ムラハシ「初舞台の前日、俺泣いちゃって。」
早津・写真 創価大学落語研究会所属。創価大学の落語研究会に在籍しており、現在、創価大学のお笑いサークルである創価大学落語研究会に身を置いている。
渡邉・筆者 帝京大学お笑いサークルア☆テンション所属。パチンコバイト始めた。
湯澤・撮影者 帝京大学お笑いサークルア☆テンション。新人戦スタッフやるのが楽しみみたい。
就活が無理でお笑いに復帰
早津 創価大学落語研究会4年で、ジャックジャックとムラハシとして活動しています。本名、早津(はやつ)です。
渡邉 「ムラハシ」はどこから?
早津 本名で活動するの恥ずかしかったから、ピン名は偽名が良いなと思って、地元の駅から一部を切り取った。
渡邉 なんで本名は嫌だったの?
早津 いやぁ…ちょっと…、シャイっていうのもあって。高校の友達にお笑いやってるのを知られたくなくて、「早津」って結構珍しい名字だからバレるのを危惧して今の名前に。
渡邉 そもそも3年引退でもうお笑いやらないみたいな話もしてたけど、どういう心変わりで?
早津 就活してたんだけど、上手く行かな過ぎて。ES(エントリーシート)までやったんだけど、駄目だった。かしこまった文章とか…。社会に向いてなさすぎて…。落研でまぐろ(阿世知)と善ちゃん(峪)が続けてたから、俺も逃げちゃった(笑)。元々就職するか放送作家になるかって2択で考えてたから、親も「それはそれでいいよ〜」って感じだった。
渡邉 同期は「やっぱお笑いやるわ」って言い出してどんな反応してた?
早津 同期はみんな、「(早津は)普通の社会人は無理だろな」って思ってると思う。ずっとお笑いオタクだったから、「あ〜やっぱりね」みたいな反応はされてる。
渡邉 「ジャックジャックをもう一回やる」はどっちから声掛けた?
早津 どっちだっけな?元々4年次の一個目のライブに出て、俺はもう就活やるって決めてたんだよ。でもその時期の就活が駄目で…。200字ぐらいのエントリーシートが「学生時代何を頑張りましたか?」って内容なんだけど、「勉強頑張りました」みたいなのを無理矢理伸ばして。そりゃ落ちるじゃん。それで、恥ずかしいから記憶からは消してるんだけど、俺から「ジャックジャックもっかいやらせてください」みたいな感じで声掛けたと思う。
渡邉 そこから再開してどんな感じでライブを踏む感じになった?
早津 とりあえず夏芸会に上がる為の戦略を始めて。今までジャックジャックは漫才やってたんだけど、コントに切り替えて、「コントで一発逆転狙おう」。コントってネタによっては爆発する可能性があるって考えに至って、7月ぐらいに落研のライブがあって、そこでジャックジャックとして出て。外ライブも一回だけ出たのかな?『コント進化論』のチケットを得る為のライブに出て。
渡邉 ネタはどうやって作ってる?
早津 まぐろくんはメルでずっとコントやってたから、コントに関してはまぐろくんの方が知ってる訳よ。まぐろくんがシチュエーションとか設定を持ってきてくれる。そこに俺がボケ出しとかしながら二人で作り上げていく感じ。着想まぐろの、二人でボケ出し、台本化は俺。って感じで、やらせてもらってます。
渡邉 「やらせてもらってます」?(笑)
早津 俺コント書けないのよ。まぐろくんのゼロイチがあってのネタだから。まぐろさんにコントやらせてもらってるなぁって。
渡邉 ムラハシはどんな感じで戻った?
早津 ムラハシは4月に同期ライブ呼ばれて、それからかな。ムラハシも芸会出るつもりじゃなくて。ムラハシも正規ではないから。創価落研は「正規コンビ一個に集中しよう」っていうのがあるから、二個コンビやってるまぐろとかは珍しい。でも芸会前に他の4年生が「お前どうせムラハシも出れるんだから出ちゃえよ。どうせ就活やんねえんだろ。」って言ってきて、「じゃあ出よう」。
ムラハシの「コスプレフリップ」
渡邉 ムラハシは急にライブ出てない状態から芸会に向けてどう調整したの?
早津 ムラハシも「コスプレフリップ」というフォーマットがあったから。3年のNOROSHIで桃白白でハネさせて頂いたから、そのフォーマットで新ネタを作ってみようってなって、「ミホークだ」って。
渡邉 キャラはどうチョイスしてる?
早津 俺が知ってる漫画で、みんなも知ってるけどちょうどマイナーなキャラ探し。スケボーで登場するから、何で登場したら面白いかなって考えると、ミホークってデッカイ剣という視覚的にバッと入ってくる面白があるから。
渡邉 コスプレフリップは元々どう生まれたの?
