原動力はそれ全てがポジティブなモノであるとは限らない
何を当たり前のことを言ってんだお前。と思われた方がほとんどだろう。楽しいからやるとか、達成感がとか前向きな理由だけでどんな形であれモノを産み出すことはできないことくらいこんなよくわからん文章を拝読頂いている奇特な方々であればご存知だろうし、自分の経験からもそうであると言えるのだ。
前向きにモノを作ることができればそれに越したことはないだろうが失敗から生まれた傑作があることもまた事実である。ポストイットしかりバーボンしかりと、色々なモノがあるわけだ。自身の経験で言えば、病み散らかしてる時に作ったカクテルがまさかのバランスと味で拍子抜けしたことはある。プロトタイプで50度オーバー、作った本人は飲む気が1mmもしないバカ酒だったが存外飲んだ方の感想を聞くと好感触だったからもうこれわかんねーなというのが本音である。
何であんなに病み散らかしてたのかはよくわからんが、今思えばそれなりの理由がその時にはあったんだろう。本当にしんどかったことは間違いないから。
こうやって、noteに何かを書く時もそれなりにダークサイドに浸かってるほうが正直筆は進む。開始直後にルッキズムに対する怒りと市場への憤慨をぶつけ倒したセンテンスはダムが決壊したかのようにスルスルと湧き出てトップスピードに乗った新幹線の如く滑るような筆の進み具合だった。今でもマッチングアプリは法規制して息の根を止めればいいと思うし、YouTubeに出てくるサプリや脱毛の広告は総じて規制どころか関わった人間全員死刑でいいとも思ってる。仮にそれが現実になっても、多分俺が思う住み易い世界にはならないことは薄々…いや結構な割合で「知ってた」と言わざるを得ないのだけれども。
何か思うことがあって今回また筆を進めたなんて大層な理由があるわけではないものの水は動かないと澱んで行き、伏魔殿は焦土にしないと環境が変わることはない。そんなストレスは正直ある。あのクソッタレウィルスがまだ蔓延している世界ではあるが少しずつ改善に向かっていることもまた事実。全てを制限された世界線でないだけ、ストレスは軽減されていく。と同時に自分の中にある創作意欲…なんて大それたもんでもないがその類の欲や感性が鈍っているのも事実。ストレスフリーが一番いいに決まっているが、実のところこの感性を研ぎ澄ましているのはある程度のストレスであったりもする。
拭えない不安を抱えて走った20代のストレスは凄まじいモノで、30代になっても根底部分はあまり変わっていなかった。アラフォーに片足突っ込みかけてる今となっては少し見方が変わったというか、もはや一種の開き直りの境地に近づきつつある。これが諦め、妥協なんだろうか。そしてその落ち着きにも似た感覚が、自分の感性を鈍らせていることに気づいて若干の焦りを覚えているのもまた事実。
穏やかな海と強すぎない日光、そして心地よい気温の中で人は快適さを知るのだろう。前にも書いたが、知覚の暖かさではなく心の暖かさなんてのはそれ自体を享受しないと理解ができないものである。冷たく暗い深海の中でもがき苦しむ人間にそれを知る術はない。
困ったことに、自分の感性はそういったダークな部分で研がれたフシがある。妥協と開き直りの中でまた研ぎ直すこともできるのだろうけども、前衛さや過激さが鈍ってしまうことへの恐怖が今回筆を進めるきっかけになってしまった。反骨と抵抗に明け暮れ、固く閉ざしたドアをぶち壊されたのも一つ原因ではあるが。
こうでなければいけない、と言った強迫観念から少しづつ解放されていると考えれば悪くない気もするが恐らくこの先に紡ぎ出す言葉の配列は今までのそれとは変わっているのかもしれない。はたまた、紡ぎ出すのは言葉ではなくまた違うものかもしれない。
どうなるかは、お楽しみ…かな。
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もしかして:歳食った
うん、まぁそうなんだよ。
大人になるとか、成長したなんて思ってはないけどほんの少しの余裕を生み出す力がついてきたからなんだろうな、と思ってる。