近況(BUCK-TICKについて)
「今生きている世界は夢なのか.…?」
形容しがたい初めての感情から約三日経った。
こう書いてみると"僅か"三日って感じだが、体感時間が異様に長くて、3日間仕事を休もうかと思うくらい何も集中出来なかった。
音楽を聴く際も最初の夜はBUCK-TICKの音楽ばかり聴いてたが、次の日もうなんか辛くなって立ち直るために別の音楽に逃げることにしたけど、それを聴いてる時も「何かから気を紛らわすために聴いてる」という目的を意識してしまい何の意味も無かった。
あまり考えたくない。でも僕の好きな音楽も楽しむことが出来ない。
以前にもこういう事があったが、僕は「何も音楽が聴けなくなる」時が精神的に一番ヤバい時だ。
「どうにか前に進まなければ」と考えた時、今抱えてるものを全て吐き出すことが一番の解決法なんじゃないかと思った。逃げるのではなく立ち向かい徐々に前を向いていこうと思った。こう書いてる間も目の辺りが熱くなり涙が出てきた。
音楽も今はB-Tを聴いてる方が何も考えずに楽になれるし、こんな僕がうまく語れるかどうか分からないけど、少し楽になるために思い思い書くことにする。
遡ること四日前(10.24)、15時くらいにそのニュースを見た時、不謹慎だと思うが驚きとともに少し笑ってしまった。今見てる事があまりにも信じられなかったのだ。「嘘.…」という反応しか出来ず、その後の言葉が続かなかった。
信じたくなかったが、時間が経つうちにどこか現実味を帯びてきてそれしか考えられなくなり、意識が遠のく感覚もしてきたのと同時に、「俺ってこのバンドを本当に愛してたのか」という思いが弱った体を温めるように包んだ。
でも僕は長年追ってるファンではなく、最初に聴いたのが昨年の12月末でハマり始めたのは実は今年の二月からだった。
「どうしてそんなにハマったのだろう」と僕にとっての櫻井敦司氏の存在を考える事がこの記事のメインになると思う。
BUCK-TICKはX(旧Twitter)をやらなければ知らなかったアーティストのひとつで、それまでは何となくV系というイメージでどう考えても自分とは接続点のない、シンプルに言えば「Not for Me」な存在だった。バンドの名を初めて目にしたのはIDMを嗜んでた高校の時によく聴いてたAphex TwinのリミックスAL「26 Mixes for Cash」(In the Glitter Part 2 - Aphex Mix)だったが、彼のリミックスは元の原型を留めないスタイルが多かったので原曲を辿ることはなく、その時はあまり印象に残らずスルーしてしまった。(表記上だと原曲は「キラメキの中で・・・」のはずだけど、実際に聴いてみると「ICONOCLASM」[殺シノ調べver]のイントロ部分な気がする)
でもSNSを始めてから信頼している音楽通からの評価も高く、名前もよく耳にしてたのでそろそろ聴かないとと踏み出した。入門するなら近作という声が多かったので最初は"最新作=最高傑作"との呼び声のきっかけともなった「No. 0」(2018)、そこから2005年時点のベストである「CATALOGUE 2005」(サブスク無し→プレイリスト作って聴いた)を辿り、好きな音が多かったDisc 1から現B-Tへと繋がる道筋が形成され始めた覚醒作「狂った太陽」(1991)で目が覚め、最新作を除く近作3枚とインディーズ作「HURRY UP MODE」~「Six/Nine」(1995)まで聴き続け、今に至る。
聴いてる間、B-TがV系かどうかという議論をよく目にしてきたが、V系を1mmも知らない自分にとってはそんな事はどうでもよくて、多分スタートはそうだったかもしれないけど、ここまで聴いた時点の僕の認識は「V系から進化した何か」だった。
自分は「No. 0」のバンドサウンドとエレクトロがバランス良く融合された緻密なサウンドに30年分の重みと経験と魅力を感じ、その謎を紐解くように過去の作品を次々と聴いていってハマった訳だが、今回は作品の解説やサウンドにフォーカスすると収拾がつかなくなるので、ボーカリスト単位で見ていくと僕にとってBUCK-TICKは詩とビジュアルと歌声を一体として捉えることが出来た初めての邦楽バンドだった。
