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数日寝込んで考えた

ご多分に漏れず流行り病にやられてしまった、新年早々踏んだり蹴ったりだ。

スマホも持てず食欲もなく、薬を飲むためだけに申し訳低度のゼリーを胃に流し込み、咳止めと解熱剤が切れるまでひたすら寝る。
それでも30分周期で目が覚める、暑いと寒いが交互にくる。
汗をかいて喉が乾くためかトイレが近い。

うなされて自分の声で起きることもある、数え切れないほど悪夢もみた。
初夢でなかったことだけが救いだと思った、初夢覚えてないんですけど。

少し熱が下がって、解熱剤が効いてる間ならスマホを触っていられるようになった。
文明が、外界との繋がりがありがたかった。
他人のつぶやき、言葉がキラキラ輝いて見えてきた時にふと自分の言葉も大切にしたくなった。

少し下品な表現になるが、自分の言葉で話すことは排泄行為に似ている。

例えば、起承転結があるとしたら結の部分まで話し切らないと残尿感に似た現象が心に現れる。
転の辺りで話の腰を折られようものならもう最悪だ、出かけているのに出きらないのである。
残尿どころか拷問だ、残尿感は癖になると膀胱炎になる。

心の膀胱炎は厄介だ、自分のことを話すことが怖くなり人の話を聞くばかりになってしまう。
インプットとアウトプットは表裏一体、どちらか一方だけではバランスがよろしくない。
人間はもともと、出すものを出すことで心とからだの健康が保たれている。

とは言え、話を聞いてもらう相手にもそれぞれ都合があったり、不可抗力があったり、疲れてて上の空だったり、たまたま飛び込んできた他の話題に心を持っていかれたり、そもそも相手にとって興味のない話を自分が始めてしまったのだという負い目があったり、しかたのないケースがほとんどだなと悩んでいて。

両親の教育方針により聞く力は人並みにある方だが、同じく両親の教育方針により自己主張が得意ではない。
もともとが自分から聞きに回ってしまう慢性膀胱炎みたいな性分であることは否めないので相手ありきで会話を成立させるにはインタビュアーがいない限り難しいかもしれないな、都合のいい時だけ自分がもう一人いればなぁ…

寝込んだのをきっかけにそんなことを考えて、自分自身で心の残尿感を解消するため放置していたnoteをやっと動かしました。

いつまで続くかわからないけどマイペースに自分との対話を発信していきます、どうぞよしなに。

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