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七草にちかの魅力は、シャニマスの魅力そのものだ

4月5日、七草にちかのWingコミュが実装された。

これまでのシャニマス、アイマス、ひいてはアイドルコンテンツ全ての歴史においても、かなりインパクトのあるコミュであったことは間違いないだろう。

そして、コミュを見た多くのユーザーは、もやもやとした感情を抱えているようだ。"七草にちか"の評価について、様々な意見がネット上に蔓延している。

中には、「七草にちかには魅力がない」というコメントすら見受けられる。

私はそうは思わない。
七草にちかには、シャニマスの魅力が詰まっている。
これまでのアイドルをも凌駕する魅力だ。
それも、緋田美琴のコミュやPSSRのコミュを待たずして、Wingのコミュだけで、そう言える。

七草にちかの魅力とは何なのか、シャニマスの面白さとは何なのか。述べていくことにする。

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キャラクターの魅力を考察するうえで、まずは作品の面白さ・コンセプトを理解する必要がある。

"アイドルマスター"において魅力のあるキャラが、例えば"カイジ"において同じ魅力があるかというと、また違う。

それぞれの作品の世界観やコンセプト、面白さによって、どんな魅力があるかというのは違うはずだ。

シャニマスの面白さはなんだろうか。

美麗なイラスト。
聞き惚れるほどの音楽、楽曲。

いずれも正解だがその根幹となるのは、アイドルの個性が織り成す世界観である。

結論からいうと、シャニマスの魅力は、アイドルの個性が、圧倒的に人間くさく感じられる点にある。

その人間くささの秘訣は2つあると考える。

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1つ目は、一言ではいえない厚みのある個性だ。

例えば、三峰結華というキャラクターがいる。
彼女の魅力はなんだろうか。

オタク気質でファン目線であること?
明るいムードメーカーであること?
時に気が利く、チームのお姉さんであること?
プロデューサーをPたんと呼び、時にイヤホンを片方渡してからかうところ?
雨の日に本にゆっくりと目を落とす、知的なところ?

それとも、「結華じゃないみたいだ」という何気ない一言に心揺さぶられる、難しい女心を持っているところ?

あるいは、揺さぶられた感情の中で、誰もが自然と受け入れていた名前呼びに敏感に反応して、勘違いしたくないから「結華って呼ばないで」と話すところ?

どれも魅力だと思うし、見方によっては短所にも見える。
一言ではなんとも現しにくく、穿ってみれば面倒な性格といえないこともない。
しかし、全てひっくるめて"三峰結華"であり、その完璧でない性格はまるで"三峰結華という人間の存在"を感じさせる。

例えばオタク気質なキャラクターなんていくらでもいる。だが、だいたいは『オタクな自分が、主人公の影響で変わっていく』という個性1つを、唯一の武器として握りしめている。

"ただのオタク"が変わるというのを感じられるエピソードが多かったり、描かれ方が違うだけで、個性が沢山あるわけではない。ここまで色々な性格が1人の"キャラクター"に詰め込まれているのは類を見ないと感じる。
シャニマスの魅力である。

2つ目は、ここまで複雑な性格が、少しづつしか見えてこないということだ。

アニメを25話みれば分かるなら、半年で分かる。ゲームにメインストーリーがあるなら、ほとんどそこを見ればわかる。

しかしシャニマスは違う。少しづつ、エピソードを重ねていかないと分からないし、必ずしも心情を理解出来るコミュだとは限らない。Wing篇を進めただけでは、三峰結華がどんな"人間"なのか、さっぱり分からない。

これはかなりリアリティのある"人間"の理解の仕方である。

というのも、現実に1時間みっちりその人に向き合っても、何を考えているか分からないし、ましてやその人の"魅力"なんて分かりようがない。
皆さんの教室や職場で隣に座っている人の魅力は?と言われて、必ずしも正解が言えるだろうか?

それを確証を持って言うためには、一緒に過ごす時間が大事だし、色々な出来事に対するその人の反応を見るしかない。明日には、今日までのその人の見方とは全く違う見方になるかもしれない。
あなたが職場で仕事が出来ないと思っていた人は、実は影では努力家かもしれない。お客さんには凄く評判がいいかもしれない。家庭で問題があって不調なのかもしれない。

人間が簡単には分からないように、シャニマスのキャラクターも簡単には解らせて貰えない。
"薄桃色にこんがらがって"を読んだ時、アルストロメリアのキャラクターをどう見るか、多少なりとも変化したはずだ。

カードやシナリオイベントは、アイドルとの"出来事"であり、これらが追加される度にアイドルのいい所も悪いところも見えてくる。そうしてアイドルの個性、魅力について次々と発見していくのがシャニマスの面白さであるはずだ。

