見出し画像

けっ、け、け、け、け、けぇ(その5)完結

【けっ、け、け、け、け、けぇ】  その5

 

 向かったのは日本の左下にあった石垣島。

 首都から島までは飛行機に乗った。一度どっかで乗り換えたけど何て駅だったかもう忘れた。

 七月初旬の石垣島は暑かった。空港を出たとたん、身を焦がす太陽がオレの来島を歓迎して熱いキスで迫ってきたけど、ハートブレイク中のオレは無愛想に手で追い払った。今、思えば何て失礼なことをしたんだろうと反省する。

 独りあてもなく天然のプールのように澄んだ海を見ながら海岸線を歩いていると、百姓が田んぼで弁当食ってるのが見えた。そのとたん、ハートブレイク中にもかかわらず腹の虫がガヤガヤ騒ぎはじめた。

 そう言えば飛行機の予約を入れた三日前から何も食べてなかった。その瞬間、一気に空腹感がオレの全身を蝕みはじめた。そうなるともうハートブレイク中で喪に服しているどころじゃなかった。目に映るもの何もかもが皆食いもんに見えた。

 何をどうしてそうなったのかわからなかった。ただ物事の全貌が明らかにされたのは飢えから解放されたときだった。

 潮の香りを乗せた風が脇の隙間をすり抜け、風鈴が風に揺られるがごとく伸び放題の腋毛が靡くのがくすぐったい。

 ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン、ブ~ン

 大きな銀蝿の御一行様がオレの口や目や鼻や耳や眉毛に集ってうっとうしい。せっかく海を見ながら昼寝でもと思ったのに、こう集られちゃあそれどころじゃない。とりあえず顔に留まったヤツから虱潰しにパンパン叩き潰していく。

 無我夢中で叩きまくっていたら顔中に蝿の屍骸がへばり付いて、おまけにグーで殴ってたものだから顔は普段の倍ぐらいに腫れて目も開けられなくなった。次の瞬間、アゴに強烈な痛みが走ったと思うと激しく脳が揺れた。瞬間、醒めるような空と海のブルーが間近に迫って見えたかと思うと、突然真っ暗闇に包まれてしまった。

 どれくらい眠っただろう。傷ついた頬を湿ったヤスリで撫でられたような痛さで飛び上がると、目の前に光沢を放つ漆黒の美肌を露にしたメイちゃんが立っていた。

 どうやら自分で放った右アッパーで脳が半回転したんだと思うが、オレは気絶して深い深い眠りに就いてしまったようだ。

 普段のオレなら水牛を間近に見たら驚いたに違いない。でも百姓を喰って、ついでに骨まで残さずしゃぶっり尽くしたそのときのオレはメイちゃんに見詰められながら別の意味で驚いていた。

 なんて美しいレディーなんだ……

 元カノと過ごした日々が走馬灯のように目の前を駆け抜けていく。彼女と別れず今もラブラブでいたらどうだっただろう? そう思うともう少しで危うく最悪の人生を送るところだったんじゃないかと思え、別れたショックからようやく立ち直ることができた。

 モォー!

 勘が犬以上に鋭いメイちゃんは、出会った瞬間から焼きもちだった。オレが元カノの残像に心の中でさよならを告げている最中、ぷいと首を振って大きなお尻をオレに向けてシッポをほうきのようにフリフリした。

 彼女の名前を知ったのはそのときだった。

 お尻にカタカナで「メイ」と大きく焼印が施されていた。多分、いや、間違いなくメイちゃんをこの歳まで育ててくれたのは、オレが喰ったあの百姓だ。メイちゃんの育ての親はもうオレの胃の中だ。今となっては会うことも話すことも叶わない。明日ぐらいに変わり果てた姿でオレのケツから産み落とされると思うけど、もう前世のことなど覚えてないだろうから残念だ。

