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「レース編」は検閲を受けたか?

 こんにちは! 戦前の出版物から、レース編みに関するものを取り上げてご紹介しています。きのうはその中でも、当時流行していた「スリップにつけるレースの飾り」というアイテム限定で5点見ていただきました。(➀〜⑤)
 これらに添えられた説明文が面白かったので、もう一度載せてみます。


一つづゝの花をあみながら継(つな)いでゆくだけですから、お手隙を利用なされば、いつか知らず出来上がつてしまひます。 
 あみ上がつたものは肌触りが涼しく、これを透くドレスやブラウスの下に召したのは大そう美しく見えますから、どうぞおあみくださいませ。

主婦之友七月号付録『レース編と夏の手藝品の作方』
昭和14年


鈎針で網にあんだ地に、花の模様を嵌め込んだ、むづかしさうに見えて簡単にできるレース編です。夏の透くドレスやブラウスの下に、このレース編の飾をつけたスリップを召してごらんなさい。透けて涼しく、一段と引立ちませう。

主婦之友七月号付録『流行のレース編と刺繍六十種』
昭和13年


最近のレース流行につれて、スリップなどの下着類にも、レースを応用することが目立って多くなりました。(…)夏のものは、毎日のやうにお洗濯しますが、質のよい絲でおあみになれば、幾度でもお洗濯がききますから、スリップの布(きれ)が損(いた)んでも、レースは新しい布につけ替えて、随分長くおつかひになれます。 涼しいことは申すまでもありませんが、さらつとして着心地もよく、夏の下着用には一番おすゝめしたいものです。

主婦之友六月号付録『夏向の編物手藝四十種』
昭和11年


マーサクローセの鈎編で、一見むづかしさうですが、見たよりはらくにあめる、始終お洗濯するのに丈夫で上品なレース編です。

主婦之友六月号付録『夏向の編物手藝四十種』
昭和11年


布(きれ)の方を二度も取り替へたのに、胸飾は未(いま)だに少しも損(いた)んだところもない、と愛用家が自慢されるくらゐ、このレース編は實用本位なもので、そのうへさらつとして肌触りがよいため、最近目立って流行してまゐりました。

主婦之友五月号付録『内職としても有望な 流行レース編と絹絲編の編方集』
昭和15年

 これらの内容を分類してみると、だいたい次のようになります。
㋐手軽に編める、難しくない  ……➀②➃
㋑涼しい、肌触りがよい    ……➀②③⑤
㋒丈夫で洗濯がきき、長持ちする ……③➃⑤
㋓服の下から透けて見えるのが美しい……➀②

 ㋐㋑㋒はともかく、㋓はちょっと意外でした。スリップの飾りは「見えないおしゃれ」とは限らず、薄い夏服の下から透けて見えることも想定されていたんですね。「自作のレースをごく控えめに自慢したい」という微妙な女心が感じられます。
 この「透けて見える美しさ」が強調されているのは、昭和13年と14年です。しかし15年になると、そのような記述のかわりに「実用本位」であることが強調されます。「布のほうがすでに2回もダメになったのに、レースはまだOK」と、丈夫さがアピールされています。
 しかし、これって何だか奇妙ではないでしょうか。レースの飾りはそもそも実用品だとは思えません。肌触りはともかく、レースを編む手間、縫いつける手間、干すときに形を整える手間のことを考えれば、いっそレースなんかないほうが実用的ではあるはずです。でも女性たちはレースをつけたい。それは「きれいだから」「自分で編んだことが誇らしいから」であって、実用的だからじゃありません。
 レース編みの専門家である先生たちは、おそらくそんなことはよくわかっているのです。でも時代の雰囲気は、レース編みにとって厳しいものでした。
 これは私の推測にすぎないのですが、昭和15年の説明文で「実用本位」が妙に強調されているのは、検閲を恐れてのことではないかと思います。
 「検閲」というとふつうワイセツとか暴力、政治性などが想起されます。でも実はこの時代には、それらとは正反対なこと――繊細・優美・華やか・ロマンチックなどということも、時局にふさわしくないとして検閲の対象になっていたのです。

昭和11年

 そのことは、先日すでにご紹介した田辺聖子さんの自伝『欲しがりません勝つまでは』に述べられています。田辺さんは雑誌『少女の友』を通じて、中原淳一の絵の大ファンでした。

中原淳一の絵の美少女は(…)気品があり哀愁があり、色が美しかった。私には、病的とか、退廃とかいう感じは全くなかった。ただ、清純なロマンを感じた。(…)
『少女の友』から中原淳一の絵が消えた。私にはまるで火が消えたような気がした。(…)
 中原淳一の絵は、あんまり美しくて、戦時中の国民の士気をたかめるにはふさわしくないと、軍は判断したのだった。
 少女雑誌ですら、軍の検閲はきびしくなっていた。軍人は、少女雑誌の表紙や挿絵にも、健康な農村の娘が、稲刈りしているような絵ばかり要求していた。
 しかし『少女の友』編集長は、「世の中が殺伐になればなるほど、華やかな美しいものを読者は求めている」と思い、軍人からの注意を、何かといって言い逃れていたのである。

田辺聖子『欲しがりません勝つまでは 私の終戦まで』

 日本でもこういうことが、現実にあったのですね。
 同じようなことがレース編みに対しても起こったのではないかと私は考えています。少女雑誌に検閲が入るなら、大人の婦人雑誌にも入るでしょう。だからこそ先回りして「丈夫で長持ちするんです」「実用的なんです」と強調したのではないかと。
 でもそれも虚しい抵抗でした。レース編みには庶民の女性のささやかな喜びや誇りが詰まっていたと思うのですが……。
 令和に生きてることに感謝です。

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