早津 元々ムラハシって3年次の途中まで普通のフリップ芸人だったんだけど。俺ってずっと普通の人だから、逆に無個性ってことを活かそうと思って、真っ黒な服を着て自分の個性とか出さない無個性フリップをやってたんだけど。
学内ライブでやったドラゴンボールの名言で大喜利するフリップをNOROSHIに持って行こうとしたら、落研の2個上の宮澤さん(金星8畳)から「このネタ面白いけど、桃白白で出たら面白いんじゃね?」って口に出て。「おばあ(早津)は自分にキャラが無いから、逆にコスプレでキャラに憑依できる」「じゃあ、桃白白でやらせていただきます」。桃白白といえば丸太に乗るシーンだけど、あれを再現できたら面白いねって話になって、今までの大喜利も残しいの、丸太のスケボーに乗って登場して、NOROSHIでハネさせて頂きました(笑)。本当にウケさせて頂いてる。コントの面白いのを考えてくれるのはまぐろで、ピンで面白いのを考えてくれたのはデスコ(宮澤)さんだから…、本当に僕は何もしてないです…。
渡邉 あのミホークの船(スケボー)とかはどうやって作るの?
早津 同期のガノンドロフ(メル)に俺が「丸太作ってくれ」ってお願いしたら「いいよ」みたいな感じで。チームメイトのピンチだから助けてくれようと、ガノンも必死に工夫をこらして、スケボーの横にダンボールで作った丸太を取り付けてくれて。凄いのよあれ、工夫が。どうやって地面に付かない様にするかとか。ガノン工作めっちゃ得意で、メルの小道具とかも基本ガノンが。
渡邉 衣装は?
早津 衣装はスタッフの子に頼んで。Twitterで落研内の俺のアカウントがあるんだけど、そこで「誰か衣装作ってください」ってツイートしたら。一人の子が反応してくれて。あれもすごい。採寸もしてくれて、オーダーメイドの桃白白(笑)。ムラハシサイズ。本当にあれはね、一生持ってるわ。
渡邉 本当にあのネタでムラハシ自身が用意したのはフリップのみ?(笑)
早津 フリップのみ(笑)。本当に脳みそって人によって得意不得意あると思ってて。俺、バカリズムさんとか寺田寛明さんとかが好きで、中身だけで勝負しますよみたいなフリップしか書けないから。まぐろとかデスコさんに、そういう無個性のやつを大学お笑いでハネる様に調理してもらったって感じ。
発明系のネタが好き
渡邉 元々バカリズムとかのネタが好きだったんだ?
早津 バカリズムが一番好きかな。この間みとけん(横国わかば)と話す機会があって、みとけんもバカリズム好きだからめちゃくちゃ盛り上がっちゃって。みとけんのコントもバカリズム味を感じるというか、その人のキャラとかじゃなくてネタの中身で勝負してる感じが好き。
渡邉 でもそういうネタって、真似しようとしても真似できるネタじゃないよね。
早津 やっぱりその人によって得意不得意ってあると思うから。逆に俺は何も分かんないから。見せ方とか演出とかさ。桃白白で出たら面白いなんて宮澤さんに言われるまで一生思いつかなかったから。凄いなって思う。
渡邉 元々どういうお笑いが好きだった?
早津 でもコントより漫才のほうが好きかな。コントって見せ方見え方の面白さがあるけど、漫才って台本とか掛け合いの面白さがあるから、漫才好きで育ったかな。ハタハタ(早津が3年次までやってたコンビ)でもそういうネタをしてた。
渡邉 ハタハタの漫才ってメタっぽいネタのイメージだけど、それはどういう影響で?
早津 元々メタっぽいネタは好きじゃなかったんだけど、大学お笑いでビデボーイズ(現:レインマンズ)さんとかを見て、面白いと思うようになったかな。元々新しい、見たことないようなネタが好きだったから、よく考えたらメタを好きになるのは必然だったよね。
生粋のお笑いオタク
渡邉 幼少期はどんな子だった?
早津 それこそ、M-1,"2006"の…
渡邉 早っ!
早津 早いよね(笑)。オタクだったから。M-1,2006の麒麟とチュートリアルで周りの大人とかがすげえ笑ってるから、「面白っ、なんだこの世界」と思ってお笑いに興味持ち始めたかな。ただ子供だったから面白さとかはまだ分かんなくて、エンタとかの分かりやすいお笑い番組を見てたりしてた。いや〜、オタクだったね。
渡邉 どういうオタクだった?ライブとか?
早津 ライブはお金無くて見れてなかったんだけど、新喜劇とか東京の深夜でやってるのを録画したりとか、M-1好きだったからM-1をウォークマンで録音して、ちゃんとタイトル付けて、登下校中にずっと聴くみたいな(笑)。授業中も服の袖からイヤホンのケーブル通してずっと聴いてた。
渡邉 逆に小学生ぐらいだとお笑いの趣味合う友達もそんなに居なくない?
早津 居ないから、伏せてたよね。ここで「お笑い好き」って言ったら浮くなと思って。小学生の頃にちょっとオタク出したんだよ。チュートリアルとかNON STYLEのネタ書き起こしみたいなことをやってて、小3ぐらいから。友達にそれを自ら見せたら「おぉぅ…」みたいな反応されて、そっから隠すようになった。
渡邉 逆にみんなが好きなマンガアニメみたいなのは?
