明徳義塾のアレの話
何を今更な話ではあるんだけど書きたくなったから書く。
アレっていうのは松井の敬遠のことね、一応。
アレに対しての反応は多分大きく分けて2つに分かれると思う(※個人的見解が大きく入っているけど)それが
A「高校野球とは高校生同士が正々堂々と戦う青春の場でありふさわしくない」
B「Aは何も分かってないにわか。勝つために非情になれる馬渕監督マジ名将」
こんな感じ。だいぶ偏見が強いけど
Aは高校野球に青春とか夢とか浪漫とかを過度に追い求めている高野連脳みたいな感じ。
だからといってBが絶対的に正しいかと言ったら絶対的にまでとはいかない。というか前に書いたセイバー厨の話と一緒なんだけどマウントを取っている時点でまぁその程度の連中なんだなぁと。
じゃあアレに対してどう思うのがいいのか、自己流で出したものが以下の通りである。
アレは「苦渋」だった、それだけ。もちろんA側のように真っ向勝負を挑んで打たれるという選択肢を選んでも別によかった。ただ勝つためには敬遠しないと勝てなかったからそうするしかなかったしどっちを選んでも正解だったし間違いだった。ただアレの直後はA側の人が多かったのかなとも思った
だが、B側の中はその苦渋を過度に美化するきらいがある人間がいるのも見てきた。バッシングされるという覚悟が分かって腹をくくっていたかどうかまでは分からないけどそこまでして勝とうとしたというのはいち監督としては誤りでもないとは思う。
ただ、松井相手に真っ向勝負で抑えられる投手を育てられなかったという観点からしたら無理くり育成力に疑問を付けようと思えば付けられるかも知れない。
A側の考えを完全否定して、高校野球もプロ同様常時非情な戦い方をしなければならないと言わんばかりの苛烈を強要させる思考にはなれないしなりたくもない。かといってA側の考えを全面的に肯定して高野連の『青春ごっこ』に付き合えとも思わないけど。
なんというか両者の中間みたいな感じじゃダメなんですかね高校野球って。折衷というかどっちつかずの鳥なき島の蝙蝠になってしまうのかも知れないけど。
あと当の松井本人も「敬遠に恥じないような選手になりたい」みたいな旨のことを言ってたと思う。
いやぁ本当に何を今更って話だわなぁ(苦笑)