人を推す(=応援する)ということ

時間が経って本人へのガッカリを加害者への怒りが上回ってきました。そこで根本的なことについて考えてみた。

応援の仕方は、ファンやオタクの数だけ存在しているので無限なわけで。自分がもう1人いたらライバルになると思うけど、応援の仕方や考えが違う人とは競走も戦いもできないはずなのに、無駄に戦いたがるのがいわゆる厄介だと思うんだよね。

ある人は単発のライブに行くこと、アクキーをひとつ買うことが応援する形で、別の人は全部の公演に行って、アクキーを10個買うことが応援の形だとして、どっちも正解だし正しいじゃん?
そこで競えたとしても、使う金額や個数、回数、数字でしかなくて、気持ちや思い入れは絶対に戦えるわけない。
だけど厄介と言われる生き物は、数字で気持ちの面も競ってくるのよね。
めちゃくちゃ言い方悪いと自分のペースで応援してる人が一般人で、数を元に戦う人が兵士で、兵士が一般人襲撃するようなもんじゃん?まじいい迷惑だよね。もはやテロの域。平穏な日々を送ってたのに、突如その普通を取り上げられるようなもので。
戦争をしかけたわけでも、なにか違反した訳でもないのに、巻き込まれるこっちの身にもなって欲しいね。数字を多く持ってる人がみんなそうだとは思わないけど。

性格と同じで人の数だけ応援の仕方があるので、互いに比べることもないし、そっとしておいて下さいっていう話。

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