エンドロール

何度繰り返してきただろうか。
初めは胸を高鳴らせていて、それがいつしか平凡となった。
何をしていても頬の筋肉がぴくっと反応して笑ってたはずなのに。
緊張の糸で一生懸命コントロールしていた
情緒あるマリオネットは突如動かなくなる。
誰が悪い?どうしてこうなる?
これからどうすればいい?何をすればいい?
考えれば考えるほど自分の首を自分で締めていることに誰も気付かない。

もめた時は謝って済ませばいいと先に謝った。
頼まれた事をこなしても頼まれた事しか出来ないのかと溜息を吐かれた。
良かれと思ってした事をやり方が違うと愚痴られては面倒くさい顔でやり直された。
子供と触れ合う事で触れ合い方にも口を出されては相手の意見を尊重したが、その子供との触れ合いに自分の感情は無かった。

どんどん自分という人間を無くしていく作業が
苦痛で仕方なかった。
何の為にここに居て、誰の為に働いて、何故ここへ帰ってくるのかすらも自問自答できなかった。

気がつくと自分の意見を唱える事をやめていた。
何か言えばそれに対してまた反論が飛ぶ。
それを受けてまた自分を見失う。
そうしていくうちに、家庭という存在から出ていく事を望み始めた。

誰かの為に頑張るのが得意だったから
家庭の為に頑張れると思っていた。
子供のために身体を張れると思っていた。
妻のために全てを許せると思っていた。

自己満足の範囲内でしか
気持ちを持てていなかったのだろうか、
頑張らなければ考えられなかったのだろうか。
感情と思考の根本から間違えていたのかもしれない。
ただ正解がどうであったかなど結果論に過ぎないと冷めた目で妻に言い放ち

私は乗り越えることも、語らうことも、許し合うことも、包み込むことも、鼓舞することも、色々な感情と思考を無にしては悪者になって
全てを自らの勝手として切り離した。

人は言う、逃げたと。
浅はかだとも。
だが、その価値観すらも私には他人の思考で片付けている。
人生の選択に、他人の価値観を取り入れてどうする?
後ろ指を指す他人は後ろ指を指されない人生を
歩んできたのか?
これもまた人は言う、開き直るなと。

それを恐れて他人には言えず、静かに別れを迎えた私は一番に人の目を気にする弱者だと
一人になって肩を揺らした。