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【VOL.17】どんどん「枠」を外していこう



このところ、

・壁がない
・枠がない
・区別がない
・分断がない

これらの言葉をよく耳しています。


みんな繋がりを感じながら、安心感の中で生きたいと望んでいる。


その願いを口にし始めている。

集合意識って、やっぱりありますよね。


特に私が開催している講座で

「世界観を描く」

ということに取り組んでいるのですが、

1人ひとりが話していくと、

みんなが求めている世界観が同じ!

とわかって、みんなで喜び合います。




もちろん、完全には同じではないのだけれど、

「境目のない、分断のない世界」

という感じは同じ。



ただ、やり方は違う。

それぞれが自分の個性を活かして違う役割、分野からそれを創ろうとしている。

そんな感じがします。



言葉が「枠」を作っている


言葉って、便利ですよね。

共通言語があれば、見えていること、感じていること、考えていることが理解してもらえる。

でも、なんでも陰陽ありますから。

便利なものは、その分なくしてしまうものもある。

それは、曖昧さ。

本当は区切りがなかったものが、言葉という便利なものによって線引きがされているのです。 


例えば、

「障害者」と「健常者」
「病気」と「健康」
「仕事」と「プライベート」
「子供」と「大人」

とか。


どこまでが障害者でどこからが健常者なのか
どこまでが病気でどこからが健康なのか
どこまでが仕事でどこからがプライベートなのか
どこまでが子供でどこからが子供なのか



よく考えてみると・・・
よく分からない!!




私たちは、実は、よく分からないのに分けてしまっている。



だから、違和感があったり、納得がいかなかったり、
寂しいと感じていたりする。



その分け目がある世界を感じているからこそ、
理想の世界を語るときに、
「分け目がない世界」を求めるんじゃないかなと。


 
最初は、ただ名前のない事象があっただけ。

 
ただ、その人がいるだけ。
ただ、やっていることがあるだけ。
ただ、その状態があるだけ。


言葉をつけると、そこから「分かれ目」ができる。


朝と昼。

昼と夜。

女と男。

仕事とプライベート。



でも、どこからどこまでが「それ」と「これ」なのか、本当は分からない。



そのために、
困っている人、生きづらさを感じている人がいて、
そして、
孤独感を感じている人がいる。



「友達」と「ただの知り合い」

その違いはなんだろう?



「裕福」と「貧乏」

「成功者」と「そうじゃない人」


どこが境目なの?


この記事でも書いたけれど、
障害ってなんだろう?も同じ。



障害名がついたから障害者で、その診断がつかない人はみんな健常者なの?
病名が付いたら病気の人で、つかないと健康な人になるの?



「枠」を外していきたい


私は、子供がいる母親であり、年齢からしたら立派な大人だけれど。


子供のように毎日ワクワクしていきたいし、
時には、「分からないからやってみる」みたいな単純な動機で行動していたい。
欲しいものは「欲しい」と言いたいし。



初めてのことでうまくいかないことも、まだまだ体験したい。
いつまでも、人に甘えたいし。
その時の気分に従って、やったりやらなかったりしていたい。



完璧なんてなりたくないし、そんなの無理だと思っていたい。
いつまでも途中で、成長期でいたい。



「大人」という誰かがつけた基準で、自分を当てはめない。
「大人」という枠も、「子供」という枠も外して、
ただ、今を生きる人として、もっと自分の感覚に従って生きてみたい。



私たちは、ここまでの成長の過程で、十分に「枠」に自分を合わせていくことはやってきた。

だから、これからやることは、一度獲得した「枠」を外すことなんじゃないかな。


この世界を、いろんな枠から解放するために、

必要なのは
「安心感」



誰もあなたのものを奪わないし、奪えない。
あなたの自由は尊重されるし、それをみんなが喜び見守っている。
困っている時は、お互い様で助け合うから、大丈夫。
やりたいことをやってみたらいい。


そんな「大丈夫」の世界があれば、「枠」は少しずつ外されていくはず。


まずは自分から


まずは自分から。

自分の中に、本当は要らない「枠」を置き続けていないか?

意識してみることから始めよう。

そして、そのためには、自分の中に「大丈夫」を増やすこと。



どんな自分にも◯をつけて、許して、認めて、励ましていく。 
 
そうやって安心感を増やしながら、違和感のある「枠」を外してみる。



例えば、私だったら、

もし、この世界にいる人が、

みんな友達だとしたら、

私は、どんな発信をして、どんな行動を取るのだろうか?

そんなことを考えてみたい。 
 
 

少しの間、そんな意識でどんな変化が起こるのかを感じてみよう。 
 


もし、あなたが「分け目のない」世界を求めていて、

でも、あなた自身がアレとコレと分けている意識があると気づけたなら、

それを少し外してみませんか?



例えば、

「仕事」と「プライベート」の境目をなくしてみる。

とか。

最初は、「意識」から始まるから、

もし分け目がないとしたら、何が変わるだろうか?

そんなことを考えてみるのも面白いかもしれませんね。



もちろん、「分ける」ことで自分を守ることもできるから。

むしろ、もっと「分ける」を意識した方がいい人もいるはず。

そんな方、そんなタイミングにあるかは、無理しないで大丈夫。



 
今、「枠」に違和感があって、そこを外してみる意識を持ってみたい。

という方は、何か一緒に探ってみれたら嬉しいです。


それでは、また!


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