早津 意外とサブカルも通ってるんだよ。「みんなお笑い好きじゃないんだ…」って思ってから「ONE PIECEというものが巷では流行ってるらしい」ってなって、それから漫画も読むようになった。
渡邉 当時からお笑いオタクだったら、お笑いやる機会はあった?
早津 一回小2の時にクラスのお楽しみ会で漫才やったのよ。俺がボケで、NON STYLEに影響されてたのか、それっぽいことをやってたんだけど、俺が途中で大飛ばしして、それがトラウマで、「やっぱ俺は人前じゃないところで活躍しなきゃ駄目なんだ」と思って。だからそれだけ。小中高で人前でやったのは。
渡邉 ハガキ職人もやってたよね?
早津 うわっ…。恥ずかしいなぁ(笑)。今学生芸人でもハガキ職人だった人とか結構いるけど、同じだと思われるのは申し訳ない。そんなに読まれてないから。いっぱい芸人の深夜ラジオ聞いてて、その中のハガキ職人と呼ばれる人達が面白過ぎて…。「これで読まれたら陰キャの俺でも世界に爪痕を残せる」と思いながら、ハガキ送ってたんだけど、毎回読まれずに、ラジオ聞き終わってから自分の面白くなさに「クソが!」って思いながらの…、そんな高校時代でした…(笑)。
初舞台が怖すぎて涙
渡邉 どう落研入部に踏み切った?
早津 やっぱ大学を決めるに当たって、お笑いに近いとこで楽しんでたいなと思って。とりあえずお笑いサークルというものがあるらしい、お笑いサークルがある大学に行こうと思って、自分の学力でも行けて、奨学金も手厚いっていうので検索かけて、創価大学がハマって、選んだかな。当時インカレって仕組みを知らなかったけど、もし知ってたら、近くの大学に行きながら他大のお笑いサークルに入るって道もあったと思う。
渡邉 落研入ってどうだった?
早津 俺元々演者やるつもりなくて。ずっと深夜ラジオコソコソ聴いてるような奴だったから、「裏方として近くで舞台見てたら楽しいな」と思ってたんだけど、一個上の先輩が「ちょっとでも演者やりたいならやっちゃえよ」って言ってきて。高校の部活も一年で辞めたせいで久しぶりに先輩というものに触れたから普通に断れなくて(笑)。当時ハイスクールマンザイの経験があった来夢(ハタハタの相方)に声を掛けて、コンビ組んだって感じかな。
渡邉 初舞台はどうだった?
早津 初舞台の前日、俺泣いちゃって。涙が止まんなくて。怖過ぎて。創価落研の1年生の初舞台って学生ホールっていう良い会場でやらせてもらえるんだけど、
渡邉 どれぐらいのキャパ?
早津 200かな?
渡邉 方南会館よりデカい(笑)。
早津 舞台とかが披露できる様な施設だから、「駄目だよ俺…、こんな舞台で出来ねえよ」と思って泣いちゃって。でも時は来るからさ…、朝日は登るからさ…。
渡邉 寝れはした?
早津 寝れてないんじゃないかな。ほぼ飛ばさないためのネタの暗唱に時間使って。
渡邉 実家よね?親とかどんな感じになるの?(笑)
早津 親に演者やってるのがバレたくなかったから。一回ネタを飛ばしたトラウマの日から「あんた次いつ漫才やるの?」って言われ続けてたから、「うるせえクソババア」とか内心思いながら「落研に入っても絶対演者やってること言わないぞ」と思って、家でコッソリ泣いてた(笑)。
渡邉 実際当日はどうだった?
早津 スベりはしなかった。「1年生です!どうぞ!」って感じで出されるし、創価大学のお客さんってみんな優しいから。なんとか凌いだね。いや〜、滑らんなぁということで。
渡邉 おや?
早津 滑らんなぁ〜、ポン。ということで。
宮澤さんに救われる
早津 1年生の7月の学内ライブで、ハタハタでドチャクソ滑って。「もう〜落研辞めたりますわ!」ぐらいまで来てたのよ。だから俺、1年の芸会出てないんだよね。
渡邉 それはメンタル的な問題で?
早津 メンタル的な問題で。それも、7月のライブでやったネタっていうのが、個人的に好きなネタで。ホクホクしてたのよ。ワクワク通り越してホクホク。湯気出てるぐらい楽しみにしてて。それがありえんぐらい滑って。「マジかよ…。なんじゃお笑いって」。1年生の間ってそんなウケてなくて、1年生の9月ぐらいに「このままお笑い辞めようかな」って思ってたら、それもまた2個上の宮澤さんが「お前一回俺とコンビ組んでライブ出てみないか?」って辞める俺を引き止めてくれて。それで、当時の部長の宮澤さんと二人で漫才して、単純に「楽しい!」ってなったんだよね。
渡邉 すごいな(笑)。
早津 宮澤さん、すげーツッコミ上手いからさ。ネタ合わせぐらいからすげー楽しくて。「これぐらい掛け合い上手く行ったら楽しいのか」ってなって、なんとか辞めずに持ちこたえた。