 オレとメイちゃんを引き合わせてくれた方の冥福を永久に祈りつつ、オレはメイちゃんに跨って島の観光に乗り出した。

 失恋旅行中に現地の女にフォーリンラブするなんて、あの日雨が降り注ぐ首都を飛び立ったときは想像もしなかった。

 石垣島の真夏の太陽はオレにふられた腹いせにメイちゃんを刺客に選んだに違いない。その采配は正しかった。もうオレはメイちゃんなしでは生きられない。ここまで自分を犠牲にしてもかまわないと思った女性に出会ったのは何度目だろう……? 数え切れない。

 メイちゃんと出会って三日後に結婚した。過去の経験を活かし、オレのことを相手によく知られる前に入籍を済ますことにした。式は挙げなかったけど、婚姻届は二人で島の役場に提出した。それは二人の最初の共同作業になった。

 出合って一年後に長女ムモちゃん、その次の年に次女ソセちゃん、そしてその次の年が三女ンケちゃんで、そしてその次の年に待望の男の子エゥフンができた。こんなに次から次に子供ができて嬉しいかと言うと、自分が生んでるわけじゃないから全くわからない。

 生んだメイちゃんはそこそこ嬉しいようだけど、子供の世話は絶対にしないから本心はどうなんだろう?

 石垣島での生活は三年に及んだかなぁ……。ゆっくりゆっくり一年かけて北上して首都に戻ったのは冬だったなぁ……。

 ココちゃんをツテに今の会社で働けるようになったのは良かったけど、定年退職するまでココちゃんのパシリって条件で裏口入社させてもらったのを素直に喜んで良いのか些か疑問が残る。

 あーあ、早くココちゃん死なないかなぁ。

 数年ぶりの首都の空気は臭かった。田舎育ちのメイちゃんは都会暮らしにホームシックになるかと思ったけど、意外に順応したのでビックリした。最近は自由が丘を散歩するのが楽しいようだ。

 島にいた頃は働き者の良い奥さんだったメイちゃんも、何処を向いてもコンビニだらけの首都の暮らしは、喰っちゃ寝ぇ、喰っちゃ寝ぇの毎日で、結婚当初引き締まっていた体格も今ではただのデブになってしまった。

 オレの予言に間違いなければ、近いうちにメイちゃんぽっくり逝くと思う。

 そうなったらそうなったで、また石垣島へ行ってメイちゃんパートⅡを拾ったらいいや。

 ああ、しかし何だねぇ。ココちゃんのダチョウの嫁さんもメイちゃんみたいになるのかねぇ……?

 なるだろうよ。もしならなかったらオレがくちばしを押し広げてエサを押し込んでやる。どんどん太らせてメイちゃんよりもデブにしてやるんだ!

 デブは臭いぞぉ! ココちゃん!

 鼻が詰まってても臭うぞぉ!

 ククククククッ!

 思わず笑いが込み上げてきた。

「アハ、アハ、アハハハハハハハハハ!」

 やっべぇ! 笑いが止まらねぇ!

「お、奥さん! 御主人どうなされたんです!」

「ゥンモォオー!」

 向かいの眼鏡オヤジがメイちゃんを引っかけようと何か言ったけど、オレがちゃんと言い聞かせているからメイちゃんは雄叫びを上げるだけ相手にしない。

「エヘ、エヘ、エヘヘヘヘヘ!」

 ああ、苦しい! 変なもの喰ったのかなぁ? だ、誰か笑いを止めてくれぇ!

「オホ、オホ、オホホホホホ! ゴホッゴホッ、ウッ! オエッ」

「キャー!」

 笑いを止めようと口を押さえるつもりが手を飲み込んでしまい、指先が喉ちんこに触れたとたんに今食べた物が勢いよく飛び出してきた。

「き、君っ、大丈夫かね!」

「オエーッ! オエーッ! ボゴッ! オエーッ!」

 口元を覆った指の隙間から、腹の中の物が噴水のように辺りに飛び散った。笑いは止まってくれたのに、今度はゲロが止まってくれなくなった。

 借り衣装のタキシードはゲロでビチョビチョになって湯気が立っている。

 臭っせぇ~!

