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㥯 《オン》(すぐそこにある闇) 第十八節

  『 㥯 《オン》 (すぐそこにある闇)』     八木商店著

 

第十八節

 

 加藤の母親から連絡をもらって五分後、一台のシルバーのセダンが井上たちの乗った四駆の横に停車した。二時間後に井上たちは待ち合わせ場所に指定していたインターチェンジに到着した。そして運転席から加藤の父親らしき中年の男が降りてきた。三人は車から降りると、加藤の父親に挨拶をし、車中を覗き込んだ。後部座席に座った加藤の母親が中から軽い会釈を返した。母親の横に頭からすっぽりと大きな布に覆われた加藤の姿が見えたが、それが加藤本人なのかどうか三人に確認することはできなかった。

「加藤君ですよね?」

 横山が父親に布で覆われた塊を指さして訊ねた。加藤の父親は目を掌で覆って、黙って頷いて応えた。息子の変貌振りが悔しいのか、父親は三人から顔を背けて涙を隠していた。

「他の皆さんが到着するまで車で待ってましょうか!」

 佐々木が加藤の父親の心中を察して促した。時刻は午前四時半を過ぎたばかりだった。

 三人は加藤の父親が、加藤と母親の待つ車に乗り込むのを見届けてから、車に戻った。三人はできるだけ隣に停の車を見ないように心掛けた。

「あの布。やっぱ相当酷いんだろうな…」

 井上が呟いた。

「もう見せられない状態なんだろうな」

 佐々木が加藤を不憫に思って言った。

「他の連中も皆ああなんだろうな」

 横山が横目で加藤の車を見て言った。

「加藤の友達の最期じゃないけど、布で覆われた事態、加藤はまるでミイラ男だな」

 井上が言った。その言葉に佐々木と横山が顔を見合わせて、顰めて黙ってしまった。無言のまま数分の時が流れた。三人は全員が武道館にきてくれることを祈って待っていた。

 トゥルルルッ!

 突然、佐々木の携帯が鳴った。開いた携帯の液晶ディスプレー画面に、着信番号と午前四時五〇分が表示された。

「はい! 佐々木です」

 佐々木の応対の具合からして、部員の家族のようだ。佐々木は待ってますと言って電話を切った。

「誰だ?」

 耳を澄ましていた井上が訊ねた。

「向井さん。もうすぐ着くそうだ」

「そうか」

 井上は何故か由香を思うと胸が締めつけられるような悲しみを覚えた。。井上は彼女のことを一度たりとも好意に思ったことはない。どんなときも煩わしいと思わないときはなかった。だがもうあの鬱陶しい由香に逢えないのかと思うと、何故か寂しく思えた。

 トゥルルルッ!

「はい! 井上です」

 トゥルルルッ!

「はい! 横山です」

 午前五時を前に次々と三人の携帯が鳴りはじめた。三人はそれぞれに振り分けた部員たちの家族から電話を受けると、誰から掛かってきたのか確かめ合って不参加の者がいないかチェックしていった。、

「おい、どうだそっちは?」

「俺のほうは全員だ」

「俺もだ。おまえは」

「俺も」

「フゥーッ! ということは、揃って出発できるな!」

 長いため息を吐いて、横山がぐったりした身体をシートに深く沈めた。そして、すぐさま三人は車から降りて、部員たちを乗せた車が現れるのを待った。

 トゥルルルッ!

 佐々木の携帯が鳴った。佐々木は応対しながら、ヘッドライトを灯した車に向かって手を振っている。どうやら部員の誰かが着いたようだ。手を振る佐々木に気づいた車は、加藤の車から少し離れたところに停まった。

「誰だ?」

 井上は佐々木に訊ねた。

「向井さんだよ」

 そうと言うと、佐々木は由香を乗せた車に向って走って行った。佐々木の後を追って横山が向かったが、井上は背を向けて他の部員たちの車が現れるのを待った。

あーあ、あの女もミイラのようになっちまったんだろうなぁ。

 井上はタバコに火を点け、深く煙を吸い込んでは何度もため息交じりの煙を吐きつづけた。

 トゥルルルッ!

