家族が宗教にハマりそうなときに読む話
「家族が怪しい宗教に手を出している」という状況でとるべき行動についての個人的意見を記載する。筆者はカルト2世である。という言い回しをした場合すでに物議をかもす可能性がある。どの宗教でも信者は口をそろえて「うちはカルトではない」と言い張る。あとは新興宗教でなくても危険な宗教は多く存在する。
「危険な宗教」の定義
この定義をはじめに書くのには理由がある。家族が宗教を突然始めた場合、自分に知識がない状態で「どの宗教が危険か」というのを判断できる材料がなく、危険性に気が付いたときには手遅れになっていることが多いからだ。
上述の通り、どの宗教も「自分たちは危険ではない」と言い張る。それに対して言葉の定義をすると話が終わらなくなるので、一つの指針としてフランス政府が教団をカルト・セクトとみなしたときの定義を持ち出す。これはこれで賛否はあるが、指標としては個人的に賛同するし、合理性も高いと考える。
英語を読めない読者のためにざっくり訳すと以下の定義となる。
「2世の子どもを他の社会から隔離する」
「児童虐待(体罰・性的虐待)」
「宗教的管理による搾取」
「自殺や殺人の誘発」
「近代医療の制限、否定」
「未成年者や弱者への布教活動」
「政治的影響」
私が幼少期に所属していた「エホバの証人」はこのうち半分以上を満たしている。上に書いた通り、伝統的宗教と呼ばれる宗派についても記載された内容を満たしているものもある。さらに言うと反ワクチンや反原発界隈において似たような話を散見する。自分の周囲でもこういったものがあちこちに根を張っていることは理解しておいたほうが安全だろう。
宗教にはまる前の予兆
家族がはまり込む前のバロメータを記載する。上述の話を逆算して考えると、「宗教にいつ引き込まれるか」「引き込まれた後にどういう動きになるのか」が計算できるので、それを書く。
まず、世間一般の認識で誤解と思われるものに、「ハマりやすい人が宗教に引っかかる。」という考え方は危険である。確かに人の言うことをなんでも信じてしまいがちな人間は存在するし、だまされやすい人間も多い。そうはいっても宗教というのは普段はまり込まないような人間であっても引き込まれることがある仕組みになっているのに留意したほうが良い。引き込まれる前にかならず予兆がある。わかりやすいのは「大きな環境の変化」「不安」「挫折」「不幸」という内部的要因である。
これは偶然ではなく、上でのカルト宗教の定義をもとに考えればわかる話である。何故未成年者や弱者を狙うのか、それは引き込みやすいからである。つまり、上述のような引き込みやすい状況にあるとき、当然のように声をかけてくるのだ。末端の信者はそこまで考えていないので、所属していたことのある人間であってもこれは気づけないことが多い。しかし宗教を設計している側の人間は、人の弱みに付け込む、という手を当然のように考えているので、そういうマニュアルになっているのだ。マックで「ご一緒にポテトはいかがですか」と言われるのと同じレベルの話で、大学で新入生を狙ったり、駅で生気のない人に声をかけてみたり、さらには病院で勧誘活動を行ったりしているのである。まな板の魚のように型にはめられて調理をされてしまうのだ。
つまり、家族としては、まず「大きな環境の変化」「不安」「挫折」「不幸」といった状況を起こさないようにすること、起きた時にケアをすることがまず大事である。そういった状況で交友関係が変化した場合、まずカルトを疑うべきである。
カルトに引き込む側の視点で考えるとすぐにわかる話なのだが、その上でまず何をしてくるかというと「判断力を奪う」ことである。世間の危ない宗教にドはまりした人の話の結果だけを見た場合、「何故全財産を巻き上げられるのか」というのが不思議でならないことが多いと思うが、初めから金を奪われるわけではないのだ。まず初めに奪われるのは「時間」である。時間がないと他から話を聞くこともできないし、よく考えることもできなくなる。冷静な判断ができなくなってしまうのだ。よって、行動パターンが変わった場合はさらに一個先のステージに来てしまっている可能性が高く、事態は急を要する。
宗教から家族を取り戻す方法
本質的には「よく話をすること」である。根っこのところで言うと、何度も書いている通り、「大きな環境の変化」「不安」「挫折」「不幸」が引き込まれる根本的理由になっている。根本的理由が本質としてある間は取り返しがまだきくのだ。ステージが進むと、引き込まれた要因自体は何のファクターにもならなくなるので、事態は急を要する。
月並みなアドバイスになるが、よく話をしてコミュニケーションをとるのが大事である。それができるだけの大切な相手であるからこそ、この記事を読んでくれているのだと思う。本来そんなよくわからないものより、ずっと近い距離にいるのだから、付け入るスキを作らないようにすべきであるし、できる話でもあると考える。
その上で一つ気を付けるべき話がある。「説得・論破はすべきではない」。これを間違えると絶対に取り戻せなくなる。絶対にである。布教する側の立場で考えればすぐわかることかと思うが、布教をしかけてくる相手、もっといえば布教するスクリプトを仕込んでいる人間は論破されることを織り込み済みである。よってマニュアルに必ず対策を入れている。つまりどういうことかというと、「我々の教義に異議を差しはさまれるのは我々が正しいからだ」という刷り込みが最初期に行われる。よって、こちらが必死になって論破しようとすればするほど、刷り込みを強化させてしまうことになりかねない。
