【こんな時代】 その⑦・完結
浜田と話した翌日、運命の日を迎えた。
俺はその日は目覚し時計ではなく、けたたましく鳴り響く電話で起こされた。俺はベッドに横になったまま腕を伸ばして、まどろみの中、受話器を耳に当てた。
「はい、もしもし」
「おい! やっさん! 寝てる場合じゃないぞ!」
浜田だった。
怒鳴りつけるような声に、俺は反射的に耳から受話器を遠ざけた。
「なんだ、浜やんか、こんな朝っぱらからそんなに怒鳴らなくてもいいだろ」
今思えば、あの時俺はまだ完全には目覚めていなかったから、そんな呑気ことが言えたんだ。
「とうさんだ! とうさん!」
「父さん…? あ、ああ、それは昨日聞いた、聞いた」
「な、何だって! おまえ知ってたのか! じゃあ、どうして早く知らせてくれなかったんだぁ! 社内通知なかったと思ってたのに! 知らなかったのは俺だけだったのかぁ!」
何でそんなにがっかりしてんだ?
俺には浜田が理解できなかった。
「おい、浜やん! おまえが昨日教えてくれたんじゃないか! 何言ってんだよ! 会社がおまえに子どもができたことを、社員に一々連絡するわけないだろ!」
「はあ…? 何言ってんだおまえ! 俺に子どもができたことじゃないよ! 倒産したんだよ! 会社が」
ワルツのリズムを刻んでいた鼓動が、その途端16ビートに激しく変わった。
「い、今、何つった!」
「目が覚めたか! 会社が倒産した。新聞、朝刊にでっかく載ってる!」
「それほんとか!」
「ああ、マジもマジ、大マジだよ。クッソー! 来年には子どもが生まれるってのにぃ。これから先一体どうすりゃいいんだ。家のローンだってまだ30年以上残ってんだぞ!」
浜田の声は涙声に代わっていた。
マジで倒産かよ…。
あーあ、倒産したんじゃしかたないよな。
俺は浜田と違い能天気だったおかげで、冷静に事態を受け止められなかった。
「やっさん、おまえ、どうするんだ! 再就職といっても、今の給料ほど貰えるとこなんてそうはないぞ!」
「そうだな。でもどこか就職しないとな」
「おまえ、よくそんな風に落ち着いてられるよなぁ! これから先どうすんだよ!」
「とりあえず、若い女性社員の多い会社を片っ端から受けてみよーかなぁ…」
「何言ってんのおまえ? おまえの基準が理解できん。会社を何で判断してるんだ?」
「何って、独身で若くて美人の女性社員の比率の大きさじゃないの?」
「はあっ…? おまえとは根本的に価値観が違うみたい。わかった、もういいよ。おまえに電話した俺が馬鹿だった。もういい! 朝早く電話して悪かったな! じゃあな」
かけてきたときと違い、浜田は静かに電話を切った。
あの電話が浜田と話した最後になったのが残念だ。俺は電話が切れた後もしばらくの間、受話器を握ったまま耳に当てていた。受話器からはプーッ、プーッと音が鳴っていた。その間、俺は涙声の浜田のことを考えていた。そしてその場にいない浜田に優しく語りかけるように、独り言なんかを呟いていた。
「うちの会社もなぁ……、若い人材をどんどん採用してれば倒産しなくてすんだのに。若くて独身の女性社員がいないんだから、そりゃあんた、皆んな仕事する気力失せるってもんだろ!
なんだよ、浜やん!会社が倒産したくらいでそんなに泣くなよ。来年にはお父さんになるんだろ! 会社が倒産したところで、死ぬわけじゃないのにな。トラになっただけのことじゃないか。うん?
てことは何か? 奥さんはサイになるってこと? うわーっ、想像したくねえ! 思わずあの奥さんがセーラー服着てメスサイになってる姿を想像してしまったじゃねーか!」
俺は咄嗟に浮かんだ浜田のカミさんの援交姿を振り払おうと、頭を左右に大きく振った。
「ああ、いかん、いかん! おかしなものを想像してしまった。とりあえず一寝入りしてから、起きたら結婚相手を見つけに女性社員の多い会社を探しに行こう!」
俺はそう言って布団の中に潜り込んだ。
仕事を失った俺。
色々と探してはみたものの、条件に合う会社は何処にもなかった。
俺は金は二の次でいい。要は若くて奇麗な女性社員の多いとこ。勿論独身に限る。
でも、やっぱり金がなきゃ生活できない。日が経つに連れ、貯えは底を尽いて借金に頼るようになった。そうなってからかな、真面目に仕事を探し出したのは。
散々探した挙げ句に、求人情報誌で或る仕事を見つけた。資格も年齢も問わないとあったからそこに決めた。面接でこれといったことは訊かれず、その日の内に即採用になった。
その会社は一応人材派遣会社だったみたい。でも、どう考えてもそうじゃない気がする。
俺は面接した翌日、今いるこのリサイクルショップに配送された。そして二ヶ月間、俺と同じようにしてここにやってきた人たちと一緒に、暗い部屋に押し込まれていた。その間は働いてなかったから給料はなかったけど、三度の食事は与えられた。といっても粗末な物ばかりだ。
一週間前にようやく店頭の陳列台に並べられることになった。
嬉しかった!
仕事する気に生まれて初めてなれた。
後は兎に角お客様に買ってもらわないかぎり俺の未来はない。
俺は無条件で俺自身を売った。結構厳しい状況だ。
俺には定価5,000円のラベルが貼られている。
ラベルには出生地や生年月日、それに現在に至る経歴がプリントされている。
今の俺は仕事らしい仕事は何もしていない。俺を買ってくれたお客様が仕事を与えてくれないかぎり、働くことができないんだ。当然それまでは給料なんて貰えない。
昨日、隣りの陳列台にいた60過ぎのオヤジが買われていった。定価1,200円。俺よりもかなり安い値で、オヤジは警備会社に買われていった。あのオヤジはこの店に配送されて半年待って、ようやく仕事にありつくことができたようだ。今日からは給料もちゃんと貰えて、ようやくまともな生活が送れるようになるんだろう。
この店の店頭には俺を含めて今150人が陳列台に並べられている。倉庫には3,000人が店頭に並べられるときを、いつかいつかと待っているんだ。もしかしたら、案外、浜やんもその中にいるかも?
しかし、あの夢は正夢だったのかぁ…?
夢から覚めた現実の方が、よっぽど夢みたいだ。でも、これが現実なんだよな……。
しかたないか……、諦めよ。
了