続・人身御供(ひとみごくう)って風習が日本にあったのですか? 「⑤御供(ごく)」の意味解決!
老杉神社(おいすぎー)の一の鳥居横に「頭屋行事【エトエト祭】」の看板があります。看板には、老杉神社の由来と頭屋行事の説明があり、その左側に「エトエト祭り」の社参行列の絵と〔絵の解説〕があります。この絵の「⑤ 御供(ごく)について、通行人の筆者は「⑤ 御供(ごく)」は「人身御供(ひとみごくう)」かな? そこで、地元の人に尋ねますと、「⑤ 御供(ごく)」の絵で、駕籠に乗っているかのように見える人物は「駕籠の向こうの人」と。
筆者は体力維持のために毎日、小一時間ウオーキングを課していまして、大抵この看板の前を通ります。その都度、「⑤ 御供(ごく)」の絵を熟視熟考しますうちに、これは人身御供ではない、という理解に達しました。理由は、もし人身御供であれば絵の中に、憂い、悲しみ、嘆き、怒り、叫びといった、苦悩の表情が描かれているはずです。しかし、そういう様子はまったく感じられないですし、行列の3番目に童子が二人が描かれ、その後方に男性が二人、扇子を振り上げて何か叫び声をあげている風です。おおよそ人身御供の悲哀とは異なった雰囲気が見られます。
万一「人身御供」とすれば、老杉神社境内に「塚」のようなものがあるはずですが、宮司さんに伺いますと「そういうものはない。」とおっしゃいます。それに「人身御供」なら、それが伝承として残っているはずですが、神主家には伝わっていませんし、神主家に伝わる「神事目録」にも「人身御供」にかかわる記録はありません(ここで言及した宇野の論文を参照せよ)。もしあれば、悲惨な出来事として表面に現れてくるはずです。
3.(下記は草津市教育委員会文化財課の岡田様から教わった内容です)
行列の「絵」は桜逸という人が「絵馬」として描き、それを昭和41年に老杉神社に奉納したもの。今もその絵馬は老杉神社内に飾られています。「⑤ 御供(ごく)」とはお餅のことであって御供(ごくう)ではない。駕籠に人物が乗っているように見えるが、その人物は(地元の人が教えてくださったように)駕籠の向こうにいる人とのことでした。
(老杉神社の山元宮司様、地元の山元様、教育委員会の岡田様ありがとうございました)
2.(下記は地元の人から教わった内容です)
地元の人に再び尋ねまして「⑤御供(ごく)」の意味が解決しました。わたしが「駕籠に人間1人とヤギ4頭」と見たのは誤解で、人間は駕籠の向こうにいる人、駕籠の上に「ヤギ4頭」と見たのも誤りで、これはお米を餅のようについたもので、8つの村に配る習わしであり、こんにちもこの行事は続いているとのことでした。たいへん失礼しました。(それでも、老杉神社の看板を実際に熟視しますと、「お米を餅のようについたもの」は、やはりヤギのように見えるのです。)
1,下記は私のNSNへの投稿です)
草津市下笠(しもがさ)に老杉(おいすぎ)神社があります。この神社に古くから伝わる頭屋(とうや)行事がありまして、その主要部分が絵で示されています。「解説」によりますと、⑤は「御供」です。御供(ごくう)とは神様へのお供えです。絵にあるように、駕籠に人間1人とヤギ4頭が載せられています。日本には人間とヤギを神様に供えるという風習があったのでしょうか。どなたかご存じの方がいらっしゃたらご教示くださいませんでしょうか。
なお、人身供犠(じんしんくぎ)・人身御供(ひとみごくう)の風習はセム族(西アジア・アラビア半島・北アフリカなどに分布し、セム語系の言語を用いる諸民族の総称。アラブ人、エチオピア人・ユダヤ人などのほか、古代のアッシリア人・フェニキア人などが含まれる)にありました。人を焼き尽くすいけにえとしてささげ、多くは子どもが犠牲にされました。
Many thanks for your support! I will keep writing my interest. Good luck! わたし英語の勉強もつづけています。It will take a long time to learn English.