4/30 苦しさとの対峙
ここ数日、毎日を楽しもうと、或いは自分自身を磨こうとしていた分の揺り戻し、バックラッシュが突然来た。ベッドから起き上がれなくなった。またぼんやりとSNSを覗いてしまう。どうやら風呂キャンセル界隈が今日のトレンドだそうだ。
昨日、元カノと付き合って以降帰っていなかった実家に帰った。元カノと別れて、もう一度自分をやり直そうと昔のアルバムやら表彰やらを掘り起こした。どうやらそれが精神的に大きなバッドを引き起こす要因だったらしい。
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俺の小学〜中学時代はひたすらに己の無能さとルッキズムと人間関係に苦しめられていた。当時腫れぼったい一重でニキビ面だった俺は所属していたバスケ部では笑われ者だった。突然、「面白いものを見せてやるよ」と言われ鏡を渡されたり、「顔キモいな〜お前」等と暴言を吐かれるのは日常茶飯事であった。なんとかボケ返して面白芸人枠で過ごすのが精一杯だった。こんな醜い容姿であったので、女バスにも薄ら嫌われていた。陰では「あいつって家でネズミ飼ってそうだよねw」と噂をされていた。当然恋愛対象なんてもっての外の存在であった。親も周りの大人も理解がなかったので「ほっとけば治るよ」とか「誰でもあることだ」くらいのアドバイスしか貰えなかった。当時はメンズ向けの美容という概念も浸透していなかったため、手当たり次第プロアクティブなんかに手を出しては肌に合わずに悪化、なんてことを繰り返してばかりだった。それが心身共に悪循環を引き起こしていた。
俺には居場所がなかった。物理的にも、精神的にも。
バスケ部で問題を抱えていたのは俺だけではなかった。俺以外のメンバーもどこか薄ら嫌われるような奴等だった。当然俺以外のメンバー間でもいじめが起こっていた。
スタメンであるにも関わらずチームメンバーが嫌いだった。上達もある時期からしなくなった。試合の勝率もどんどん低くなった。朝練にも行かなくなった。朝練どころか、学校自体にも遅刻するようになった。年度末に配られた成績表に書かれた遅刻回数は96回であった。
その頃から希死念慮に襲われるようになった。
幸い、少しだけ勉強が得意であった。部活引退後、チームメンバーとは早々に縁を切り、仙台のトップクラスの高校を目指して猛勉強をした。「ガリ勉」と嘲笑されても、邪魔をされても気に留めなかった。下手に歩みを止めたら死にたくて仕方なかった。
勉強時間以外はひたすらに鬱作品を漁っていた。鬱作品を漁っていたので、国語はダントツで得意だった。公立の高校入試も余裕で受かる気がしていた。
自分を裏切ったのは自分だった。合格番号に自分の受験番号はなかった。点数開示をしたら、他の科目が9割前後なのに国語の点数が69点と異様に低かった。直前までインフルエンザで苦しんでいたからだったのだろうか、それとも毎日少しずつ精神が削られて行ったからなのだろうか。
荒れた人格が姿を出した。家に帰ってから壁に3つ程穴が空いた。
滑り止めの私立高校はとにかく偏差値至上主義、管理型のよく言われる「自称進学校」的な高校だった。破壊願望の強い俺は妙に意識の高い、文化系の雰囲気に全く馴染めなかった。早速教室の壁を壊し「ヤバい奴」のレッテルを貼られた。ヤケになっえ、クラスに淫夢を布教した。淫夢語録がクラス中に飛び交う最悪の三年間だった。在学中に一個上の彼女が出来たが、卒業後程なくして風俗嬢になった。
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馬鹿みたいだ。
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精神的なリストカットを繰り返してばかりで、いつしかギロのようになってしまうのではないか。
それでも、苦しみながら書いた文章が、誰かの礎となれればそれでいいのかもしれないな。