見出し画像

光の存在をしる


人にも光がさす瞬間がある

それは物理的なひかりではなく、

内面から溢れでてくるよう光のこと。


私の人生で多い場面は、人の顔をうかがっている自分


この顔をみて読み取る技術は、最初全く必要がなかったはずだけど、中学校の頃から、人との距離感を感じていて、でもそれを隠しながらも無理して付き合っていました。その無理していたからか、2年近く、ほとんど誰とも話せない、無視されていた期間が続きました。部活から始まり、徐々に教室でも話しかけることができないし、話しかけられもしない。


存在していないような存在感で、究極的に目立つ存在


神戸の山手にある女子中学に通っていた。中高生時代の女子は、グループを組む。このグループが全く苦手で、あっちのグループにも入りたかったし、あっちの人も面白そうだし・・・自分の居場所を追い求めてさまよっていました。私にはその癖が今でもあるようで、色々なところ、コミュニティやグループにひょこってお邪魔する行動癖があります^^居場所が選べなかっただけだし、居場所なんて、そもそもなかったからかもしれないけど、しっくりとくるところがなかったのかもしれない。そうやって、転々とグループを渡り歩く私は、いつしか八方美人的に見られて、どのグループにも属せなくなっていった。その変化に気づいた時にはもう遅かった。私は自分がどのグループにも入れなくて、ひとりぼっちになった。一人は一番目立つ。お弁当の時間が一番辛い。一人でお弁当を食べるのが、めちゃくちゃ目立つから本当に嫌だった。


自分を生きざるを得ない環境へ


そんな私が、誰のところに行けば、いいのか。仲間に入れてもらえそうなのか、どうすれば、面白いやつになれるんだろう。飽きずに付き合ってもらえるんだろう。とひたすら、相手の様子をうかがった。どんな自分で入れば、面白がってもらえるのか、ひとりぼっちはもう嫌だから、そのままエスカレーターで高校入学した時、新たに新入生が入ってきたことを機に、高校から入学してきた子たちと仲良くなり始めた。ようやく通学路で、空と語るぼっち生活から卒業できた。仲間のありがたさ、面白み、高校で知り合った仲間は、超個性的だった。自分全開で生きている人が好きだし、自分自身も自分全開でしか生きられない。自分を思いっきり生きている。
例えば、実家が神戸の高架下でおしゃれなTシャツ屋さんの友人は、いつもファンキーなファッションで、めちゃくちゃ、トークもおもろい^^
美人で可愛いがウリの友人は、予備校の先生とあかん関係になってたり^^そういう、もう、自分の魅力で暴走気味の友人たちの存在がわたしの支えになっていった。自分ももう自分を生きよう!


周りの環境を変えることは自分を変えるきっかけになる

こうして、わたしは周りの環境を変えることから、自分をだせるようになり、カラダが楽になっていき、その後、大きく人生を変えることになった、フィンランドへの留学を決めることになりました。
自分は自分を生きるために、大きな選択をすることができて、その選択が自分の人生の枠を広げてくれていることは確かな事実です。人は自分を生きている時にまばゆいくらいの光を放っていることも、この『闇』だと感じていた中学高校時代があったから、『光』の存在に気づけています。


もし、あなたが今、闇の中にいるんじゃないかと感じているなら、それはものすごくラッキー


闇に自分をおいているから、わづかな『光』の存在に気づける。

そう、隙間から漏れた光の存在を、キャッチできるとすれば、あなたが闇を知っているからなんです。
だから、ちょっと闇を抱えている人が好き。
ちょっと漏れた光をキャッチしていく技術を日々磨いております!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?