【第83回】ライトニン・ホプキンス/テキサス・ブルース・マン
今回は「モージョ・ハンド」(第15回参照)「ライトニン・ストライクス」(第43回参照)と聴いて、あんまり違いがないからもういいかな、なんて言っていたのにあまりのジャケットのカッコよさに惹かれて、また買ってしまった「ライトニン・ホプキンス」である。しかも録音時期も上記2枚とそれほど大きく変わらない1967年、その名も「テキサス・ブルース・マン」。
タバコを咥えてニンマリほほ笑むライトニンさんのジャケットに、私もニンマリしてしまう程のカッコよさ。ライトニンさんの背景には「ジョニー・リー・フ(ここから後ろの文字は切れていて読めない)」の文字が。最初「ジョニー」が「ジョン」に見えて、「ジョン・リー・フッカー」へのメッセージなのかと思ったけれど、よく見たら「フ」の部分が「F(ジョリ様は「H」)」となっていて全然関係なかった。なんとなくだけれど、私はライトニンさんとジョリ様ってどちらも孤高のブルースマンという感じがしていて、勝手にライバル関係みたいな見かたをしているので、そんな先入観のせいで「ジョン・リー・フッカー」に読めてしまったのかもしれない。
そんなジョリ様もかなり独特な世界観を持っていて、結構とっつきにくかったりするんだけれど、その中でも「ブーン・ブーン」とか「ブギー・チレン」みたいなキャッチーな(キャッチーと言ってもこの人の中ではというレベルですが)曲が入っていて、メリハリが効いている感じはある。対するライトニンさんはというと、メリハリなんていうものは全く関係ない。延々とライトニン節をぶちかますぜって感じだ。ライトニンさんを好きな人って、ライトニンさんのそんなところに惚れているのであろうが、そうでない人にとっては、同じような曲が延々と続いて退屈に感じてしまうと思う。ライトニンさんを好きな人でも、一曲一曲を区別して聴いてる人っているのであろうか。私はLPを通しての雰囲気を楽しむという感じで楽しんでいるのであるが、一曲一曲の区別はほとんどついていない。一曲どころかLPの区別すらもつかない可能性すらある。
そんな我が道を行くライトニンさんであるが、この「テキサス・ブルース・マン」は今までのライトニンさんの中でも最もダーティな雰囲気を強く感じたLPだ。法律にギリギリ触れないような仕事をしていて、「金さえくれれば、どんな品物だって運んでやるぜ」なんて言っちゃいそうな、そんな男のブルースである。私の勝手な妄想です。
そしてこのLPはライトニンさんのギターとボーカルだけで貫き通している。ドラムとかベースとか他の楽器は一切入っていない。ライトニン100%なので、剥き出しのライトニンさんを楽しむことができると言えるだろう。まあライトニンさんて周りに関係なく、いつでも剥き出しのライトニンさんを貫き通しているから、それ程他のLPと印象が変わるってことはないんだけれどね。
よくライトニンさんのLPって出来不出来の差があまりないと聞くけれど、ライトニンさんのこういうスタンスが生み出すものなんだろうなと、このLPを聴いて改めて実感。そしてそれはマンネリ化してしまうという側面はあるけれど、常にブレずにいれるというのはやっぱりスゴい。私なんか仕事でもプライベートでも周りに合わせてブレまくりなので、ライトニンさんの爪を煎じて飲みたいくらいだ。
ダーティな
ブルースお届け
ナイト便(ライトニン)
季語はブルース。
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