これから
人に言われて思う事と人に言われてする事は
時には大きな反比例をすると思う。
自分が考えている事と自分が考えた事は
結論がかけ離れる事もある。
そしてこれまでにその全てをイコールだと思っていた私の概念はあっけなく崩れた。
常識を重んじてきた。
他人を敬い、尊重してきた。
自分の考え、意見、思いは二の次としてきた。
妻に対してだけは。
だが、妻に言えない感情を抱き、それを形としてしまったこの瞬間。
誰にも理解されないものであり、
理解を求める理由も理性も必要なかった。
二人は出会ったのではなく、出会ってしまった。
様々な障壁があったはずで、かけ離れた場所へ行ってしまっていたはずなのに。
何より大きな壁である家庭という壁はガラスの様に透けていてそのガラス越しに手を重ねている。
このガラスだけは突き破ってはならないという
のは理性なのだろうか?
それすらも見失う程の境遇は本来経験出来るものではなくするものでもない。
そう思っていたはずの二人がいとも簡単にそれを覆した。
私を導く彼女を母なる大地とするならば
私は引力に惹かれる(引かれる)悪魔の果実だ。
ある日、仕事で出張することが決まった。
すると、彼女の近くであることがわかった。
彼女はもし良ければ食事だけでもと声をかけてくれた。
またも、インパクトがあった。
会いたい気持ちは勿論募るが、やはり障壁は出てきた。
すぐそこまできていても、お互いに許された時間は交錯して実現しなかったのだ。
これを残念がった彼女を見て、本気になってもいいのだろうかとまだ理性が働いていたことに気付いた。
自分のことではない、相手を顧みることで抑止力は働いていた。
それを解除してもいいというのなら、、、
【もう止まる理由はどこにもない】