ポンコツだって負い目はない

「先に生まれたからと偉そうにするな」と思われているのは知っている。
若さは特権ではある。しかし必ず剥奪される特権だ。

ポンコツだって特権だと主張したくなるが、それが開きなおりに過ぎないことも経験から知っている。

遥か昔に己のポンコツさを自覚した。
しかし、遠くない未来に完治しないまでも改善するだろうと楽観していたが「老害領域」に一歩踏み込む年齢に達した現在もポンコツぶりは健在である。

健在であると言うとポンコツを客観視しているようだが、己自体がポンコツなのだ。
つまり、病気ではないので治ったり治らなかったりするものではない。
ポンコツにがんじがらめなのだ。全ての人に固有の価値があるなんて言い出したのは誰だろう。どうせなら全ての人は無価値と言って欲しい。誰も言わない。

善悪と好悪を同じと見做したのは昔のレンズ磨き屋さんだが、現在の状況を知ったら窓の無い球体に換気用の穴くらい空けただろう。

自己評価の低さは自虐であって欲しい、自分だってチャンスはあると空想するのは自由だがおそらくチャンスは無いし、低評価だけが自分で下した正解だ。

一度出遅れると挽回するには人生は短過ぎる。立ち止まっているとアッいう間に人生の黄昏はやってくる。

そうではあるが人の耳目を集めることに汲々とするのも生き方としては如何なものだろう。

幸いにもと言っていいのか分からないがポンコツがポンコツのまま生き延びることも不可能ではない。

現実の人は九割九分九厘はポンコツだ。そう、世界はポンコツで構成されているし、全身全霊の完全ポンコツ体には滅多にお目にかかることはない。

好きなことひとつ、好きな人一人居れば前に進める。それ以上を望むのはまさしくポンコツのやることだ。