 鼻を摘んだ指にもたっぷりついている。

 ありゃりゃ、こりゃ弁償だな……。

「だ、誰かぁ! またしても急病人だ! 早く救急車を呼んでくれたまえ!」

 眼鏡オヤジが真っ青な顔で叫んだ。

「いったい、この席はどうなっとるのかね! うわっ、臭っせぇえなぁっ!」

 あーあ、眼鏡、相当怒ってんなぁ……。

 あ、皆んなオレを見てるよ。あぁ、恥ずかしいぃ!

 しかし、どうにかならんのか! いくらでも出てくる。一体どれだけ腹に入ってたんだよ。ずっと断食してたのに、こんなに一杯何がでてんだ?

 白いテーブルにも吐いた汚物で湯気が立っていた。

 実に臭い。

 オレに釣られてカバもサイもヤギまでその場に貰いゲロしたものだから、テーブルの上は色取り取り見ただけで吐き気を催すすさまじい状態になっていた。

 眼鏡オヤジが引き出物の紙袋を抱えて逃げるように鳳凰の間を去って行くのが見えた。入ればのオバサンの連れのオバサンはオレが一発目を吐くのを見て、そのまま気絶してしまった。オバサンは気持ちよく鼾を掻いている。目が覚めたら多分またたちどころに気絶するだろうなぁ……。オバサンの衣装もゲロがかかってビショビショだ。クリーニング代を請求されてもシカトしよう!

「オエー! オエー!」

 ブ~ン、ブ~ン、ブンブン、ブ~ン!

 どこからともなく銀蝿の大群がやってきた。

 まるでメイちゃんと初めて会ったときのようだ。

 島の匂い、空の青、波の音が懐かしく思い出された。

「メイちゃん! ほらほら、オエッ! 見て、銀蝿だよ。二人の出会いを思い出さない? オエーッ!」

 喉元に込み上げる腹の中の物と声が交互に出た。メイちゃんオレが吐きつづけるものだから、こっちを向いてくれない。

「ねぇねぇ、懐かしいよねぇ」

 メイちゃんに伸ばしたゲロだらけの手にも蝿が群がっていた。

「ねぇ、メイちゃん、なんとかいいなよ」

 次の瞬間、とても硬い物が額のど真ん中に突き刺さった。すごぉく間近にメイちゃんの横顔が見える。メイちゃんの立派な右の角に血が伝うのも見える。

「あ、メイちゃん、そんなに頭振らないで! オレ、頭の中が痛いよ」

「ゥンモォオー!」

 角で脳ミソをミキサーされたせいか、今度はゲロを吐かずに言えた。

 ブ~ン、ブ~ン、ブンブン、ブ~ン!

 蝿の羽ばたきが耳鳴りのようにうるさい。

 あ、メイちゃん! そんなに頭振り回さないで!

 次の瞬間、身体がふわりと浮いた。宙で舞うオレの身体はゴムの人形みたいだった。蝿を追い払おうとしてメイちゃんがキチガイみたいに頭を振っている。あぁ、なんかあの日みたい。脳裏にダンプに弾き飛ばされた日のメイちゃんが浮かぶ。

「ゥンモォオー!」

「ああ、メイちゃん、そんなに振っちゃダメだって! 危ないってば! 首がもげちゃうよ」

 ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケェ!

 あーっ、この笑い声はココちゃんだなぁ!

 メイちゃんの角に引っかけられたオレを見て笑うなんて、もう絶対に絶交してやる!

 ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケェ!

 あ、畜生! 何笑ってんだよ! こっちはすごぉく痛いんだぞ!

「ゥンモォオー!」

 完全にキチガイに変身したメイちゃんが仁王立ちでブルンブルンッ! と激しく首を回しはじめた。ウワーッ! や、ヤバイ!

「だ、誰でもいいから、早くダンプ呼んでくれぇ! でないと、あ、アーッ!」

 ブルンブルンブルンブルンブルンブルンブルンブルンブルンブルンブルンブルン!

「ウオーッ!」

 ヒューーーーーーーーッ、プチンッ!

 ケッ、ケ、ケ、ケ、ケ、ケェ!

 

                   了

いいなと思ったら応援しよう!