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お笑い番組の感動演出 違和感のわけについて考えてみた
M-1のアナザーストーリーを見ました。ドキュメンタリータッチのこの番組は、M-1の裏側を芸人視点で見られる番組のため、お笑いファンとしては楽しみにしています。
今年のアナザーストーリーは優勝した令和ロマンとヤーレンズの二組の「成長」が軸に描かれ、非常に爽やかな作品に仕上がっていました。
もっと言えば「感動演出」が薄まっていてよかったな、と感じました。
過去のアナザーストーリーでは、M-1優勝後の家族に電話をして「泣き」、お世話になっている人と会って「泣き」、たくさんの芸人の涙が記録されていました。
たしかに、これまで血のにじむような努力を重ねたきた芸人たちが、M-1優勝で喜びの涙を流すのはごくごく自然なことでしょう。わたしも見ながら何度も泣なされました。
しかし、アナザーストーリーに限らず、お笑い芸人を扱った番組での過剰な感動演出には、まんまと泣かされながらも、一方で心のどこかに違和感を持ってしまいます。
昨年のアナザーストーリーでは、ウェストランドが「アナザーストーリーがうざい」と言い切っていましたので、そう感じる芸人たちも少なからずいるのかもしれません。
では、「感動演出」のどこに違和感を持ったのか、お笑いファン目線で掘り下げて考えてみました。
1,感動と笑いは相性が悪いから
芸人たちのネタを見ていて、つくづく人を笑わせるということの難しさを痛感しますが、「感動」は別の方向に行っているように思います。
ドキュメンタリー作品などを見ると感動しますが、同時に私たち視聴者は「かわいそう」「こんなにがんばっている」と感じ、登場人物たちに同情的な感情を持ちます。
しかし、彼ら芸人の涙を見て「この芸人はこれまでこんなに大変な思いをして人を笑わせていたのか・・・」と、舞台裏を見た後でその人のネタを見ると、「かわいそう」「こんなにがんばっている」という不要なバイアスがかかって、心から笑えないような気がします。
むかし、子供が誘拐された人気芸人がテレビで大泣きした後人気が低迷してしまった、というエピソードを聞いたことがあります。特にその芸人さんが毒舌で有名だったこともあり、その後非常にやりにくくなってしまったそうです。
やはり、「涙」はテレビ的に画として美味しいとしても、「笑い」との相性はあまり良くないようです。
2,M-1で優勝して、その感動がピークになってほしくないから
もう一つの違和感は、「M-1で優勝して、その感動がピークになってほしくないから」です。
M-1はやはりコンビ歴15年以下の若手から中堅のコンテストの位置づけです。
優勝したコンビがそこで面白さのピークになるのではなく、そこからさらにベテラン、名人の粋へと成長してほしいという期待を持ってしまいます。
アナザーストーリーの涙のインパクトがあまりに強いと、視聴者のその芸人へのイメージがM-1優勝の感動のほうに固定されてしまい、芸人としてやりづらいのではないかと考えてしまいます。
まとめ
今回は、お笑い番組の感動演出への違和感について考えてみました。
お笑いを見ながらの「涙」は、お腹がよじれるような「泣き笑い」が似合っていると思いました。
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M-1がなければ知ることもなかった芸人さんがいっぱいいるなあ・・・
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