見出し画像

歳を重ねると叱ってくれる人がいなくなっていく

これを読んでいる人が最後に叱られた時はいつどんな時だっただろうか。
特定の場所では偉そうにしている俺も、普段は叱られてばかりだ。
ドキュメントを読み漁る際に一次情報をもとに情報収集しなかったり、誤って秘密鍵をgithubにpushしたり、誤ったロジックに基づく新規事業モデルを作ったりした時、自分の周りには叱ってくれる人がいる。
今思えばこれは幸せなことだが、何もわかっていなかった時はただ叱られた事実だけを受け取り、落ち込むこともあった。

歳を重ねると叱られなくなる

叱ってくれる人が周りにいるうちは幸運だ。

ある程度歳を重ると、たとえその歳に甚だ相応しくない言動をしていたとしても、それをわざわざ指摘されることはなくなる。

これは半ば呆れられていることに等しく、また、そのような指摘に時間を使うほど暇ではない。

その人に指摘をしなかったことで、またその人が他の場所で同じようなことをして同じように冷たい目で見られることなど、気にしている余裕はないのである。

だからこそ、叱ってくれる人は、自分のことを気にかけてくれているのだと感じる。

叱ることが本当の優しさであると気づいてからは、何をどう指摘されているのか、どうすれば次同じミスをしないのか、を少しずつ意識できるようになった。

それでもまだ叱られることは多い。

月末になると、水道局長から黄色い小包が届く。

今日も俺は、人々から優しさを受けて生きている。

いいなと思ったら応援しよう!