【わたし、ヒトが恋しいの】 その1
わたし、日記をつけてます。
と、いっても御丁寧に日記帳になんかつけてないわ。
だって、そんなもん持ってないもん。
わたしは今無人島で生活しています。
ここで生活するようになって、どれくらい経つのかしら?
毎日、のんびり海ばっか眺めてるから、日にちの感覚がなくなってるのよね。
最近、太陽が出てるときが昼で、月が出てるときが夜、といった当たり前のことでしか時間は気にしなくなってしまったのよね。
でもこんな感覚に慣れてしまったら、無事に保護されて日本に帰ったときなんか極度の時差? ていうか時差というよりも、もしかしたら年差でバカになるかもしれないわね。
なんかここで生活してると、過去を忘れてしまいそうで恐いのよね。
だから今までつけたことのない日記をつけることにしたの。
さっきもいったけど、ここは無人島だから日記帳を売ってる文具店なんかないわよ。勿論、コンビニもないわ。
わたしの日記はヤシの木に石で、その日あったことや感じたことを簡単な言葉で刻んでいくやり方なの。
それをはじめたのは、そうね、いつからかしら?
ごめん、ちょっと忘れちゃった。でもね、日記つけようって思いついたその日からはじめたの。
二三になるまで、一度だってそんな面倒なことやったことがなかったのに。わたし、実はこんなにつづいてる自分にとても感心してるの。
わたしの性格上自分で決めて、よしやろう! って意気込んだものに限って、絶対につづかなかったのよね。
ここにくるちょっと前に、勤めてる会社近くのスポーツジムに通ったことがあるのね。入会金と会費を払って二、三回通ったかしら?
なんか知らないけど、隣りで黙々とベンチプレスに励んでるオヤジ集団がいたの。そのオヤジたちったら、インターバルの間中鏡の前に突っ立って、変なポーズ決めて自画自賛してるのよね。わたし、その集団を横目で見ながら思ったのよね。
ここって、わたしのくるとこじゃないわって。
わたし、ナルシスト集団を眺めながらエアロバイク漕いでたの。その間ずっと考えてたわ。
身体中、筋肉モリモリにして何が嬉しいのかしら?
鏡に映した自分の姿にうっとりしてる連中は、完全に自分だけの世界に入ってて、色々な角度から筋肉の張り具合をチェックしていたいのか、奇妙なポーズばっかしやってるの。
会社ではあんなヒト見たことなかったから、新鮮な驚きがあったけどね。でも、見ててすごく滑稽だったわ。
あのナルシストたちは普段の生活でも、鏡に自分の姿を映して一人の世界で遊んでるんだろうなと思うと、なんかわたしの方がすごく恥ずかしくなってきちゃったのよね。
そんな風に考えてると、将来わたしもあんな風になっちゃったらどうしようって心配になっちゃって、ジムに入会したことを後悔しちゃった。
わたし、昔からボディビルダーの体形には生理的に違和感を感じてたのよね。
だって、どう考えたって生活する上では全然不必要な筋肉まで鍛えてるでしょ。バカみたいに膨らませて喜んでるけど、わたしにはついてけないわ。
夏場ならまだ肌が露出してるから、筋肉質な身体のラインが見えて、あっ、コイツ鍛えてんな! って思われるけど、冬場はどうすんのよ。
冬場はあの筋肉の着ぐるみの上に、更にセーターやコートなんかを着なきゃなんないのよ。誰が見ても、ただのデブにしか見られないじゃない。
わたし、冬場デブに見間違えられちゃうヒトは嫌いだし、そんなのになりたくないのよね。
あ、そうそう。不自然にボコボコと膨らんだ筋肉に、太い血管が浮き上がってるのを見つけたときは、正直このわたしでも驚いてしまったわ。
わたし、何かの幼虫が、しかもデカイやつが筋肉と皮膚の間に潜り込んでるんだと思っちゃった。
そう思った瞬間からもう先入観よ。
いくらあれは血管なんだっていい聞かせてみても、どうしてもデカイ幼虫が這ってるようにしか見えなくなっちゃったのよね。
というわけで、筋肉の塊をこれ以上見てると変な妄想に囚われそうだったから、ジムにはそれっきり行ってやらないことにしたの。
この島にきてから懐かしい日本を思い出そうとすると、どういうわけかあの鏡の前でうっとりとしてた筋肉集団の微笑ましい光景が真っ先に浮かんでくるのよね。
なぜかしら?
