戦場と洗浄の挟み撃ち

目的のない生き方が自由だと勘違いしていた小僧の頃、就活に勤しむ友との距離は拡がるばかりだった。

行雲流水と孫引きを密かな座右の銘として心に刻印を押した。
計画を立て実行するという常識的なことが、しないのではなくできなかった。

その頃は、発達障害なんて言葉はなかったので薄々将来生きていけるのか根源的な不安に押し潰されていた。
誰からも気にかけて貰えずにいたのに、人から逃げ回るように棲息していた。

苦手ではなく端的に人と会話することが不可能だった。

中学生時代の三年間、校内で言葉を発した記憶がない。友だちは欲しかったと、今、振り返れば言えるが当時は会話の流れが掴めず教室では只々着席して動くことができず、難儀な思いが募るばかりだった。

就職してからも仕事が「できた」という実感は覚えがない。取り敢えず、生きるために凌いだ日々であるが「良い思い出」もあるはずだが思い出せない。もしかすると実際無かったのかもしれない。

居場所が無かったので常在神経を擦り減らす戦場だったし、失敗して搬送された病院で胃洗浄された時は深く後悔した。

喜びは共有できるが苦しみは個別的経験だ。惨めに見えたり愚かな行為を目撃しても他人の尊厳を尊重するべきだと思う。