「阿諛追従」脱臼のうわごと 「あ」の巻

「本当の自分」とか「ありのままの自分」の状態があり得るとしても、何時何処での自分が「本当の自分」だったのか自分自身で判別が可能だろうか。
すでに、「自分」というよりは意識が「そのまま」と矛盾している。これこそ、今こそ「本当の自分」だと思えた瞬間がある人は既に「本当の自分」を見失っている。
「自分」という意識が既に自分であることを不可能にさせていると同時に自分であることを可能にしている。
文章に一人称の主語を撃ち込んだ瞬間自分は霧消する。
「生きている」ことは生きている上で最大の弱点なのだ。心身は心身自身を護ろうとする「本能」そのモノだから。なので、「本能」は自分自身を護るためなら何だって「やる」
生きぬくためなら「阿諛追従」なんて何のこともない。上司に、顧客に、強者、弱者に、「阿諛追従」をする。
「本当の自分」にだって「阿諛追従」する。他人に「阿諛追従」するくらいは日常的なこと。そんな人を蔭から薄笑いをして蔑む。
人を蔑む時、人は「自分自身」に「阿諛追従」していながら自分自身を見失う。