【No.9】超久しぶりに更新

なかなか氣分がのらず、長い間更新をさぼっておりました。。。

今日からまたまったり更新していきますので、読んでいただけたら幸いです!

ここ2ヶ月ほど、自分と向き合う機会がとても多い毎日を過ごしていました。

自分の中で、ここにきてやっとこれも成長する過程だと前向きに捉えることができるようになってきましたが、心配性な性格からくる不安と毎日の様に戦っておりました。

「なんで自分は不安になったり、劣等感に苛まれるのだろうか」と考えた時、それは他人と比較している自分がいたということに氣がつきました。

占い師をやっている関係上、関わってくれる方々に相談する機会も多いのですが、決まっていただけるアドバイスは、他人と比較する必要なんかないんだというものです。

いや、分かってるんだ。

他人と比較する必要なんかないことくらい。

っと心のどこかで理解している自分はいるのに、プラスに考えることができない。

こんな感じで僕の心はずーっとループし続けていました。

僕と似た考え方を持っている方も少なくないんじゃないかと思います。

今日この感情を少し吹っ切れるものが、僕の中で生まれました。

それは、そもそも他人を自分の中にいれない。

あ、これなんだ。と氣付きました。

いやいや、なんかそれって自己中みたいじゃない?って思う方もいらっしゃるかもしれないので、少しだけ補足すると、自分が楽しいと思うことや倖せだと感じることに他人は関係ない。ということなんです。

はい?それってどういうこと?

これは僕の解釈ですが、趣味って人それぞれで、読書が好きな人、ゲームが好きな人、スポーツが好きな人などばらばらなわけで、ということは、楽しいと思ったり倖せだと感じる場面やパターンも十人十色ってことなんだって思ったんです。

僕の信念というか軸としてあるものは、

人のお役に立ちたい

これだけなんですが、自分でも思いますが、ざっくりしすぎてて、シンプルが故に難しい。笑

人の役に立つのと、自分の感情に他人を入れるのは違うということにやっと氣付くことができたんです。

人の役に立ちたいのは誰の為?

人の役に立つから、他人の為だと思ってたんですが、実は自分の為だったんですね。

これが本当の意味で理解できました。

そもそも、他人が喜ぶ顔がみたいのは、自分なわけで、言い換えれば自分が幸福感を得るために、他人に協力していただいている。こんな感じに変換することができます。

昔、母親に、人の為と書いて、「偽り」。こう言われたことがありました。

当時は、なんでこと言うんだ、俺は人の為に動いて、喜んで欲しいのに!と理解してくれていないと思っていました。

しかし、そうではないとここにきてわかりました。

それは、前述でも少し触れましたが、他人が喜ぶ顔がみたいのは、自分だったからなんです。

偽りなんだから、人の為に動くんじゃないということではなくて、人の為なんだけど、自分の為にやってるということに氣付きなさい。ということだったんですね。

親ってやっぱりすごい。

そう心から思いました。

長文になってしまいましたし、全くまとまっていませんが、そんなことを思う今日この頃です。笑

氣付くきっかけをくれた彼女と、僕の事をいつも氣にかけてくださる師匠に感謝しています。

それでは皆様、今日も良い一日を過ごされている事を願っております。

いつもありがとうございます🌈🌈🌈


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