迷惑と失礼の話

現在の私にとって心臓を鷲掴みにされる非難は「迷惑」と「失礼」である。

共に人の言動を非難する言葉である。
罵詈雑言の嵐のような応酬に比べて理性を残した非難である分指摘が当たっているのではないかとの疑念を呼ぶので痛手が増す。

私は過去二度ほど「迷惑」と言われたことがある。馬鹿とか死ねなどと言われれば怒りに任せて言い返せるがまさか迷惑をかけているとは思わず逆に好ましい存在くらいに思っていたので「迷惑」と言う言葉をまともに喰らって羞恥心で吐きそうになった。

人に迷惑をかけない。ということは時代を超えて通じる道徳のようなものなので勘違いがもたらす迷惑は本当に迷惑なのである。

この先できる限り人の迷惑にならないように生きていきたいが何が他人にとって迷惑なのかどんなに用心深くしいても「迷惑」をかけないのは困難である。したがっていつ不意打ち的に迷惑を宣告されるか予測はできない。
小さな迷惑が積もりに積もって限界にまで達しないと相手も「迷惑」と明言はしないであろう。

自分では気付くのが難しいのが迷惑の本質であろう。
真に迷惑は迷惑なのである。