 井上の携帯が鳴った。武道館に渡る橋に目をやると数台の車が渡っているのが見えた。井上はまだ吸い終わらない煙草を指に挟んだまま、その手を高く挙げて大きく振った。気がつくと由香の車に行ってたはずの二人も隣で大きく手を振っている。車は次々と駐車場を埋めていった。

「これで全員集まったな!」

 横山の声はどことなく疲れてるように聞こえた。部員たちを乗せた車は停車すると、ドライバーが降りてくるだけで、それ以外の者が姿を見せることはなかった。

 三人は車から出てきた部員たちの家族を集めると、これから向かう無枯村までのルートを写した用紙を配って、これからの道中は互いに携帯で連絡を取り合うようにと、全員の携帯番号を用紙の隅にメモさせた。全員が名前と携帯番号を確認したところで、無枯村に向けて出発となった。時刻は午前五時一二分。辺りはまだ闇に包まれていた。ようやく三人の乗った車が部員たちの家族を先導して、無枯村へ向かう長い行列は動きはじめた。

 先頭を走る車を運転したのは佐々木だった。井上は助手席に座り、後部座席で足を伸ばして座った横山は、皆が遅れずついてきてるか気にして、後続車から目を放さなかった。無枯村へと向かう一行は順調に目的地に近づいて行った。松山を抜け、しばらく走って伊予市に差し掛かった辺りで、井上が気になっていたことを二人に訊ねた。

「向井の様子、どうだった?」

 佐々木も横山も応えようとしなかった。

「やっぱりそうか。ミイラみたいになってたんだな」

 井上が呟いた瞬間に佐々木が言った。

「いやっ、ミイラまではいってなかった。でも、そんなことよりもなぁ…」

「そんなことよりもって何だよそれ?」

「奇怪しなこといってたよな。なぁ?」

 佐々木が横山に振った。

「あ、ああ。加藤の友達のような状態だったよ」

 横山は小声で気まずそうに言った。

「というと?」

 井上は更に詳しく言うように促した。佐々木と横山は気を落ち着けなければ言い出せないのか、タバコに火を点けて数度煙を吐いてから話しはじめた。

「それにしても不気味だったなぁ」

 横山が後部座席から前に身を乗り出して佐々木に言った。

「ああ、家でいつもああだったんだ」

 佐々木が顔を顰めた。

「どうだったんだよ? わかるように話してくれ!」

 井上には二人の会話がまったく見えなかった。二人の妙に疎遠な態度が先刻から気になり、気分が悪かった。

何で早く話さないんだ? 俺に聞かせちゃまずいことでもあんのか? でも仮にそうだったとして、俺に聞かせてまずいことって何だ?

「おい! 俺には話せないことなのか!」

 井上はついつい憶測に煽られて声を荒立てた。井上の怒った様子に佐々木も横山も口を噤んだ。井上は声を荒立て、二人に気拙い想いをさせたことを反省して、優しい口調で問い掛けた。

「実際のとこ、向井はどうだったの?」

 すると、佐々木が一度大きなため息のようなものを吐いてから、真剣な表情で言った。

「向井さん、子供たちを相手にお父さんも一緒で良かったねっていってたよ」

 井上は、ミイラになった由香が目に見えない子供たちの亡霊を相手にしゃべりかけている姿を想像した。

「向井さん凄く大事そうに写真持ってたぞ。なあ、横山、おまえも見たよな。あの写真」

 佐々木が横山に確かめた。

「うん。まあな」

由香が大事に持っていた写真って、まさか子供の写っていない例のアレじゃねぇだろうなぁ。でもあの写真はメモリカードと一緒に佐々木が全部部室にしまってたはずだけど?

 井上が謎を解き明かしているあいだも、佐々木と横山は由香について井上にはわざとわからないように何やら話していた。

「あの写真に写ってたのってどう見ても、なぁ?」

 横山が佐々木に言った。

「ああ。どう見ても井上、おまえだったよ!」

 その瞬間、井上は後頭部を大きなハンマーで殴られたような強い衝撃を受け、そのまま意識を失いそうになった。

「ま、まままままマジでぇっ!」

 自分でも声が震えているのがわかるほど井上は震え上がった。心臓も口から飛び出してきそうなくらい、激しく鼓動を鳴らした。

な、何で? 何で俺の写真なんか持ってんだよぉっ!