聴いた当時はこのように書いてて今思うと少し盛ってるなって感じだけど、最初は「何かよく分からないけど、めちゃくちゃ凄いし圧倒的」って感じだった。この頃の自分は80年代のゴシックロックやニューウェーブは全くではないがあまり通ってなく、今まで食べた事ないものを初めて食べた感覚で、何より櫻井氏のボーカルは慣れてないせいか演劇っぽく感じられ「凄いけどちょっと癖強いよな.…」って感じで、サウンドは夜の高速道路にぴったりで浸れるのに完全には没入しずらい感触だった。それでもそれを上回るサウンドとハイレベルなミキシング、唄の説得力が物凄く、前述のベストを聴いてから「さくら」に惹かれ「狂った太陽」から手をつけることにした。
今まで聴いてきた音楽の中では90年代はIDMやRadioheadのおかげもあって一番聴いてる年代だったのと、近年の作品よりもあっさりとした若いボーカルの方が馴染みやすかったり、「母の死」やあるインタビューで見つけた「ステージ上の自分とそこから降りた自分自身とのギャップや葛藤」というネガティヴながら共感できる内容もあって、最初にガツンと来たのと同時に「こういう唄い方でなければいけない」というのがすぐに分かってきた。
BUCK-TICKは初期からコンセプトに沿ってビジュアルまで丁寧に練るバンドで、そうした新鮮な楽しみ方や+α作品にしっかりと説得力を持たせてるのに加えて、サウンドも凄いのに詩がここまで入ってくるバンドは彼らが初めてだった。自分はIDMから色んな音楽を聴き始めてるので普段音楽を聴く際は視線は自然とサウンドにいくのだけど、櫻井氏の詩は特に「狂った太陽」以降は単語単位で一つ一つの感覚が先端まで研ぎ澄まされてて、初めて聴く曲でも詩が頭の中に異常に入ってくる。聴いてく内にサウンドだけ取り上げて語っても意味が無くて、お互いがお互いを補ってひとつの世界観を構築している理想の邦楽だなあと思った。こういう詩をどういう方が書いてるのだろうと思いインタビュー動画を漁ったら、おしとやかで上品で、ユーモアのある方だったというのも衝撃で、そのギャップにさらに惹かれていった。
もちろん音楽は最初は音から入るので今井氏、星野氏の作品毎に鋭敏になっていくクリエイティブなサウンドなくして語れないけど、ビジュアルや詩(この点今井氏もかなり貢献している)、バンド全体に一番意味を付してたのは他ならぬ櫻井敦司氏に違いない。
僕は追い始めてまだ一年も経ってないが、BUCK-TICKの作品は特に90年代前半はネガティヴで暗いものが多いが決して自暴自棄になったりボーカルのスタンスを崩すこともなく生きていく上で直面する障壁からするりと抜け出す術を教えてくれた。
母の死以降、ネガティヴな闇を突き詰めた問題作「Six/Nine」でさえさり気なく逃げ道は用意されてると感じるし、特に近作ではその説得力は輝きを増してきている。自分自身の人間性もあって僕はネガティヴの中にある弱さのある音楽に惹かれるのだけれど、こういうBUCK-TICKみたいな音楽性は今まで出会ったことが無かったので本当にありがたかった。
名作映画である「ショーシャンクの空に」の中でも人生は2つの道しかないというくだりで「必死に生きるか、必死に死ぬか」というセリフが出てくるのだけど、きっと櫻井さんは誰よりも"必死に生きた"人物だったと思う。自分自身の闇や死、性、欲望と立ち向かい、対峙しながらも唄いあげ、35年間精力的に活動し続け、リスナーやファンの方々に生きる為の力をずっと与えてきた。最期はステージ上だったが、ステージ上でなくても、いつ何処であっても必死に生きたことには変わりないはずだ。
僕も必死に生きるしかない。悲しみが癒えるのにはまだ時間がかかるけど、ここで落ち込んでいる訳にはいかない。僕には「Six/Nine」以降もまだ聴いてない作品、僕にとっての"新しい音"、そして"新しい声"はまだ沢山ある。これから聴いていくのが楽しみだ。
最後に、、、今週、作品のテーマもあってあの報道以降しばらく避けてたが、「狂った太陽」を久しぶりに聴いてみた。このアルバムの核である「さくら」に到達した時、(もう疲れたろ/演じる事/夢見ることも全て)の節が櫻井氏と初めて重なりぐっと来てしまった。
想像することしか出来ないが、彼はそれでも必死に生き、それをやり終えた。
まだ全て飲み込めてないが、もし亡くなったのならせめて月のように安らかに眠っててほしい。そう願うばかりだ。
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