どのような脚本が求めれているか
有難いことにライターとしての参画希望を頻繁に頂戴するようになりました。現状ではライター希望者にはズーム演劇シナリオを2本提出いただくことにしているのですが、ライター希望者が急増していることを踏まえ、提出いただいた作品につき、作品化の可能性がほぼ無いと認識される場合は書き直しをお願いすることにしております(なお、入会方法は下記をご覧ください)。
ライター希望者が急増しているため致し方がないとは思うものの、我々自身、頻繁に書き直しを依頼するような現況に対して生意気過ぎないかと恐縮し申し訳なく思うところがあります。そのため、出来る限り新規参加者の方に無用なコストをかけないよう、Online Writers' Clubとしてどのような脚本を求めているのか下記に纏めておくことに致しました。
Online Writers' Clubとしてどういう本を求めているかというと、直裁に言うならば撮影に使える本です。以前、漫才師のポイズン・ガール・バンドの漫才で「どんな靴がいいの?」「履ける靴がいいかなあ〜」のようなやり取りがありましたが、当然の如くギャグとして撮影に使える本が良いと申しているわけではありません。新規参入頂いた方や参画希望者の提出するシナリオの多くが撮影には使えない本であり、さらに言うならば、そもそも撮影に使うことを想定して書かれていないことがあまりに多いように思われるのです。
以下、典型的にみられる問題を列挙していきます。
<小道具関連>
やたらと小道具の指定が多いとか、準備が難しい小道具が指定されている等のシナリオは撮影に使うことが出来ません。例えば、「役者2人と子供が登場する家族写真」のような小道具が指定されている場合、写真を準備するだけでも難儀を被ります。また「炭酸飲料を頭の上からこぼす」みたいなアクションが書かれている場合、炭酸飲料を役者の方に購入いただく必要が生じることに加えて、撮影の度に炭酸を頭の上からこぼす必要が生じることから撮影に過大な負担が生じます。
不用意に小道具を指定しているシナリオを読むに、どうしてもその小道具が必要だから使われているわけではなく、十分な考えなしに小道具を登場させているケースが多いような印象を持ちます。
<特殊効果>
映像の特殊効果や効果音についても、どうやって撮影するんだろう?という疑問が放置されたままト書きが書かれているケースを頻繁に目にします。執筆者本人にも撮り方が分からないし、また撮り方を調べる手間をかける気にもなれないものを、役者や他のライターに調べろと暗に指示するのはライターとして根本的な姿勢の面で何か間違ってやしないかと疑問に思うところです。
また、小道具にかかる問題と同様、どうしてもその特殊効果が必要だから使われているわけではなく、他の方法も代替可能であるハズだし違う手法を用いた方がもっと面白くなる可能性さえあるのに、十分な考えなしに実現方法の不明な特殊効果を使っているケースが多いような印象を持ちます。
<配役>
現状、Online Writers' Clubは有難いことに多数の出演依頼を頂戴しています。しかしだからと言って出演可能な役者のプールが無限に存在するわけではありません。例えば、女子高生10人揃える必要があるシナリオは余程のことが無い限り実現に向けて動き出せないでしょうし、複数の子役が必要であるとかアダルトな役が複数必要といった座組はやはり厳しいとお考え頂く必要があると思います。そもそも人数が増えるだけでスケジュール調整は厳しくなります。配役にも制約条件があることを常に頭の片隅に置いて頂く必要はあります。
また、バーチャル背景やスナップカメラ を使うシナリオの場合、グリーンシートやスペックの高いマシーンを準備する必要性から対応できる役者は限られます。加えて、スナップカメラ を利用する場合、やはりどのフィルターを使用するかまで指定いただかないと、他のライターや役者の方でフィルターを探索する必要が生じたり、調べてみたらイメージに合うフィルターが無いなどの事態も起こりえます。繰り返しになりますが、ライター本人でさえ調べる気になれないものを他人が労を割いて実現化に向けて努力してくれるだろうと期待するのは間違っています。
以上のことは言われてみればそりゃそうだよねと納得いただけることばかりかとは思うのですが、実のところ、上のような問題が山積するシナリオが提出されることが殆どで、撮影することをきちんと想像して書かれた本が提示されることの方が稀です。
斯様な状況が生じてしまう背景を考えると、中々にして根が深い問題が浮かび上がってきます。残念ながら、今の日本の現状では、脚本家/シナリオライターは、どんな風に作品化するかまで考えて本を書く必要がないものとされています。シナリオのスクールでも、コンクールの選考基準をみても、実際に作品化できるように書くことの必要性は全く謳われてはいません。実際に作品に責任を持つのは監督や演出家であり、ライターはどうやって作品化するかまで事細かに考える必要なんてないし、また作品化の方法まで考えるのは、監督等の仕事を侵食する行為だと考えられているようです。
要するに脚本家やシナリオライターは多くの場合、作品に対して最終的な責任を取れる位置付けではないと考えられているのです。ライターの側でも、そのことを漠然と理解してしまっていて、であるが故に作品化するために重要は問題は他人が考えて解決してくれるに違いないと考えてしまいがちなのでしょう。きちんとシナリオや脚本の勉強をされた方でも、どうやって作品化するかまで考えられた設計図としての本を書く訓練を受けていません。又、そもそも設計図としての脚本と設計図の一歩手前の状態としての脚本の差異について意識する機会も乏しいのでしょう。
Online Writers' Clubでは、曲がりなりにも私たちは実戦をやっています。本を作り上げる作業だけでなく、配役を決める作業もやれば役者との交渉も致しますし、撮影に立ち合い演出や編集までやらせて頂きます。私たちが欲しいのは設計図としての脚本です。原案としての脚本だけ書いて、作品化する責任を他に放り投げるようなスタンスではなく、作品として撮影できる状態まで責任を持って本を仕上げる必要があります。
ズーム演劇はまだ日の浅いジャンルですから、本当の意味でズーム演劇に精通している人なんてまだこの世にはいません。どのように作品を制作していくか自分たちなりに開拓していく必要があり、どうやって作品化するかを考えて実現していくことにこそ当クラブの醍醐味があるとも思います。
私たちは設計図としての脚本を執筆し自らグリップを握って作品制作することにご関心をお持ちのライターとの出会いを求めております。ご興味のある方はお気軽にツイッターでDM頂ければと存じます。
文責:花緒