァが笑顔で言ったかと思うと、透かさずサイババァが、
「おやおや、ココちゃんの入学式じゃなかったのかい?」
ミイラにカバにサイ。揃いも揃って皆んなココちゃんから間違った案内状を貰ったようだ。そう言えばさっきの式のときにこの三人は見なかったように思う。
「あのぉ、オレとメイちゃんは結婚式だと聞いてきましたけど」
ちょっと不思議に思ったので、三人に絡んでみることにした。すると、オレが言うのを待ってましたとばかりに眼鏡オヤジも輪の中に入ってきた。
「私もそうです。ちゃんとほらチケットにも書いてありますよ」
眼鏡オヤジはジャケットの内ポケットから披露宴のタダ券を引っ張り出すと、三人の前に置いた。
ミイラもカバもサイもふむふむといった感じで、そこに書いてある内容に目を通している。その様子をオレはじっと見ていた。
するとミイラが何を思ったのかカバに、
「ばあさんや、この紙はどうやって食うんだね?」
「小さく千切って食べるのよ。おじいちゃんたらいつも食べてるのにすぐに忘れちゃうんだから。オーホッホ! 年はとりたくないわねぇ。あ、ちゃんと噛んでくださいよ。喉に詰まったら大変ですからね。オーホホホホホ」
そのときようやくミイラがヤギだってことに気づいた。
「ちょっとぉ! さっきから聞いてりゃ、あなたたち何いってんのよぉ! 忘れたとはいわせないわよ。ああ、奥様ぁ! 大金持ちの奥様! アア」
入れ歯のオバサンの連れのオバサンがおかしなことを叫んで泣き崩れた。素直に仲間に入ぃれーて! って言えば青眼で迎えてやったのに。年甲斐もなくわざと嘘泣きしたから容赦なくシカトしてやった。
「うっ、メェェェェェェー!
ばあさんや、こりゃどこの紙だね? わしゃこんなに美味ぇぇぇぇぇぇ紙は初めてじゃよ」
あーあ、何だかなぁ……
カバの言う通りだぜ。年って取りたくねぇなぁ……。
マイペースな年寄りを見ていつかはオレもあんな風になるのかと思うと生きることがつまらなくなった。
なんとなく、死にたい気分がするのは気のせいか?
オレって別に生きなくてもいいんじゃない?
そう思ったとき、耳の奥で内に秘めた燃え盛る太陽がオレの影を焼き殺す音が聴こえたかと思うと、その太陽が語りかけてきた。
〈やぁ、ナイスチュー・ミーチュー! ところで影を焼く音なんだけどぉ、シュッ! にする? それともジュッ! にする? どっちか好きなの選びな!〉
太陽に質問されたのは産まれて初めてだった。オレは迷った挙句後者を選んだ。
〈じゃあ、容赦なくいくぜ!〉
〈あいよ!〉
威勢のいい太陽だった。
〈ジュッ! ジュッ! ジュッ! ジュッ!〉
〈熱ちっ! 熱ちっ! 熱ちっ! 熱ちっ!〉
オレの影の泣き声が聞こえた。
それはとても切なく、死ぬまで耳に残ってそうな音だった。
こんな音に耳を澄ましていると頭がどうにかなりそうだったので、気分転換に改めて現実を見詰めることにした。
今日はココちゃんとダチョウの嫁さんとの結婚式。ココちゃんはダチョウの嫁さんとどんな家庭を築いていくんだろう。オレは水牛のメイちゃんと四人の子供に囲まれて普通の家庭が築けて良かったなぁ。
メイちゃんとの出会いはオレが言うのも何だけど、すっごくドラマチックだった。すべては五年前、当時付き合っていた彼女にふられて独り自分を取り戻す旅に出たときからはじまった。