多分、飛行機が墜落してから、健康的な生きてるヒトを見かけてないからかもしれないわね。
自分でも驚きなんだけど、乗ってた飛行機が太平洋のど真ん中に落っこちて、生きてたのがわたし一人だったってのが不思議。
ヒトにいわせると超ラッキーなんだろうけど、わたし一人だけ助かってもねえ……。
もしかすると他にも無事だったヒトがいたのかもしれないけど、この無人島に生きて漂着できたのはどうやらわたし一人だけみたいよ。
この島に流れ着いたときのことは今でもよく憶えてるわ。
ある朝、目が覚めると、わたし、素っ裸で白いビーチの上で仰向けに寝転がってたの。
で、無数の小さなカニたちに包囲されてたのよね。
なんかガリバーになった気分だったわ。で、目覚めは悪くはなかったのよね。
コバルト色の空と海は目が覚めるくらい透明で奇麗。
この世のものとは思えないくらい美しいの。でも完璧にこの世のものなんだけど。
指で摘まめば簡単に握り潰せそうな小さなカニたちの視線を浴びながら気づいたの。
わたし、お腹が空いて死にそうじゃないって。
飛行機が機長のアナウンスもなく、突然墜落を開始したのは、丁度機内食の配膳がはじまったときだったわ。
わたしたちは結局食事する暇もなく太平洋に仲良くダイビング。
落ちるちょっと前に隣りの白人のオヤジが、エンジンから火が出てるって蒼い顔して叫んでたのを憶えてるわ。
わたしはそのときお腹が空きすぎてて、一々真剣にその白人に構ってやろうとはしなかったのよね。
わたし、てっきり外人お得意のジョークだと思ったのよ。
でも、しばらくしたら大きな爆発音とともに急降下はじめるじゃない。その後のことは憶えてないわ。目が覚めたときには無数のカニたちに標本にされてたの。
わざわざ有給で行ったオーストラリア旅行だったのに。しかも生まれて初めての一人旅だったのよ。帰りの飛行機が途中で針路変更するなんて予定外だったわよ。
でね、カニたちの歓迎に感謝しつつ、追っ払って何か食べ物ないかしらと辺りを見渡してみたの。するとビーチを越えた緑の茂みに、バナナの木を見つけたの。
わたし、バナナの木を目掛けて走ったわ。足の裏には無数のカニたちを踏み潰す厭な感触が伝ってたけど、そんなことは省みず兎に角バナナの木を目指して駆けたの。
バナナの木のすぐ傍に奇麗な泉が涌いてたわ。わたし、先ず渇いた喉をその泉の水で潤したの。
口に含んだ途端に、全身の細胞の一つ一つに染み入っていく感触を強烈に感じちゃった。
そのときかしら?わたしがこの島にきて初めて口ずさんだのは。
「これって、……ミネラルウォーターよね?」
口一杯に広がる天然水の美味しさに、わたし、辺りを憚らずたわわに実をつけたバナナの木に問い掛けてたの。勿論、バナナに日本語が通じるわけないわよ。
わたし、日本にいるときから水といえばミネラルウォーターしか飲まなかったのね。だからその泉の発見は偶然だったとはいえ、凄くラッキーだった。
とりあえず天然水の美味を堪能したわたしは、さっき話し掛けたバナナの木に向かったの。
バナナはどれもまだ食べられる状態じゃなく青くて硬かったけど、空腹だったわたしには熟れるのを待つ心のゆとりはなかったのよね。
だから貪って口に押し込んだわ。
満腹になるとまた眠くなっちゃって、ビーチにヤシの木陰を見つけて眠ったの。
今度も目覚めたのは昼間だったわね。
真上から照り付ける太陽の位置は、あんまりずれてなかったから、眠ったのは一瞬だったのかもしれない。
でも、もしかすると二四時間眠ってたのかもしれないし、案外四八時間経ってたのかもしれないわね。
あの昼寝のときからかしら。わたしが時間を気にしなくなったのは?
