「ズーム演劇」は演劇なのか問題
先日、演劇サロンプロジェクトの皆様を交えて座談会を開催いたしましたことを契機として、Twitterなどで「ズーム演劇」は演劇なのか問題が各所に飛び火に様々な議論が交わされました。
ズーム演劇を標榜するわけでもない多くの方々がズーム演劇を擁護してくださる中、議論の契機を作った肝心のズーム演劇側の人間が何の発言もしないのは如何なものかとも思われるため、甚だ簡単ではありますが、Online Writers' Club中の人である花緒が意見を綴らせて頂きます(なお本件はOWCの見解を代表するものではなく、あくまで花緒個人の私見に過ぎません)。
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「ズーム演劇」は演劇なのか問題を考えるに当たって、そもそもズーム演劇が何故「ズーム演劇」と呼称されているかを鑑みるに、「コロナで公演が打てなくなった演劇人によって創始されたから」というごく単純な理由が浮かび上がってきます。もし仕事をなくしたコント職人や映画人によって創始されていれば「ズームコント」若しくは「ズーム映画」と命名されていたに相違ありません。
Online Writers' Clubが始まった時には、すでに「ズーム演劇」はそれなりに定着した呼称であったので、私としてはその呼称をそのまま使用し続けているに過ぎません。なお、座談会で申し上げた通り、実態としては「ズームドラマ」だろ、と思っておりましたが、作品制作を通じて「ズーム演劇」がやはり適切という考えに至っております。
その理由としては、臨場感の有無が観賞体験の質を大きく左右すること、加えて、制約条件がそのジャンルらしさを醸成する主因となっていること、等ですが、座談会でも一部語らせて頂きましたので、改めて詳細を説明することは致しません。
さて、少し目先を変えて話を続けさせて頂きますと、真偽のほどはよく知りませんが、レコードが発明された当初、多くの音楽人たちは「これで音楽観賞といえるのか」と訝しがったと聞きます。当時のレコードの音質。観客の熱狂を伴わない演奏。レコードは音楽なのか。生演奏こそ音楽なのでは二ないか、というような議論があったと聞きます。
現在のズーム演劇を巡る議論と極めて類似していますが、少なくとも音楽に関しては、今となっては誰も斯様な議論に興味を持つ人はいません。やっぱり生演奏でしょ!と思っているミュージシャンもレコードやCDを売らないと糊口を凌げないし、CDが全く売れない状態では、ライブに観客を動員することも難しいのです。
おそらく演劇も同様の帰結に到るのではないかと思うのですが、感染対策の必要から満席にすることが難しい現況下、オンライン配信を使わないと赤字になってしまう劇団が多いと聞きます。また、全く知らない劇団の公演を見にふらっと劇場に行く、なんていう行動パターンを示す観客がコロナ後、相当に減少するでしょうから、リモート演劇をうまく活用しないと、新規の観客に訴求することがが難しくなる未来がほぼ見えている気がするのです。
CDを聞くのは音楽観賞と言い得るか?といった議論が無効化して久しいことを鑑みれば、ほぼ見えている未来において、否、現在においても、ズーム演劇は演劇なのか、という議題にほぼ意味がないように感じております。
今後、リモート演劇をうまく取り込めるか否かで影響力を増す劇団と公演を打つことさえ難しくなる劇団への格差が広がっていくのではないでしょうか。「ズーム演劇は演劇じゃない」の一本槍で批判を続けたい気持ちもわからないではないのですが、変化に対応できない側の恨み言のように聞こえてしまうのは私だけでしょうか。私は変化を楽しむ側でありたいと考えています。
(了)