「あの写真、あれってどう見てもあの村の風景だったと思わないか?」

 横山が佐々木に訊ねた。

「ああ。はっきりとは見えなかったけど、雰囲気的にそんな気がする」

「おい! 俺はあの村で一枚も撮らなかったのに、なんで俺の写真があるんだよ!」

 井上の動揺は隠しようがなかった。気が狂れた猛獣のように、井上は息を荒立てて怯える仕種を取っていた。その落ちつきなく辺りをキョロキョロする異常な行動は、佐々木と横山の目には不気味で気味が悪いものに映った。

ど、どういうことだ! 俺はあの村で一枚も撮らなかったはずだぞ! なのにどうして、あの村で写した俺の写真をアイツが持ってんだよ!

「さあなぁ? 誰かが撮ってたんだろ。おまえが皆んなを撮ってるときに」

 横山が言った。

「畜生ぉっ!」

 井上は唸り声を上げた。

じょ、冗談じゃねえぞ! マジでふざけんなよ! どうして俺の断りもなく勝手に盗み撮りしたんだよっ!

「おいおい、そんなに嫌がることないだろ! それとも祟りに遇うのが心配なのか? 俺たちはちゃんと祓橋で清めてるんだからその心配はないだろ」

 佐々木の言葉は慰めにはならなかった。そのとき井上には写真に子供たちの姿が写っていたかどうかということが気になっていた。

「俺の周りに子供たちは?」

「心配するな。いたよ。おまえはカメラを覗いていて、その周りに大勢の子供たちが犇めき合っていた」

「子供たちの顔はどうだった! やっぱり凄い顔になってたか!」

「いや、そこまではわからない。なんせまじまじと写真を見せてもらったわけじゃないからなぁ。瞬間的に見えただけなんだ。でも、間違いなくおまえだったよ。俺が憶えてる限り、あの村でカメラを覗き込む姿を見せてたのはおまえ一人だったからな」

 佐々木が言った。愕然として酷く肩を落とした井上には、佐々木のこの言葉は更に追い打ちを掛けるものになった。しかし、佐々木が井上の心中を察していないわけではなかった。佐々木とは自分たち三人は禊川で足を清めたのだから、もう写真に気持ちを振り回されることもないだろうと言いたかった。

「でも、不思議だよなぁ。向井さんが何で井上の写真なんて持ってたんだろう? 案外、井上のこと、好きだったのかなぁ? なあ、佐々木、おまえその辺のこと何か知らないか?」

 横山が首を傾げて佐々木に訊ねた。

「うん」

 佐々木のこの反応は、何かを知っているように二人には取れた。

「やっぱりそうだったのか? 向井さんって井上のことを」

 横山が勘づいて言った。

「一度相談を受けたことがあった」

佐々木が遠くヘッドライトの先を見つめて言った。

「相談って?」

井上は透かさず佐々木に訊き返した。

「今年になってからだけどな。おまえが合宿先を必死になって探してた頃に、おまえのことが好きなんだけど告白すべきかどうかって相談されたんだよ。付き合ってる人がいるのか、誰か好きな人がいるのか、他にもおまえの好みは何だと色々訊かれたけどね」

ゆっくりした口調で佐々木は言った。

「で! おまえはなんていったんだ!」

井上は佐々木に強い口調で訊ねた。

「別に大したことはいわなかったよ。だっておまえが向井さんのこと無茶苦茶嫌ってることを知ってたから。まあ当たり障りないように、今のままでは井上のタイプの女性には近づけないかもよって」

「おいおい、いい加減にしてくれよ! おまえのその言い方だと、アイツに期待を持たせちまうじゃねぇか! おまえも知ってんだろ! マジで俺、生理的にアイツのこと駄目だってこと」

吐き捨てるように言いながら、井上は悔しさと苛立たしさ、それに加えて佐々木の呆れた対応に涙が出そうになった。

どうしてもっと露骨にはっきりいってやらなかったんだよ! 俺が超嫌ってるって! 死ねばいいのにって!

井上は黙ったまま、薄暗い外の景色に目を這わせていた。そして自分の潔癖な性格の融通のなさを恨んだ。

なんで俺がお父さんなんて呼ばれなきゃなんねぇんだ! しかも、選りに選ってアイツの旦那役だなんて、超最悪じゃねえか!

 

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