目覚めたら、またまた空腹だったのよね。わたし、またバナナを食べに行ったわ。
そんなバナナの木とヤシの木陰を往復するだけの生活が何日か過ぎたときにね、ちょっとヤバイことが起こったのよ。
バナナの実がなくなったのよね。
わたし、バナナなんてすぐに生えてくるもんだと思ってたから、毎回食べられるだけ無理矢理胃に詰め込んでたの。
ちょっと無計画だったわ。
そのときなぜかバブルが弾けて慌てふためく不動産屋のオヤジになった気分になっちゃった。
でもそんな想像も一瞬で消えちゃったけどね。すぐに他の食べ物を見つけることができたから。
この島は魚介類がバナナに比べ物にならないくらい豊富だったの。
周りが海しかないんだもん。当たり前なんだけどね。
潮が退いた岩場にはアワビやウニといった、わたしの好物が取り放題で待ってくれてたの。
わたし、こんなことは東京に帰ったら絶対にできないと思ったから、思う存分に獲っては食べ、獲っては食べって本能の赴くままに食べまくったの。
わたし、そのときほど日本人に生まれてきたことに感謝したことはなかったわ。
だって、活きのいいところをガブって、何の抵抗もなく齧り付けたのも、わたしが日本人だったからでしょ。タコも平気だったしね。
でもね、こんなこと想像したこともなかったんだけど、鱈腹食べてるうちに飽きちゃったのよ。アワビとウニに。
食料調達の場を岩場に急遽変更した頃からかしら?
ダイエットも兼ねて散歩しながら島を探索することにしたの。
島は思ったより小さかったわ。
周囲は5キロもないんじゃないかしら?
って、5キロがどのくらいの距離なのかピンとこないんだけど、多分そんな感じ。
島の周りは珊瑚礁が取り囲んでてね、海底の白い砂の上をカラフルな魚が泳ぎ回ってるの。海というよりも超巨大な水槽って感じかしら。
わたし、散歩のときは必ずお弁当にアワビとウニを二、三個持って、波打ち際を打ち寄せる波に足首まで浸かりながら歩いたの。
最初に島を探索したときは驚いたわ。
だって、どう考えてもわたしが乗ってた飛行機らしき物体の細切れになった残骸が、白いビーチ一帯に打ち上げられてたんだもん。
そこはわたしが打ち上げられたビーチの丁度島を挟んだ反対側だったのね。
そのとき不思議に思ったのよ。どうしてわたしだけ島の反対側に流されてたんだろうって。
わたしが打ち上げられたビーチには、わたしの他には飛行機から撒き散らかされた物は何一つ見つからなかったのよ。
わたしも最初は飛行機の残骸が打ち寄せてた側のビーチに打ち寄せられてたんだけど、夢遊病者のように眠ったまま野生の草木が生い茂る島を真っ直ぐ突っきって、反対側のビーチまで辿り着いた途端に、倒れ込んで眠ってしまったんじゃないかしらとも考えてみたわ。
でも、わたしが夢遊病だなんて家族から一言も聞いたことがなかったことに気づいたの。
だから、この考えはハズレ。
今でもどうしてわたしだけ島の反対側にいたんだろうって思うことがあるけど、まだ答えは見つかってないのよね。
飛行機の残骸に混じって肉片っていうのかしら? 服を着たヒトらしき物体もたくさん見つけたわ。
ビーチに散乱した肉片には、漏れなくカモメや虫、それにカニや小エビが群がってたの。
その光景は、この世の天国を思わせる奇麗な島の風景には不釣り合いなくらい無残だったわ。
わたしが島の探索をはじめた頃は、飛行機が墜落してもう何日も経ってたみたいで、ちょっと臭った。
