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【魔除けしたのに】 その⑤ 八木商店著

「ちょ、ちょっと待って! その人、結婚しとんやろ!」

 由美子は隣りの席にも充分に聞こえるような声で真理に訊き返した。

「ちょ、ちょっとぉ! そんなに大声出さんとってや。周りに聞こえるやろ!」

 小さな声で由美子に注意する真理は、目にちょっとした怒りを込めて辺りを見渡している。由美子も真理に釣られて首をゆっくり回して辺りを見渡した。確かにこっちの席を驚いた顔で見ている人が何人かいた。

「ご免ご免。ついビックリしちゃって。その人を貰うとは思いもしなかったから」

「その人を貰う…?」

 真理は一瞬考え込んだが、「ああ、ご免。わたしの説明が悪かったね。由美子が勘違いして驚くのも仕方ないわ。アハハハ」

「そうじゃないの?」

「うん。そのときは人じゃないよ。ちゃんとした物やった。彼が大切にしてたものの一部よ」

 真理は視線を室内を映し出した窓ガラスに向けたまま、動きを止めた。とりあえず真理が貰った物が、者でなく物だったとわかって、由美子は静かに落ち着きを取り戻した。

「でもな、それってわたしには合わんかったんよね。デザインはすごく可愛くて気に入っとったんやけど、ちょっとな…」

「何貰ったん?」

「指輪」

「嘘っ!」

 頭の中を整理するより早く感情が声になっていた。指輪を貰っただなんて、相手の男性って家庭のある人なんでしょ。どうして指輪なんかを。やっぱり…。

「サイズがちょっと小さかった。由美子、わたしが彼の奥さんから彼を奪い取ったと思ってない?」

 こんなこと考えたくないけど、そうとしか考えられない。

「勿論、わたしと彼は不倫関係やったけど、彼を奥さんから奪い取ったわけじゃないんよ」

 平然とそう応える真理を、どこか蔑んでみている自分がいることに由美子は気づいた。

「不倫って、あんた! わたしにはどう考えても不倫の果ての略奪結婚にしか思えんよ」

「そう?」

 そう返す真理に由美子は彼女に抱いていたイメージがどんどん崩れていくような気がして嫌だった。

 真理。高校の頃はあんなに淑やかで真面目だったのに。社会に出てこうも簡単に彼女の性質が変ってしまうなんて…。

 話方も田舎のオバサンみたいになってるし。失恋を繰り返していく内に、モラルを無視して生きる解放感に居心地の良さを覚え、本能剥き出しの生き方に開き直ってしまったのかしら。

「ちょっと訊き難いことなんやけどね。奥さんはどうだったの。つまり真理と結婚するってことは、相手の男性は奥さんと別れんといかんやんか。奥さんは旦那が不倫してるの知ったら相当混乱して、怒り狂ったと思うんやけど。厄介な揉め事はなかったん?」

 もしも邦明が会社の女性と不倫していたらどうだろう。私は絶対に許さないだろうな。許すはずがないわ。妻を裏切って別の女に走った真理の彼がどんな男か見てみたいものだ。でも明後日になればその望みは叶えられるのか。

「奥さんがいたときはね、わたしたちはまだ本当の恋愛関係やなかったから」

 真理の言動に辻褄が合わない気がした。つい今しがた二人は不倫関係にあったと言ったくせに、奥さんがいたときは本当の恋愛関係ではなかったってどういうことよ。不倫ではなくてただの遊び、浮気だったってことが言いたかったのかしら。不倫と浮気に違いがあるとは思えないわ。それに、そうそう、奥さんがいたときって、何? つまり別れてから良い仲になったってこと?

「今年の春にね。事故で亡くなったんよ」

 え!

 真理には奥さんを気遣った様子は見られなかった。

「事故って?」

「交通事故やったみたいよ」

 赤の他人の死は可哀相とも何とも思わないのだろうか。彼の元妻だからこそ、殊更に無関心でいようと装っているのだろうか?

「彼曰くね。奥さん、夜中に一人でドライブしとったんやって。ほら、ダムまでの曲がりくねった道あるやん。昔よう二人で夜行っとったあの道でね」

 真理は人の死をどう思っているのだろう。照明の加減のせいだろうか、笑みを浮かべているように見える。女の情念の醜さが浮き彫りになったような気がしてゾッとした。

「あの道路って走り屋が夜とかラリーしてて結構事故が多いんよね」

「奥さんもそこで?」

「そう、彼が言うにはね。ハンドル切り損ねて、ガードレール突き破って谷底に落ちたらしいよ。事故した車は走り屋に発見されたらしいんやけど、奥さんの遺体は車から少し離れたところで見つかったんやって」

 奥さんが事故した道路は昔よく走ったことがあった。川に沿ってくねくねと曲った細い道が、深い山に吸い込まれるようにダムまでつづいている。落石注意と警笛鳴らせの標識がやたらと目につき、ガードレールと、垂直にえぐられた岩肌に挟まれたその狭い道は、何かの拍子で山崩れが起きそうな、一触即発の危機感を常にドライバーに抱かせていた。

 あの道路で夜な夜なラリーに興じる若者がいるのは由美子も知っていた。昨年のお盆に帰郷したとき、地元の国立大学で事務員を勤める弟の達也の話が思い出された。

「この四ヶ月間で、うちの学生が3人事故で死んだ。毎年決まって7、8人の学生があの道で命落す。地元の子なら後の処理も楽なんやけどな、県外の子やと結構面倒なんよな」

 達也の勤める大学の生徒が7、8人亡くなるってことは、実際はそれ以上の人間が毎年あの道で帰らぬ人になってるってことだ。恐らく今年も例年と同じくらいの人数が事故で亡くなるのだろう。昔からダムにつづくあの道路は死亡事故が多発することで有名だった。それに呼応するかのように、事故で亡くなった死者たちの亡霊の目撃談も多かった。

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