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とはいえ、"人間じみた"キャラクターばかりだと、コンテンツとしては面白みにかけたり、ピーキーになったりするだろう。

現実には長崎弁の真っ直ぐすぎるドジっ子や、レッスンをお休みしがちな引っ込み思案な子などいないだろう。

だから、基本的にはアニメやゲームらしいキャラクター性を前提にしながら、カードのコミュや、イベントストーリーで人間くささ(リアリティ)をエッセンスのように強烈にぶつけて来ていたのだ。

しかし、4年目となり、アイドルのバリエーションも増えた。タレント揃いであるから、"強烈に人間じみた"キャラクターを搭載してもいいはずだ。

そこで搭載されたのが、7ユニット目のシーズであり七草にちかである。

もう察しがついたろう。Wingにおける七草にちかの魅力とは、強烈にリアリティのある人間くささである。
Wingにおけるにちかのストーリーは、現実をうつす鏡である。ほぼそれでありながら、実在しない。

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ここでようやく、七草にちかのコミュに触れる。

七草にちかは、よくいるアニメキャラとは違い、特別な才能を持たない、まるで現実にいる女の子である。

平凡な「キャラ」は、これまでのアイマスにも登場してきたし、アニメ史にも数え切れないほどいる。

しかし、例えば天海春香が本当に平凡かというと、そんなことはない。どこまでも前向きで、仲間思いで、プロデューサーのことをビジネス以上の関係で見ることもある。少し練習すれば(ゲームの描写上)スクスクと育つ才能も持つ。そんな"良い子"と、現実に会ったことがあるだろうか。もし天海春香が本当に平凡なら、似たような人とあった事があるんじゃなかろうか。私はない。

だが、にちかには会ったことがある。

どこまでも平凡で、決して特別な才能はない。
その道の人から見れば、「くすんだコピー」のように見えるかもしれない。当たり前だ。
現実にデビューしたての新人で、アイドルに憧れる子が、アイドルの真似をしないだろうか?
それは業界人であるプロデューサーからすれば、凡庸で、プロの真似事をしているだろうが、その方が普通であるはずだ。

「この子は大丈夫だろうか」そんな不安を持ちながら向き合っていくのが、現実的なプロデュース活動であるように思う。

芹沢あさひのようにダンスに天才的な才能があったり、浅倉透のように見るものをひきつけるカリスマ的オーラがある方が、むしろ異常だ。
逆に言うと、そういう超人的な力をもった、"アニメ的"キャラクターとの触れ合いを求めているなら、七草にちかのコミュは極めて悲劇的で、七草にちかの魅力は見つけられないかもしれない。

それは、まるで子供が現実社会に一歩足を踏み入れて、社会の何ともならない理不尽や、理解できない他人を見た時の感情だ。

にちかやにちかの物語にある魅力を理解できない人は、"子供の視点"すぎる。

七草にちかは、平凡な「キャラ」というにはあまりに現実味あふれていて、もはや平凡な「人」だ。

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プロデューサーは、にちかの熱意も含めて、姉であるはづきにも相談した上で、そこに何かを感じ合格させた。

極めて現実的なオーディションであったと思う。
稀に見るスタイルを持つ小学生や、努力と才能と自信に溢れた美人がオーディションに来ることはほとんどないはずだ。

実際にアイドルの原石の大半は、原石のうちは平凡に見えるだろう。
そんな中、"何か"を感じて―それは熱意だったり、あるいは感覚なのかもしれないが―合格させる。想像に固くない。

実際に、言語化しがたい"何か"の1つとして、「笑って欲しい」ということが描かれている。

悲しそうな顔をすれば、その曇り顔を取り払いたくなるような何かが、彼女にはある。
ご覧の通り、仕事だから結果をただ伝えるわけではなく、にちかの曇り顔に取り憑かれたプロデューサーが、彼女のことを深く考えているシーンである。
本当に、にちかが、なんの魅力もない"人間”だとしたら、プロデューサーはそう思うだろうか。

"そんな顔、もうしないでくれるのか"などと、魅力のない人間に言えるだろうか。

単なる同情であれば、もっと別の表現だったろう。

笑って欲しいと思わせる。理由は明確には分からない。いかにも人間が人間に感じる魅力である。

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Wing篇のクライマックスに突入する、WING準決勝に挑むシーン、彼女はプロデューサーとこう話す。

予言してください。上手くいくって。
言ってください、可愛いって。

自分が平凡であることは分かっている。八雲なみに憧れるだけの存在であることは分かっている。その上で、人一倍不安と戦いながら、もはや夢かどうかも分からなくなっているアイドルの道と戦っているのだ。

私たちは、そこに苦労がある時、なんの迷いもなく努力し続けることなどできるだろうか。時に迷い、時に焦り、結果も出せず、しまいには憧れや夢を諦めてしまわないだろうか。

