私の競輪備忘録①⑤

デビューは2002年8月5日。

90年代、数あるタイトルをたらい回しで輪界を牽引した神山雄一郎、吉岡稔真の自力に陰りが見え始めた頃。

第3の男は帝王、山田裕仁が競輪祭、ダービー、GPをこの年から2連覇。

小嶋敬ニ、村上義弘、伏見俊昭の先行日本一合戦。後に輪界は群雄割拠の戦国時代。

G1タイトルは山崎芳仁9つ、武田豊樹7つ、成田和也2つ、渡辺一成3つ、佐藤友和2つに北京五輪銅メダリストの永井清史のいる華の88期より1期先にデビューした87期平原康多。

女性ファン多数の爽やかな風貌に185cm99kgの恵まれた体格に謙虚な性格。競輪学校在学中は全選手中、最多のバック本数を誇り将来性は当時から有望されていた。


ビッグタイトルの初優勝は2006年富山G2ふるさとダービーを機に本格化。

グランプリ初出場は2008年。優勝した井上昌己を追い詰めあわや初出場初優勝の機を逃しての2着。


2009年、G1高松宮記念杯で武田豊樹の番手から最終2センターより自力チェンジでG1初優勝。この時の車番が7番車。同年の競輪祭も優勝して続く2010年の高松宮記念杯でも武田豊樹の番手から同大会2連覇。

当時の大ギヤブームで圧巻の活躍を見せていた山崎芳仁を筆頭に伏見俊昭、武田豊樹に並ぶ輪界の頂点を担う存在になるかと思いきや
競輪グランプリでは2年連続の9着から11.12年はグランプリ出場も逃してのやや低迷。


2013年G1全日本選抜競輪で三たびの武田豊樹の番手から直線鋭く伸びて復活の狼煙を上げるG1タイトル4冠目。この年から今年まで8年連続グランプリ出場。中部4番手を固めたと揶揄される長塚智広に前を任した事をおそらくは悔いてるであろう4着。


2014年グランプリ出場へ黄信号が灯っていた競輪祭でまたもや武田豊樹の番手から優勝はG1タイトル5冠のうち武田の番手からが4つ。この時の車番も7番車。


武田豊樹にお世話になりっぱなしの印象を持たれると駄目なので付け加えると平原康多が武田豊樹の前で風を斬っての武田豊樹の優勝はG1が3つ。この後のグランプリ、恩返しといわんばかりに武田豊樹の前で捨身で風を斬って武田豊樹のグランプリ制覇に貢献は正しく黄金コンビ。自身は7着。


2015年はタイトルこそ無かったものの武田豊樹の番手からダービー準優勝、競輪祭では武田豊樹の前を周って武田豊樹の優勝に貢献準優勝。グランプリでは武田豊樹の番手から3着。


2016年、G1寛仁親王牌を準優勝の後のG1競輪祭で自力で優勝。またもや7番車での優勝。グランプリは6着。


2017年、G1全日本選抜競輪を優勝でG1競走7冠目。またまた7番車での優勝。グランプリは前年と同じく6着。


2018年はG2共同通信社杯をしつこくも7番車で優勝。グランプリ8着。

2019年は少し苦しんだものの7年連続のG1競輪祭の決勝を決めた時点でグランプリが当確。グランプリは3着。

2020年はG1全日本選抜競輪で準優勝。8年連続決勝進出のG1競輪祭で準優勝。8年連続11回目のグランプリではこれまで断固として他地区の後ろは周らなかったが脇本雄太になら賭けてみても良いの思いから悲願のグランプリ制覇へG1初優勝を飾った縁起の良い7番車で挑む。


獲得タイトル

2006 G2ふるさとダービー
2009 G1高松宮記念杯 7番車
2009 G1競輪祭
2010 G1高松宮記念杯 
2013 G1全日本選抜競輪
2014 G1競輪祭 7番車
2016 G1競輪祭 7番車
2017 G1全日本選抜競輪 7番車
2018 G2共同通信社杯 7番車



グランプリ成績

2008 2着
2009 9着
2010 9着
2013 4着
2014 7着
2015 3着
2016 6着
2017 6着
2018 8着
2019 3着
2020 ???




グランプリ着度数

1着 0回
2着 1回
3着 2回
4着 1回
5着 0回
6着 2回
7着 1回
8着 1回
9着 2回

私が崇拝してやまない村上義弘と双璧に大ファンの平原康多の悲願のグランプリ制覇での涙はさぞ美しくドラマあるものになる事は間違いないでしょうか。グランプリ当日が待ちきれません。

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