今回こそは
長い間多くのストレスを抱えてきました。
それが「今回こそ」はこれから少し楽になっていけるのではそう思います。
何かのコミュニケーションを取る時に「互いの言葉や原則を合わせる」という信頼感がないとコミュニケーションをとることはできません。
「お互いに意見の相違を歓迎する」と言った原則もありますし、もっとベースとなる所では「過去は変えることができない」と言った原則も当然です。
最低限度では「嘘をつかない」「正直である」また「誠実に生きる」などの相互合意も必要です。
いちいち言葉にしたり、確認したりしないけど社会的な人生を歩む人として「既決の合意」として土台になっていると思います。
でもこれが脅かされるととてつもない不安に落とし込まれます。
ざっと言うと「私がおかしいか相手がおかしいか」の判断を迫られてきました。
そうでないと「自分が現在生きていること」がなんなのか、わからなくなってきます。
もしかしたらそういう時間を過ごすことで失ってきた、たくさんの事柄をこれから拾い集めるために生きなくてはならないのかも知れません。
でもこれまでのように「理不尽な関係」が増えないだけでも感謝しなくてはなりません。
本当に救われるのなら・・・と期待する反面、また今までのようなコミュニケーションといえない「何でもありの後出しジャンケン:どんな武器も使用可」になるのか不安があります。
それまでは今までの私を知る人からすると「感情を失ったように見える」と思います。
事実多くの感情を手放していないと辛くてしかたがないのです。