【エッセイ】坊っちゃんのポストモダン序
内省を否定してくれる。
個は全体の部分でしかないので、結果としての個ではあっても原因としての個にはなれない。
主体性を虚構とすれば言動の「責任」は自己に回帰しないから主体に対する負荷がなくなる。
これは近代の人間観ではない。再帰性による調整は個に還流するのだが個は様態にすぎないので自己の変容が意識にはのぼらない。
存在が意識を規定するなら個に責任を帰することは不可能になる。
存在と当為のは差異が再帰的な自意識を生じさせて近代的な「煩悶」へと誘われる。
坊っちゃんの知行一致の痛快さは「煩悶」の付け入る余地がないことによる。