「レース編」は検閲を受けたか?
こんにちは! 戦前の出版物から、レース編みに関するものを取り上げてご紹介しています。きのうはその中でも、当時流行していた「スリップにつけるレースの飾り」というアイテム限定で5点見ていただきました。(➀〜⑤)
これらに添えられた説明文が面白かったので、もう一度載せてみます。
これらの内容を分類してみると、だいたい次のようになります。
㋐手軽に編める、難しくない ……➀②➃
㋑涼しい、肌触りがよい ……➀②③⑤
㋒丈夫で洗濯がきき、長持ちする ……③➃⑤
㋓服の下から透けて見えるのが美しい……➀②
㋐㋑㋒はともかく、㋓はちょっと意外でした。スリップの飾りは「見えないおしゃれ」とは限らず、薄い夏服の下から透けて見えることも想定されていたんですね。「自作のレースをごく控えめに自慢したい」という微妙な女心が感じられます。
この「透けて見える美しさ」が強調されているのは、昭和13年と14年です。しかし15年になると、そのような記述のかわりに「実用本位」であることが強調されます。「布のほうがすでに2回もダメになったのに、レースはまだOK」と、丈夫さがアピールされています。
しかし、これって何だか奇妙ではないでしょうか。レースの飾りはそもそも実用品だとは思えません。肌触りはともかく、レースを編む手間、縫いつける手間、干すときに形を整える手間のことを考えれば、いっそレースなんかないほうが実用的ではあるはずです。でも女性たちはレースをつけたい。それは「きれいだから」「自分で編んだことが誇らしいから」であって、実用的だからじゃありません。
レース編みの専門家である先生たちは、おそらくそんなことはよくわかっているのです。でも時代の雰囲気は、レース編みにとって厳しいものでした。
これは私の推測にすぎないのですが、昭和15年の説明文で「実用本位」が妙に強調されているのは、検閲を恐れてのことではないかと思います。
「検閲」というとふつうワイセツとか暴力、政治性などが想起されます。でも実はこの時代には、それらとは正反対なこと――繊細・優美・華やか・ロマンチックなどということも、時局にふさわしくないとして検閲の対象になっていたのです。
そのことは、先日すでにご紹介した田辺聖子さんの自伝『欲しがりません勝つまでは』に述べられています。田辺さんは雑誌『少女の友』を通じて、中原淳一の絵の大ファンでした。
日本でもこういうことが、現実にあったのですね。
同じようなことがレース編みに対しても起こったのではないかと私は考えています。少女雑誌に検閲が入るなら、大人の婦人雑誌にも入るでしょう。だからこそ先回りして「丈夫で長持ちするんです」「実用的なんです」と強調したのではないかと。
でもそれも虚しい抵抗でした。レース編みには庶民の女性のささやかな喜びや誇りが詰まっていたと思うのですが……。
令和に生きてることに感謝です。