わたし、常に鼻炎で鼻詰まり状態なのね。そんなわたしの怠慢な嗅覚でも、はっきりと匂いを嗅ぎ取ることができてたの。
多分、普通の正常な鼻の持ち主なら、匂いを嗅いだ途端に気絶してたかもね。もう、一生鼻は使い物にならなくなったと思う。
ヒトも五体バラバラだとね、ヒトって感じがしないのよ。
わたし、バラバラになった肉片を見ててどういうわけか、ジムに通ってたときのあのナルシスト集団を思い出しちゃった。
筋肉モリモリの彼らも、こんな具合にバラバラになれば、ただの大きな肉の塊でしかないんだよなぁって。そのとき不意に肉屋さんの天井に吊るした牛肉の塊を思い浮かべちゃった。
肉片に群がる島の生き物たちからすれば、パーツごとに小分けにバラバラに引き裂かれたヒトの肉片は、肉屋で陳列されてる売り物の肉にしか見えないんだろうね。
ジムで鍛えてるヒトの肉って、味はどうなのかしら?
脂身は案外少ないと思うから、見た目ほど味は良くないと思うわ。
やっぱり、食べるとしたら脂身の多いデブかしら。
でも、ただのデブだとなんか臭みが強そうよね。多少運動してるデブが良いかも。関取なんかがお手ごろじゃないかしら。
今のところ日本はまだ大丈夫だと思うけど、いつか将来飢餓に陥って、ヒトが共食いはじめたら真っ先に襲われるのは相撲部屋かもしれないわね。
そう考えると相撲部屋は将来肉屋に転職できるから職を失う心配はないわね。
うちの会社はリストラはないけど、給料少ないから辞めちゃうヒトがちらほらいるのよね。違う課で脱サラして焼き鳥屋はじめたヒトがいるらしいんだけど、会社勤めしてたときの方がまともな生活送れてたらしいって。
日本じゃ何やっても大変よね。なんかここの生活と日本の生活を比べると、わたし的にはこっちの方が合ってるみたいだわ。
肉片に群がる生き物たちは、活発で働き物が多いの。なんか会社思い出しちゃう。
腐りかけた肉をテイクアウトしやすいように小さく噛み切ってね、巣に待ち帰っていく光景はうちの会社のオヤジ連中にもよく見られたわ。
首からプチンってもげたんだと思うけど、ヒトの頭も辺りに結構転がってたの。
髪の毛の間には小エビの姿がたくさん見え隠れしてたわね。
逆に頭がない胴体なんかは引っ繰り返してやると、お腹の肉の裂け目から絡んで解けなくなったアナゴたちがドボドボドボって。
流れ出おちる内臓やアナゴったら、なんかラーメン啜ってる映像を逆回転してるみたいなの。
こんなの見ちゃったら、もうラーメンなんて食べられないわよ。ラーメンに限ったわけじゃなく、麺類全般なんだけどね。
でも、日本に帰ったら真っ先にラーメン食べに行くと思うわ。
それにしても皆んな無残な状態になってたわね。絶対に家族には見せられない光景よ。
ただ単にバラバラになって死んでるのなら、まだなんとか口元に手を当てて、戻しそうになるのを我慢して見られると思うの。
でもね、わたしが見たのは島に生息している小さな生き物たちが、その死体を必死になって奪い合ってる光景だったからね。
勿論、わたしはたった一人のギャラリーだったでしょ。だから、まさにアリーナでアワビに齧り付きながら観戦してやったわよ。
獲物を獲得するために、命懸けで繰り広げられる死闘はなかなかの見応えがあったわ。
特にカモメがたった一片の肉片をめぐって繰り広げる空中戦は、わたしが今まで抱いていたカモメのイメージを見事に覆してくれたもの。
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