裁判は続く…日航機墜落事故
1985年8月12日午後6時56分ごろ、羽田発大阪行き日本航空123便(ボーイング式747SR-100型 JA8126)が群馬県・御巣鷹の尾根に墜落、乗客乗員520人が死亡し4人が重傷を負った。7年前に起きた事故の修理ミスで、後部圧力隔壁の強度が不足していたことが原因とされている。遺族でつくる「8・12連絡会」によると、犠牲者が出たのは401世帯。うち22世帯は一家全員が亡くなり、父子家庭になったのは13世帯、母子家庭は189世帯だった。就役前の試験航海をしていた海上自衛隊の護衛艦「まつゆき」(老朽化のため2021年4月7日に除籍)は、捜索活動で123便の垂直尾翼部分を発見している(画像は運輸安全委員会の航空事故調査報告書 62-2-JA8119より)。
ANN(テレビ朝日をキー局とした民放ニュースネットワーク)は情報公開請求で得た資料などから、残骸が沈んでいるとされる相模湾の海底を調査し、2015年7月29日に静岡県東伊豆町の沖合約2.5キロ、123便の推定飛行ルートの真下にあたる水深160メートルの海底で、日本航空123便の部品の可能性がある物体を発見した。
2020年7月22日、「相模湾から日航123便の機体残骸を引き上げて墜落原因を解明せよ」をスローガンに「日航123便墜落の真相を明らかにする会」が発足した。事務担当の青山透子さん(健康社会学者Kさんのペンネーム?)は元日本航空国際線客室乗務員で、国内線時代には事故機のクルーと同じグループで乗務。墜落事故では日本航空の乗組員15人が亡くなっている。2021年6月28日、墜落事故の遺族らが日本航空に対して、事故機のコックピットボイスレコーダ(操縦室音声記録装置)とフライトデータレコーダ(飛行記録装置)のデータ開示を求めた訴訟の第1回口頭弁論が東京地裁(三輪方大裁判長)で行われた。原告は乗客の夫を亡くした大阪府箕面市の吉備素子さんと、副操縦士の弟を亡くした熊本市の市原和子さん。
墜落事故では救助活動が遅れたことから様々な疑念が持たれている。「日航123便墜落の真相を明らかにする会」の事務担当・青山さんや事故で子供2人と親族3人を亡くした遺族であり調査分科会会長でもある小田周二さんは、墜落の全容を解明するために出版活動を続けている。
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