にちかは、月岡恋鐘や杜野凛世とは違う。
プロデューサーへの特別な感情が故に、可愛いと思われたいわけじゃない。
自分がずば抜けて容姿に恵まれているわけじゃないと理解しているからこそ、これから戦いに挑む時、自分をここまで導いたプロデューサーの言葉が欲しいのだ。
女の子を、アイドルを褒める普通の言葉でいい。
可愛い、大丈夫、と。

なんともいじらしい、等身大の魅力である。
こんなにちかが、"魅力がない"はずがない。

そして決勝に挑む時、私たちが現実世界で「失敗したらそこで終わり」という大一番に挑む時と同じように、彼女は緊張と恐怖にうち震える。

そして、優勝すると、緊張と興奮で倒れてしまう。

彼女は、「普通の女の子」なのだ。アイドルマスターにおいて音無小鳥が語ったのとはワケが違う。
天海春香や星井美希よりもずっと、普通の女の子だ。
そんな女の子に、こんな衝撃的な出来事が詰め込めるはずがない。

ただ、彼女は笑っていた。嬉しかった。
八雲なみと同じ、アイドルになれることが。

この時点で、時系列的に、にちかは八雲なみ伝説の違和感に気付いている。

それでも、八雲なみが悲しい背景を背負ったアイドルだとしても。にちかをアイドルにしてくれたことは変わらないし、彼女は「そうだよ」を好きなままだ。

なぜ作中のプロデューサーがにちかをプロデュースしたいと思ったのかはまだ明確に語られない。

ただ、それはそれ、我々がにちかの魅力をどう感じるかは別物だ。

改めて、七草にちかの魅力は、なんだろうか。

冗談が好きで可愛らしいところ。

リップの塗り直しを気にして、一喜一憂するところ。

基礎を、どれくらいで身につけられるか気になる、いかにも初心者らしいところ。

自分にとって特別な、八雲なみという存在に憧れつづけるところ。

努力を忘れないところ。

自分の平凡さを理解していて、それでも恐怖と闘いながら夢を目指すところ。


七草にちかは、聖人のような性格の女の子ではないし、アニメに出てくる天才キャラクターとは違う。

我々が現実世界であったことがある、もしくはこれから会う、さらにもしかすると我々自身にそっくりな…等身大で、アイドルに憧れる、普通の『女の子』だ。

そして、世の中の多くの「普通の女の子」「普通の人間」と同じように、魅力で溢れている。
上であげた全てが魅力だし、そうでもないともいえる。

夢破れた彼女が思うのは、自分には元々届かなかったという諦め。やっと苦しい戦いから開放されるという安堵と強がり。
ロッカーを片付け、シューズを捨てようか、という当たり前の、普通の思考。
私たちが同じ状況になって、夢を諦めざるをえない時、ロッカーを片付けなければと思うはずだ。
敗れた夢を思い出させるシューズを、捨ててしまいたいとも思うだろう。"靴に合わせる"ことはもう出来ないのだから、合わない靴は当然捨ててしまうだろう。

多くの一般人は、にちかと同じ思考になるだろう。
実際同じ経験をしている人もいるかもしれない。
にちかの敗退は悲劇的なのではない。現実的なのだ。
だから、それを悲しいと思う人にとっては、どこまでも悲しく見える。

私は、七草にちかが笑っている姿をみたい。それは間違いない。彼女の行く末が気になる。作中のプロデューサーの感情とは別に、彼女の味方になってあげたい。

少しずつ、彼女のことを知っていく度に、新しい一面が見えたり、美琴やルカとの触れ合いによって物語が展開することだろう。

だが、美琴のコミュがどうであろうと、一緒にWINGを目ざした七草にちかという"人間"は、笑顔を見たいと思わせる魅力があった

彼女の生きる世界線は、"アニメ"のようなご都合主義ばかりでないかもしれない。しかし、私たちが私たちの現実と戦って生きているように、彼女は彼女の現実と戦っている。笑うために、戦っている。
その姿は、極めて魅力的だ。

そして、彼女が笑顔になるかどうか、ワクワクしながら今後カードを引いたりイベントシナリオを読んで、少しずつアイドルを、にちかを好きになっていくことが、シャニマスの面白さだと再実感した。

特別な才能はない。でも笑顔は見たい。
そんな人間くさすぎる個性を持つキャラクターである七草にちかの物語には、シャニマスの面白さが詰まっている。

私たちが、現実世界で好きな人を少しずつ知っていくように、七草にちかを少しずつ知っていこう。

そして、私はそれをプロデュースと呼びたい。

プロデューサーとして、アイドル七草にちかを、よろしくお願いいたします。


画像はすべてバンダイナムコエンターテインメントおよびシャニマス関係各社に帰属します。


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