実際にすべきことは、物理的に距離を取らせることである。教義がおかしいことは相当知能が低くない限りきっかけがあれば理解できることなのだが、それは当人が気づかなればどうしようもない。であるから、追加で刷り込みが行われない環境をすぐに作るのが重要だ。引っ越しをさせるでもよいし、実家に帰らせるとかでも良い。ただし、これもステージが進むと自分で刷り込みをされにいってしまうので、初期にしか使えない。これは急病のようなものなので、初動にすべてがかかっている。家族を取り戻したい気持ちが少しでもあるのなら、心してほしい。
すでにのめりこんでいる場合の対処
悲しい話だが、未成年者でない限り引き戻す方法はまず存在しない。未成年者は親権を行使してでも引き戻すべき案件だと私は考えるが、大人に対しては信教の自由という強烈な権利が働く以上、引き戻す手段は存在しない。上述の通り、論破をしようとするのも無駄だ。
そもそもこのステージに来てしまっている人間は論戦をしても論戦にならない。ウソだとおもうのであれば、自分が「狂信者」だと見なしている誰か(残念ながら、この手の人間とかかわらずに生きるのは難しい)と宗教論争になったときに聞いてみると良い。
「あなたの信じている教義が論理的に誤っているとはっきりした場合、信仰を捨てる覚悟があって私にその話をしていますか?」
私の親もそうなのだが、私をカルトに引き込もうとしてきた他の事例でも、この質問に真っ向から「はい」と答えられた人間は存在しない。はいと答えたところで捨てるわけもない。はいという回答であってもあれこれ但し書きや予防線を張ってくるはずである。故意かどうかはおいといて、少なくとも嘘であるので時間のムダである。更にいうと、はまり込んだ家族相手に無限に論戦をしていった場合、自分が弱っているときに引き込まれるので危険である。相手は無敵の状態でゲームをしてきている。ちょっと考えると非常にバカらしい状況なのだが、引き戻そうと必死になればなるほどそれは見えなくなってしまう。
しかしながら、この状況でも話をできる、そしてすべきことが一つある。「家庭全体の損失」である。宗教にはまり込むことによって、家族への負担が発生する現実を突き付けるべきである。
まずは時間的負担。夫婦の片方が家庭に費やす時間を浪費した場合、その分は家族に負担がかかる。家庭をもつこと、維持することにはまず時間がかかる。それを削るのであれば、それは家族にも負担がかかる話である。今まで家のことを全部やらせていた相手がのめりこんだ、という話であれば、それはまずそこを謝罪すべきではあるが、本人の時間はとにかくとして、信者ではない人間に時間の負荷がかかるのは間違っている。子どもや親の場合は少し話は変わるが、それでも時間の使い方につての価値観を共有できないというのはいっしょに住めない要因にはなり得る。
次に金銭的負担。単純にお金を持っていかれるような話は即座に手を打つべきではあるし、わかりやすいが、それだけではない。上述の時間の話にしても、実はこれはお金の話になる。時間はタダではない。会合に出ている時間は損失である。また、将来的に家庭の財産を宗教に持っていかれる可能性が一ミリでもあるのなら、それは根本的な関係性の話になり得る。そのままいくと「信じていないのに家庭のお金を持っていかれる」状況が発生するのだ。そこは断じて許さない姿勢は示すべきである。
最後に、ほかの家族への負担である。特に子供に対して宗教へ引き込む動きは許容できないのは強く伝えるべきである。特に信じたのが配偶者であった場合、本人に対しては信教の自由の範囲になるが、子どもについてのことは相手責を追求できる話であるので、言う権利はある。親の両親の世代が信じたことで子どもに害が出る可能性がある場合は、さらに強い態度で出るべき状況である。今まで世話をしてもらった恩があるにせよ、長期的に有害が必ず上回るので親権を行使すべき事象だ。
切り捨てるべきとき
私の個人的意見だが、ここまで言っても通じない相手は一緒には暮らせない。家族なので愛情もあるだろうし、切り捨てることで短期には問題が噴出するはずだ。しかし、危険な宗教を許容した場合、関係した人間は全て不幸になる。結局宗教というのは巨大な集金装置である。入ってしまった家族にそのつもりがないにせよ、当人がその集金システムに取り込まれてしまった以上、切り捨てないと最終的には自分も搾取対象になるのだ。
送り迎え等の時間を使わされる可能性ももちろん当然そうなのだが、最終的に宗教側が望んでいるのは「共用財産の搾取」である。持っていけるのであればすぐに持っていかれるだろうし、自分が死んだあとかもしれない。ウソだと思うのであれば、ちょっと調べてみるとよい。マニュアルのほうで「非信者の家族とうまく暮らす方法」や「うまく説得する方法」が網羅されているはずである。時間、お金、資産のすべてに手を伸ばしてくるわけで、そんな泥棒予備軍と一緒に生活できるかは一度冷静に考えるべき話だ。
更にいうのであれば、子どもへの影響である。一番犠牲になるのは最終的に子どもであるし、当然宗教側もものが判っていない子どもは一番の搾取対象とみなしている。子どもを守らないのであれば、家族である意味なんてないと私は考える。
信じてしまった当人に対して手を打ちようがないのであれば病巣は取り除くべきである。そもそも、切り捨てる覚悟で話をしないと対話すること自体が難しい。上述の通り、「なんだかんだで許してしまう心理」に付け込むマニュアルがあるわけで、その土俵で戦っている間は解決は見込めない。
これは読者に反発を覚えられかねない話である自覚はしている。人様の家庭のことなので私が口を出すべきことでもない。もっというと最終的にはどうでもいい。ただ、「父がカルトと戦わなかったせいで子どもの私が犠牲になり、貴重な若い10年をロスし大量のトラウマを背負わされ、今でも多大な影響が出ている」という私が子どもの立場で巻き込まれて起きた事象だけは最後に記載して、投稿の締めとしたい。